インタビューと文章 細野知子 ほその・ともこ
第1回 糖尿病に練り込まれた「日常」── 杉本正毅さん

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〈つまらなさ〉と〈おもしろさ〉で測れるもの

 

医  師:今日は体重が3kg増えていますが、何か楽しいイベントがたくさんあったのでしょうか?

患者さん:夫が自分のストレス発散のためにお菓子づくりを再開したからですかね。

医  師:へぇ、ご主人がお菓子をつくるんですね。優しいご主人ですね。

患者さん:いえ、主人は自分のストレス発散のためにお菓子をつくるんですよ。

医  師:でも、あなたがお菓子を食べなければ、あきらめてつくらなくなるかもしれませんよ。

患者さん:彼はメンタルが不安定な人で、ストレスがかかると、いつもお菓子づくりを始めるんですよ。だから、主人が焼いてくれたお菓子はなかなか断ることができなくて……。

医  師:なるほど。

患者さん:そのうえ、今は彼の母親に介護が必要になってきて、さらに彼自身も転職したばかりで、今たいへんなんですよ。

医  師:それじゃあ、お菓子を食べないわけにはいきませんね。

患者さん:実はそれだけではなくて、最近、産院が同じだったっていうママ友ができて、週1回、食事とかお茶をするようになったので、そんなこんなで体重が増えてしまいました。

 

これは、ある患者さんと杉本さんが交わした診察室での会話である(個人に関する情報は、意図が変わらない範囲で加工した)。その人がどんな日常を送り、どんな人生を生きているのか。杉本さんにしてみると、それがわからなければ糖尿病診療は〈つまらない〉。その人の暮らしの中で、今のその人にとってよい薬、よい食事、よい活動の塩梅を見つけていかないことには、糖尿病専門医の本分を全うできないということだろう。

 

こんなエピソードもある。毎回、診察で何を尋ねても「変わりません」としか言わない淡泊な患者さんがいる。ある日、連休前だったので何か予定くらいあるはずだと思い質問してみた。するといつも無口なその患者さんが「旅行に行く」と、ボソッと言ったのだ。そこで「どこに行くのか」「誰と行くのか」深掘りしてみると、若い頃に旅先で出会った仲間と出かけるのだという。偶然どこかで知り合ってから、ずっと長く付き合いが続いているなんてすごいことだ。杉本さんがそう感想を伝えると、その人はかつての旅先での物語を雄弁に語り出したという。

 

普段の診察時に見る様子との違いに驚くと同時に、患者さんの知らなかった一面に出会えた杉本さんは、その人の人生の中に一歩入りこめた感じがして嬉しくなった。このようにして、今のその人にとってよい塩梅を探る糖尿病診療は〈おもしろい〉のだ。言い換れば、いくら病態を正確に診断できても、その人の日常や人生が見えない中では、薬の処方も生活のアドバイスも手応えがなく、〈つまらない〉のだ。

 

杉本さんが診療の中で大切にする〈つまらなさ―おもしろさ〉の軸をもう少し探りたい。それは、糖尿病看護という立場から患者さんの日常・生活・人生を記述してきた筆者の感覚とも重なるからだ。杉本さんが話すさまざまな患者さんのエピソードを聞いていると、糖尿病という病気になって生きていくことには、治療や療養に留まらないたくさんの教えが詰まっていることに気づかされる。なぜなら、生活そのものが治療とも言われる糖尿病は、まさに生きること、暮らすことに病いが練り込まれているからだ。

 

たとえば、糖尿病の治療は食事療法・運動療法・薬物療法が中心であり、食べる、動く、決まったタイミングで薬を飲むなどの治療上のふるまいは、生活の基本的な要素となる。加えて、「痛いもかゆいもない」自覚症状に乏しい身体をつい忘れて、患者さんは日々の生活に没頭してしまいがちなのである。さらには、糖尿病は“基礎疾患”と見なされることも多いため、がんなど他の病気が治療の中心になると、その影にひっそりと隠れてしまう。しかし一方で、高血糖状態がそれらの治療を妨げるため、適切に血糖コントロールを行い身体の基盤を整えておく必要がある。

 

このように、糖尿病は常に患者さんの人生や日常と融合しているのだ。そして、糖尿病診療や看護にあたるときの〈つまらなさ—おもしろさ〉の軸となるものは、このことと深く関係しているようだ。

すぎもと・まさたけ

東京衛生アドベンチスト病院内科医師。糖尿病臨床を専門とする。ナラティヴ・アプローチと出会い、病い体験や病いの意味を尊重した糖尿病診療をめざしている。主な著書「医師と栄養士と患者のためのカーボカウンティング実践ガイド」「2型糖尿病のためのカーボカウント実践ガイド」「糖尿病でもおいしく食べる」など。

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教養と看護編集部のページ日本看護協会出版会

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