モールスが考案した最初の電信機の図面
全国ニュースが電信によってリアルタイム化すると、次には1851年にロンドンとパリの間に海底ケーブルが敷設され、1858年にはそれが大西洋を超えた。国際間の通信の需要は急伸し、1870年代初頭には電信の回線は全長100万キロに達し、海底ケーブルも5万キロとなり、2万もの都市がつながるようになった。特に国家戦略的に電信回線を伸ばしたイギリスは、海外の植民地を支配するため積極的に活用し、東インド会社と本国の通信は10週間から4分へと短縮された。
1851年にロンドンで開催された最初の万国博覧会も、こうした多量の海外情報で届く文物を実際に展示するという、想像力の拡張に対する一つの解答であった。中世の時代、国のサイズは国王が馬で往復できる範囲に限定されていたとされるが、近代国家は電信という手段を使って領土を一気に拡大し、植民地を支配しながら世界に広がっていったのだ。
電信の発達は情報メディアを大きく変えた。それまで週や月単位で郵送されていた新聞は、日々の膨大で脈絡のないニュースをすべてモザイク状に配列し、ありあまるニュースを輪転機と高速印刷手段で量産することにより、日刊で発行されるようになった。商品や相場の情報も、月や週単位から日々交換されるようになり、グローバルな規模と、より速いテンポで経済が回転し始める。また、遠方の情報がリアルに伝えられ、蒸気機関車や蒸気船などによって従来の馬や舟を使った交通手段が高速化し大規模になるにつれ、トーマス・クックのような旅行会社が生まれ、物資や人々の移動性が向上し、民族移動のような現象さえ起きてきた。
会ったこともない電信のオペレーター同士が、電信で日々会話しているうちに遠距離恋愛に発展して結婚したり、電信を不正に使って通常のルートより早く宝くじや競馬の勝ち馬の情報を入手して儲けたりする人も出てきた。国の機密情報や商売の通信は、オペレーターなどの仲介者に情報が漏れることを危惧し、暗号で通信されるようになった。さらには、そうした暗号を解読するハッカーまがいの者さえ出てくることにもつながった。
まるで昨今のインターネットの混乱と瓜二つの状況が、すでに150年ほど前から一般化し始めていたのだ。電信の後には電話が発明され、自宅の電話器でただ話すだけで直接コミュニケーションできることから徐々に電信の利用を上回っていった。
インターネットで繰り返される電信の歴史
現在は一般化し、誰もが使えるようになったインターネットだが、電信と同じように、その効用が理解され普及するまでには時間がかかった。インターネットも基本原理は、情報を符号化して回線を通して送ることにあり、ある意味、電信を自動化して高速化した拡張形と考えることができる。
もともと、コンピューターが発明された当初から、高価な計算機資源を遠方から使うニーズはあり、特に戦後の冷戦時代には全国的な防空システムを、回線でつないで各地で使う必要性などから、コンピューターを電話線につなげるオンライン化が始まった。そうしたノウハウを使って、60年代には世界規模でオンラインの航空便予約システムや銀行決済システムがつくられ、日本でも当時の国鉄が「みどりの窓口」を開始した。
大型の計算機(当時はメインフレームと呼ばれた)は数が少ないうえに、部屋の大きさほどもあったので、当初の利用者は電子計算機室という場所にデータを持っていき、計算を依頼して結果が出たら取りに行くしかなかった。やがて多くの企業が利用するようになると、70年代には計算センターができ、オンラインで給与計算などを利用できるようになる。コンピューターが徐々に小型化し、ミニコンピューターやオフィスコンピューターと呼ばれる装置がオフィスの中で使われるようになり、80年代にはビジネスでも使えるパソコンが登場する。
インターネットはよく知られているように、もともと冷戦時代に核攻撃を受けても通信が途絶えないよう、中央の交換機の機能を全国にある小型のコンピューターに分散して、情報をパケットと呼ばれる小さな単位に分割して、伝言リレーのようにいろいろなルートで送るという技術を元につくられた。当初は国防総省の資金で大学を中心に開発が進み、一部の研究者しか利用できなかったが、90年代になると誰もが簡単に使えるワールド・ワイド・ウェブ(WWW)という方式ができ、さらには研究者以外の一般人も利用できるように運用方針が変更されることで、一気に普及が始まった。
今では信じられないが、80年代には一般の人がネットを使うには、通信速度が現在の100万分の1程度の電話回線しか利用できず、操作も難しく高額な料金がかかった。そんな研究者の特殊なネットワークが、ショッピングをしたり映画を観たり、個人の情報発信や情報交換に使える日が来るなど、多くの人は信じていなかったであろう。
しかしパソコンが安価になり、高速回線の値段が下がり、情報の発信・検索が気軽にできるようになったことで利用者の層が増え、従来型のコンピューター通信システムと置き換わって行った。大型コンピューターをつくる企業が自社規格で利用者を囲い込んでいた時代から、オープンなインターネットの時代に移行することで、世界的な通信インフラとしての広がりを持つようになった。すでに世界の半分の人口が使っており、日本の利用者も1億人を超えている。
こうしたシステムが世界的な標準になっていくことで、企業や国など縦割りの組織を超えた横のつながりが力を持つようになり、「アラブの春」のようにソーシャルメディアが国家体制を転覆したり、ウィキリークスのようなネット情報が世界を震撼させたりする時代になった。
メディアとしてのインターネットはこうして、従来型のラジオ、雑誌、新聞、雑誌といったマスメディアを代替しつつそれらの規模を超え、さらにはビジネスとして広告収入の点からもテレビを超えつつあり、名実ともに世界最大の「マスメディア」になりつつある。
これから先のネット社会はどうなるのか? 『〈インターネット〉の次に来るもの』によると、インターネットが一般化してからまだ8,000日ほどしか経過していないにもかかわらず、ネット以前と以後では考えられなかったような大きな変化が起きているという。これからインターネットはウェアラブルのように身近で、常時人間と接触してデータを共有してインタラクションを行い、人間ばかりか自動車やドローン、家電や町のいたるところにある機器と接続され、IoT(モノのインターネット)が第2の自然のような環境となり、それが人工知能とつながって、VR(ヴァーチャルリアリティ)のように3D映像を通して自然な形で利用できるようになるという。
『〈インターネット〉の次に来るもの:未来を決める12の法則』
ケヴィン・ケリー著、服部桂訳、NHK出版、2016年
こうした変化によって未来がどうなるのか、どんなに秀逸なSFや未来予測でも、確実に言い当てることはできていない。未来に出現する今はまだない新しい事物を個別に想像することは難しくても、その底にある基本的な流れは、これまでのメディアが辿ってきた歴史の中に確実に書かれている。
電信を発明したモールスは、1825年に妻が急死した際に、自宅から4日間かかるワシントンに出張していた。悲報を伝える手紙が届いたのは葬式の前日であり、夫が帰宅したとき、妻はすでに埋葬されていた。モールスの心には、大切なメッセージをもっと早く誰にでも届けられるメディアの登場を望む気持ちが、このとき芽生えたのだろう。より早くより遠くへ確実に情報を伝えたいという人間の基本的な欲望を、テクノロジーがこれからどう現実のメディアとして実現していくのか? もう一度、原点に帰って俯瞰してみることも必要だろう。
── 次回へ続く
>> 連載のはじめに(全4回のテーマ)
コメント: