暮らしの品をまなざす

 

otomo.』(2014)は、私の祖母の遺品を綴じたZINEです。私が闘病中に他界した祖母への弔いの気持ちを込めて、持ち主を失い冷たくなった遺品に家族の記憶を添えて本に綴じることで、祖母のあたたかな面影を蘇らせました。

 

初盆の日に祖父母宅に集った親戚に声をかけて、遺品を集めて持ち帰り、自宅和室に射す障子越しの西陽を頼りに撮影。治療明けでカメラを持つ体力もなく、アイロン台の上に遺品を並べては横になり、携帯のカメラで1枚撮ってはまた横になり…。母や親戚に写真を送ると「あれもあったはずや」と注文が送られてきて、いつの間にか91歳の祖父、母と祖母の妹も加わり、祖父母宅の押し入れをひっくり返して追加撮影会に。遺品を出し入れする家族から漏れ聞こえる語りに耳を澄ましつつ、目の前に遺品がきたらぱしゃりと撮影。孫のまなざしと家族の語りを対にして和紙にのせて、デザイン・印刷・製本すべて自分の家の中で、自分の手でできる範囲で綴じました。

 

家族の手でZINEを綴じる。その過程で多くの語りが生まれたことはもちろん、国内外のブックフェアで展示販売をすると、その日出会ったばかりの読み手の方も「懐かしいな」と手にとり、ご自身と家族の思い出を語ったり、会ったことのない私の祖母について「きっと可愛らしいおばあさまだったのね」と言葉をもらったり。遺品とは気づかず、昔の古道具のデザインや和紙のあたたかみに惹かれる方も多く、150冊以上が家族以外の方の元へと旅立っていきました。読み手の感性で乱反射した言葉を受けて、私たち家族もまた、祖母を思い起こして語り合うという環(わ)も生まれました。

 

 

>>『ココロイシ』

 

心の中をまなざす

 

ココロイシ』(2016)は、私のがんの闘病にまつわる記憶を、患者本人の語りとして綴じたものです。心の奥に沈んだままの感情を、一つずつ言語化して手の中に収まるほどの短い言葉に削ぎ落とす。「言葉にできていないもの」をたぐり寄せる道しるべにしたのが、整理のつかない心を落ち着けるために、海辺で拾い続けていたハート形の石でした。一粒ずつ撮影し、一粒ずつ思い起こされる記憶を丁寧に言語化して、石の中 ― つまりは本の観音ページの内側に閉じこめていく。

 

ページの中に言葉を収めることで、少し距離を置いて眺めたり。ZINEを人と人の間にそっと置いて、余白のページに読み手の心に沈んだ記憶も挟みこんでもらったり。1冊の本に人の心をどんどん綴じ重ねながら、膨らみ、馴染み、見知らぬ誰かの涙のあとまでもが重なっていくそのZINEに、本というかたちの「抱く力」を再確認しました。

 

 

「自分」から「他者」へ

 

ただただ、自分が生きるために綴じてきた個人的なZINEを、人と人の間にそっと置く。それを手にした読み手と、自分の経験を分かち合ったり、呼び水のように読み手の記憶が溢れ出る場に立ち会ったり。人と人の間にある隔たりを消すことは難しくとも、1冊の本から生まれてつながっていくものを少なからず感じました。

 

そのうちに「自分でもつくってみたい」「自分の家族の記憶も綴じてほしい」と、他者の想いや記憶も預かるようになり「自分をまなざす」ZINEづくりから「他者をまなざす」ZINEづくりへと広がっていきました。

 

次回へつづく ─

 

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