第八回

病院から地域へ。精神看護と地域づくりのハザマから見えること。その3

─ 私たちにとって「地域」とはどこか?─

 

 

「この問いかけは盲点だった……」と、言えればよかったのかもしれない。しかし、実はそうではなかった。その可能性があることは初めからわかっていた。にもかかわらず、僕たちは見て見ぬふりをしてきたのだ。小川さんは帰りの電車の中でかなり落ち込んでいる様子だった。彼女は当時の心境をこうメモしている。

 

病院の近くは嫌だった。

 

長期入院者であるメンバーにとっては、病院が「地域」になっているのかもしれない。でも、そのことを受け入れることは「そこしか知らない(知り得ない)、そこしか選択できない」という事実を受け入れることになってしまう。と同時に、病院の近くでは、私たち(看護師)が・・・ワクワクできない。それは病院の影響力を期待して、病院の傘下で活動していると地域の方々から思われるのが嫌だからだと思う。病院とは連携しつつも、そこではできない新たな実践の可能性を探りたいだけに、そう思われながら活動をするのはつらい。

 

小山さんには「病院の近くは古い文化住宅が多く、これだと思える物件がないと考えている」と答えてしまった。そう思っているのは嘘ではないが、本質ではなかった。本当はわかっていたのに、あの場では答えられなかった。

 

(資料「2015・8・6 臨時会議の結果」より、ニュアンスをとどめつつ一部筆者が改稿して引用)

 

熟達の小山さんには、こちらの心中のモヤモヤがよく伝わったことであろう。「“イメージ”で語らず、病院の周辺を実際にリサーチされてみては? 皆さんの見方と不動産屋の見方では違うので、私も一緒に歩いてみてもいいですよ」とまで言って下さった。浅香山病院周辺エリアにどうしても関心を向けられなかった一方で、この地域であれば、外出や買い物などを通じて患者が地域に受け入れられてきた側面もある。もちろん看護師の存在も頼りにされているであろう。地域に根を下ろしてきた人たちが、信頼を得る活動を積み重ねた結果として「今」があるのであって、外からの参入で地域に根ざす活動がそうそう安易にできるものではない。

 

小山さんの「なぜ病院の近くではダメなのか?」という率直な質問は、これらの意図を含めた極めて的を射た助言だったのだ。

 

 

「足元で、ま「カフェから始めよう

 

のちに「Caféここいま」となる香ヶ丘商店街の物件。2015年秋の地域リサーチ当時。

 

 

回り回って「足元」に辿り着いた僕たちは、ここから十数回に及ぶ浅香山病院近隣地域のリサーチを開始し、その結果、南海高野線浅香山駅の近くにある香ヶ丘商店街の立地の良さや、徒歩県内で生活行動が完結できる利点なども改めて確認できた。しかし何にもまして大切だったのはこの地域で志を持って活動をしているキーパーソンとの出会いだった。

 

それは、亀井哲夫さんを始めとした「雑魚寝館(ざこねかん)」の方々との出会いだ。雑魚寝館は住居の一部を淡水魚専門のミュージアム兼カフェとして運営しているスペースで、淡水魚をモチーフにしたアート作品の鑑賞や、鰻をふんだんにつかったさまざまな飲食も楽しめる場所として知られている。また、こうした取り組みを通じて浅香山界隈のまちづくりにも積極的に取り組んでいる。

 

そして実は、これはもう縁としか言いようがないのだが、その雑魚寝館の館長である亀井さんは、これまで僕が行ってきたまちづくり活動や前述の「住み開き」での縁で、以前からつながりがあったのだ!

