言葉にすること、しないこと

 

取材を通して言葉を預かる。つまりは語りを聴くという行為は、最も繊細に行われなければならないと感じています。改まったかたちのインタビューは行わず、目の前に差し出される大切なものを撮影しながら、漏れ聴こえてくる言葉を預かります。楽しい記憶やつらい記憶、遠い記憶。声のトーンや表情、話の流れの変化、ちょっとした感情の揺らぎから言葉にならないものも受けとりながら、ZINEに綴じるべきか、綴じずにしまっておくべきかを慎重に探りつつ、記憶を振り返る時間を共にします。

 

そんな時間が一区切りついた後に、その人の心の奥だけにそっと仕舞われている大切な記憶を預かることもあります。2人きりになった時にふと語られた、戦時中の記憶。お孫さんが物を取りに上がった少しの時間に語られた、そのお孫さんへの想い。ふと惹かれて尋ねたものがご家族の遺品だったり、「話すつもりはなかったのだけれど」と、ふいに誰にも打ち明けていない想いを預かることもありました。そのような記憶の大半は、第三者に伝わる“言葉”にはせず「確かに預かりました」というしるしとして、その時のものや景色など、できる限り距離をとった“写真”の中にこめて、共にした時間の記憶としてそっとおさめてお贈りしています。

 

取材を重ねるたびに実感したことは、本当に留めておきたい大切な記憶ほど、言葉にできないものや、言葉にしたところで言い足りないものばかりであるということ。それらは無理に綴ることはせず、写真と本の余白に込めるしかありませんでした。結果的に本に記された僅かな言葉たちは「いつ、どこで、だれの」といった写真と語りの座標位置を記すものが大半ですが、持ち主が記憶を呼び起こすための、また持ち主を知らない第三者が感じとるためのみちしるべとして、本を手にとった人から人へと記憶をつなぐ役割を果たしてくれています。

 

>>『掌の記憶 ─ 鞍馬』より

 

 

本の余白から生まれるもの

 

読み手の記憶を重ねられるだけの余白をもつこと。それは他者の記憶を読み手に届けるうえで、もっとも大切にしていることです。

 

6センチ角の小さな箱におさめられた、69枚の写真が縦に連なる豆本「掌」と、2,000字程度の文章が綴られた豆本「記憶」の2冊。軽くて小さな、手の中にすっぽりおさまる本。わずかな時間でもパラパラと触れることができるように、駆け足で1~2分、じっくりと読み込んでも5分程度でおさまるボリュームに留めています。デザインも言葉選びもできる限りシンプルに、読み手が息を継げる間と、自分の記憶を重ねられるだけの余白をもたせられるように心がけています。

 

暮らしの記憶の欠片の奥にある、普段は改まって語ることのない昔の思い出や胸のうち。本をきっかけに語りあいが生まれたり、読み手の記憶を聴くきっかけなったり、新たなご依頼をいただいたり。手渡しでつながる関係性の中で、本の余白から新たな語りが少しずつ生まれています。2017年夏の時点で27篇。年代も、暮らしている場所も、歩んだ道のりもさまざまな方々の記憶が集まっています。「まなざしを綴じる」ZINE作家として、生きている限りは大切に続けていきたい試みであり、営みでもあります。

次回へ続く ─

●「掌の記憶」で試みていること  ●

 

とても個人的な記憶を預かり、私ひとりの手で綴じ、依頼者と綴じ手の2組だけの本で記憶をつなぐ。極めて私的でささやかな表現が、途切れることなく静かに広がっていることに、私自身とても驚いています。その試行錯誤の裏側を、よく質問される問いかけを中心に少しだけご紹介します。

 

微妙なバランスで成り立つ表現

 

特に制作を生業にされている方から尋ねられるのは「制作費はどうしているの?」という質問です。そして「お金はいただいていませんよ」とお返事すると、大抵驚かれます。綴じ手としてとにかく「続けていく」ことを第一に考えていたとき、制作費をどうするかは私にとっても大きな問題でした。

 

仕事として制作に携わった経験を振り返ったうえで「他者をまなざすZINE」は、できる限りシンプルな関係で制作したいという想いがありました。お金をいただく、つまりは「仕事」とすることで生じる受注者と発注者という隔たりを取り払った関係から生まれるものが何なのか「試してみたかった」というのが、一番の理由だったのかもしれません。結果的に今は「制作費はいただかない」「販売もしない」(増刷を承る場合に限り、材料費のみ頂戴する)というかたちに落ち着いています。「する側、される側」という隔たりもできる限り曖昧にしたいという思いから、ボランティアというスタンスでもなく、発表や販売のための作品制作でもない、「一緒に記憶をつなぐ」というスタンスをとっています。

 

