©2019 Taeko Hagino
「校門の前にある電気屋の中では、澤田家では、〈細かいお金〉を必要とする生活が営まれてるのだ。人には聞いてみなければわからないことがたくさんある。」
──(本文より)
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太郎が以前から「大学進学を機に実家を離れたい」と言っていたことを知る2人は、明らかに気を遣っている。今の東尾家の状況はそんなことを考えられるタイミングではない。ツッツーと慧人は、自分たちが持ち出した話題を反省した。
僕らはいよいよ受験生なんだ。
ほんの少し前まで、きっと3人とも東京の大学に進学するだろうと思っていた。しかし太郎は地元に残るしかないのだろう。それはそれで仕方のないこと。太郎はそう思うようになっていたが、東京に行きたい気持ちを捨て切れてはいない。
もし母親を残して上京したところで、罪悪感を持つことは確実なのだ。望んでいたわけではなくても、この土地で生きていくことに、これから自分はなんらかの意味を見出して生きていくのだろうか。
3人それぞれの思いでポスターを眺めていると、ショートヘアにした澤田久美子が、大丸の大きな紙袋を2つ持って現れた。
「どしたん? そんな荷物持って。んで、お前、髪ばっさり切って……どしたん?」
ツッツーが目を丸くしながら尋ねる。
「はじめまして。こんにちは」
澤田久美子はヘヘヘと照れながら頭を掻いて、太郎と慧人に会釈した。
「あ、こんちは」
2人もペコっと頭を下げる(僕たち、本当はあなたのこと知ってますよ)。
「これね、ツッツーから事情を聞いて、とりあえず家から持ってきたんやけど。なんか役に立つものあったらと思って」
「お前、部活終わって一度帰ったんか?」
「うん。ウチ近いんよ。ほらすぐそこやけん」
「こいつほら、家は門の前の澤田電気。やけんここ(南城高校)に入ったんよ」
「そうそう」
ツッツーの説明に、澤田久美子は笑って応える。
澤田久美子が、南城高校を選んだのは家が近いから……。太郎と慧人は、へぇという顔をして話を聞く。
「東尾くんとこも、いろいろ大変なんやね。うちとは状況が違うけど」
澤田の真っ黒な瞳でじっと見つめられると、その色の深さに思わず吸い込まれそうになり、太郎の胸はドキンと鳴った。ドキンと感じた表情を誰にも知られてはならないと思って横目で慧人を見ると、いつもどおりの慧人がいた。もしかしたら、こいつもドキンとなっているのかもしれない。
「状況は違うけどって? 何?」
躊躇なく尋ねる慧人に、太郎はドン引きする。『こいつ、こんなふうに他人のプライバシーにグイグイ入っていくヤツじゃないんやけれどな……』
「うちは、妹が寝たきりやけん。それにおばあちゃんもね。2人寝たきりがいるんよ」
あっけらかんと、澤田久美子は答えた。
「そうなん? 寝たきりの妹ってさ、家におると?」
冷静な口調で慧人は尋ねた。
「うん。うちの妹は生まれたときからずっとそういう生活やん。慣れてるんやけどね」
澤田久美子のその言葉は、無防備で飾り気がない。
「ごめん、今ね、一番頼みたいこと言っていい?」太郎が澤田に尋ねる。
「うん」
本当は耳元で囁きたいところだが、慧人の手前、それはやめた。
「あのさ、ちょっと言いにくいんやけど、俺、母親の下着とか洗濯してるんよ。今」
そうやって、下着につけるシートの話を切り出した。澤田は笑って答える。
「そんなん、うちが買ってくればいい話やろ。オムツなら、すぐに妹のを分けてあげる……って言いたいところやけど、ちょっと待ってて。そこのコンビニで買ってくるから」
すぐに澤田はセブンイレブンに走り、またすぐに戻ってきて青いビニール袋に入ったナプキンを太郎に手渡した。
「はい。340円」
太郎は慌てて財布から500円を差し出す。「ちょうど340円ないけん、お釣りはあげるよ」
「ありがとね。でもさ、今からきっと細かいお金がいるから、150円返すね」
ちゃっかりと10円のマージンを得ている澤田のことを、太郎は少し想像する。校門の前にある電気屋の中では、澤田家では、“細かいお金”を必要とする生活が営まれてるのだ。人には聞いてみなければわからないことがたくさんある。また実際に目にしないと、聞くだけでは理解できないこともたくさんあるのだろう。
慧人だって。
ツッツーだって。
オレだって。
そして、澤田だって……。
それぞれに、さまざまな家庭の事情があるのだろう。
俺たちは大人が考えている以上にいろいろなことを知ってるし、思っているんだ。
第8話 につづく
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ケアメンの救援力
西尾美登里
俳優の故・三船敏郎さんや高倉健さんは、かつてビールのCMでこのように言いました。
「男は黙って ○○ビール」。
タバコをふかして背中で語るようなイメージですね。確かに、私の周囲にも男性は女性より寡黙な人が多いです。わが家の夫や息子も例外でなく、嫌なことがあっても、困っても苦しくても大抵は黙っています。同様に、男性介護者に見られる傾向の一つとして「助けを求めない」ことが挙げられます。
筆者は300名あまりの男性介護者にアンケート調査を行ったところ、家族の介護で積極的に他人へ助けを求められる人(私はその力を「救援力」と呼んでいます)は10人に1人いるかいないかという結果でした。
この実態を目の当たりにしたことをきっかけに、おせっかいな私はケアメンの啓発活動を始めたのです。そしていろいろな男性に接するなかで、彼らは人に助けを求めるなど考えてみたことすらなかったり、あるいはそれを「恥ずかしいこと」だと思っているのがわかってきました。だから、ただ相手に「困っていることがあったら遠慮なくおっしゃってください」と言うだけでは解決へつながりそうにありません。
そんな男性たちに本音を語ってもらえるようにするには、一体どうすればいいのでしょうか……。私はいろいろな可能性を模索する中で、多くの理解者から協力を得て、男性介護者の料理教室「ケアメンズキッチン」を企画しました。ふだんは一人、家の中で家族の介護に向き合う男性たちが、お料理づくりを通して気軽にお喋りをし、時には酒を飲み交わすような場づくりです。
「ケアメンズキッチン」のようす。
おかげさまで、地元の福岡を中心に新聞などたくさんのメディアが取り上げて下さるようになりました。そのうち西日本新聞では、くらし欄に「愛すべきケアメン」という連載を持たせていただき、半年間にケアメン26人の奮闘をご紹介させていただきました。
また、以前からご縁のある映画『ペコロスの母に会いに行く』の原作者・岡野雄一さんにも、活動の催しで医師とのトークセッションにご登壇いただいたほか、エンゼルケアに詳しい看護師・作家の小林光恵さんには、男性でもできるスキンケアの方法をイベントで紹介いただいたりしています。
スキンケアの方法をケアメンに伝授する小林光恵さん(写真左)と、『ペコロスの母に会いに行く』の作者・岡野雄一さん(写真右・右側は筆者)