制作については、和紙という素材にこだわりながらも自分の手作業だけで完結する工程にすることで、制作費はほとんどかかっていません。立ち上げの頃は「交通費くらいは何とかしないと、続けることが難しくなるのではないか」という心配もありましたが、結果的にはこの活動がきっかけで別のお仕事をいただくという良い循環も生まれ、さまざまな町を数多く巡りながらも無理なく続いています。

 

「タダならつくってもらおう」というご依頼や、お預かりしたものを「都合の良い表現にしよう」と曲げてしまうような制作。どちらか一方に打算があったり思いやりを欠いた時点で崩れてしまう、微妙なバランスの上で成り立つ表現。それをうまく保ち続けられているのは、依頼者の皆さんに恵まれていることの一点に尽きます。

 

「お決まり」のプロセス

 

取材の流れは依頼者に委ねつつ、本をお贈りするまでの間には綴じ手としての「お決まり」のプロセスが無数にあります。例えば写真は「ありのまま」をおさめたいという気持ちから、どの土地での撮影も同じ設定のままカメラに任せています。元画像はそのままの状態で、本と一緒にお贈りしていますが、本に掲載する写真は和紙に印刷する加減でそれぞれに細かな微調整を加え、全体の色調に少しだけ青を加えています。写真としてはその時点で「ありのまま」から離れてしまいますが、この工程が無数に散らばった個人的な記憶の数々を「掌の記憶」というシリーズとして1つにつなげる大切な役割を果たしてくれているように感じています。

 

お預かりした語りは、一語一句聴き逃さぬようテープおこしをします。レコーダーはなるべく流れの邪魔にならないように自分の首から下げたまま、屋内外を行ったり来たり。強風の日は風の音がごうごうと響き、室内にラジオが流れていればその音もくっきりと残ります。聞き取るのは一苦労ですが、ありのままの空気が閉じ込められた音源をもう一度辿りながら、何万字と言葉を拾っていく時間もまた必要だと感じています。急ぐものは1週間ほど、ずっしりとしたものは1カ月くらいかけて、お預かりした記憶を両手に抱えながら1冊の本に綴じていきます。

 

一曲、という基準

 

本のボリューム、大きさやページ数を決める時の基準としたのは「一曲の範囲に留める」ということでした。一つのものに触れる時間として基準になったのは、抗がん剤治療中にベッドで伏せていた時の経験です。気力も体力も奪われる状況に置かれた時、それまで大好きだった本が重くて大きくて、とても持ち続けることができませんでした。サイズが小さい文庫本であっても、連なる長文を読み続けることがまた難しい。お気に入りの映画のDVDも、数十分も眺め続けるなんてとてもできない。何にも触れない時間は果てしない。しかし、唯一無理なく向き合えたのが、音楽でした。一曲の長さが数分であれば最後まで聴くことができ、その響きに触れて少しだけ力が湧いてきます。そこで、体力がない状態でも触れることができる軽やかさの基準として、一つの楽曲を聴き終えるまでに読み切れるものをイメージし、掌サイズの「豆本」の仕様に留めることにしました。結果的に「御守りのようね」という言葉を何人もの方々からいただき、私自身もこのかたちをとても気に入っています。

 

ZINEという表現が持つ力

 

元々は個別にお受けしていたZINE制作の依頼を、「掌の記憶」という表現としてひとまとめにしたのは、がん経験者としての個人的な動機からでした。絨毛がんという病がもたらした喪失、つまりは「子どもを産み育てる」ことが叶わなかったつらい記憶や劣等感に、どう折り合いをつけたら良いのか。再発の不安と隣り合わせの今日を、どう生きれば良いのか。寛解して1年が経った頃、その問いに対して自分なり出した答えが、別のかたちで次の世代につなぐ試みを続けてみようということでした。

 

先の見えない不安に目印を立てたい一心で、立ち上げ当初は「日本全国47都道府県分の記憶を綴じたら展示をする」という言葉を掲げていたほどですが、1冊、また1冊と本を綴じ終えるうちにそのような想いはなくなり、今はただ綴じて贈ることを1つずつ積み重ねています。病がもたらした喪失と隔たりに直面して力を失っていたがん患者の私が「綴じる」という行為を通した出会いの中で元気づけられ、少しずつ自分の足で歩んでいった変化の足あと。本人だけでなく「掌の記憶」を立ち上げから見守ってくださっている方々も、その変化を感じてくださっているように思います。こうして連載として振り返ると「こんなに続くとは思っていなかった」というのが正直な感想ですが、それ以上にZINEという表現が持つ力を改めて感じています。

 

なお、この連載の最終回(第5回)では、より実践的な「ZINEのつくりかた」を、写真を交えて詳しくご紹介する予定です。

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