 

縁が縁を呼び、僕たちの思いに賛同してくれた亀井さんたちから、次に関西大学堺キャンパスの人間健康学部教員の安田忠典氏や、そこで学ぶの学生たちとの出会いへとつながってゆく。これらの出会いの連鎖が、浅香山を拠点とすることに「腹を決める」大きなきっかけとなっていった。

 

再び会議を重ねた僕たちは、まずは「家」をつくる前にメンバーと地域住民が交流できる「コミュニティカフェ」の運営からスタートし、そこから地域での信頼関係を強固なものにしたうえで、元来の目標としているハウス構想を実現させよう、という結論に達した。

 

2015年11月、香ヶ丘商店街の築50年の物件2棟を賃借。向かって右側は元お菓子屋で10年間シャッターが閉まった状態。4畳半の和室がついているのが特徴だ。その左側に借りた建物はたこ焼き屋さんで、かつての看板も残っていた。ここから僕たち自身の手による大改修が始まる。地元の大工さんの指導の下、まずは天井のペンキ塗り。そしてクロス張り、床張り、入口の戸がないため玄関をつくる、和室やトイレを改修する……などなど。

 

メンバーも病院から駆けつけ汗を流し、関大安田ゼミの学生さんたちにも協力をいただき、セルフビルドを通じて日に日に場が生まれ変わっていった。そしてさらには、浅香山病院からも院内で使われていない家具類などを提供してもらえることになった。こうしてCaféここいまの場づくりのプロセスから、さまざまな共感と恊働が生まれていったのだ。

 

 

病院から駆けつけたメンバーや、近くの大学生たちと行った壁拭き作業。

 

 

そしてカフェ開設の運営母体となるNPO法人設立も同時平行で動かすことに。事業理念や目的、そしてその第一弾の手法であるコミュニティカフェの運営。諸々の方向性が定まってゆくにつれて、自ずと法人格の選択もNPO法人に落ち着いた。堺市市民恊働課の相談コーナーを幾度か活用し、定款を整え、看護師仲間やつながりの生まれた地域住民に対して、会員への参加を呼びかけた。

 

そして2015年11月19日19時。堺市浅香山小学校内にある浅香山公民館にて、記念すべき「NPO法人kokoima」の設立総会を遂に開催。入会会員総数57名(正会員41名、賛助会員9名、サポーター会員7名)、うち総会への出席会員数41名。僕も理事就任を兼ねて出席。地域に愛される公民館で多くの人たちに見守られる中、改めて「“ここ” で “いま” から、始まるのだ」という意識をみんなで共有した。こうして、Caféここいま事業を始めとした「NPO法人kokoima」がスタートを切ったのだ。

 

 

2015年11月19日に浅香山公民館にて開かれた「NPO法人kokoima」設立総会の様子。

 

 

 

写真展メンバーたちの日常とさらな「大チャレンジの予感……

 

Caféここいまオープン後、メンバーたちは各々のペースで浅香山病院からCaféここいまに通うようになった。例えば、文学や音楽が大好きな治村正信さんは「大切な場所、皆でつくったこのおみせ・ここいまを残しておく」と言いながら店前の路上中央にドカンと座り込み、黙々とお店の姿を写生。完成したスケッチに自らの詩を書き込む。そう、彼は詩人なのだ。僕もこれまで彼の幾つもの詩がしたためられたノートを見せてもらってきた。

 

 

店の前で写生を始めた治村さんと詩の作品。

 

 

いつもベレー帽を被ったお洒落で物知りな西口賢一さんは、体調を崩し身体の治療を行っていたがようやく回復。Caféここいまに遊びに来て、写真家の大西暢夫さんや知人の看護師さんたちに向け、kokoimaのFacebookを通じて「自分が元気である」ことを発信することに。

 

 

看板の前で同伴してくれた師長さんと記念撮影をする西口さ(右)。

 

 

おしとやかだけどしっかりご自身の意見も述べる益田敏子さんは、Caféここいまで正面扉のガラスにイラストを描いたり、ここいまの電話を使って携帯通話をかける練習をしたり。また、カフェ開設から5ヵ月ほど経った5月17日、彼女の73歳の誕生日2が開かれることになり、集まったメンバーが彼女を囲みケーキセットでお祝い会を開いた。そこで彼女がお祝いカードに書いた「73歳でやりたいこと」が、この場に居合わせたメンバーたちの夢を膨らませることになる。

 

 沖縄へ旅行してみたい 一生の内に

 

 

前列左端が益田さん(後列右:小川貞子さん、中央:廣田安希子さん)。

 

 

次回は、益田敏子さんのこの一言から始まった、前代未聞の「精神科病棟長期入院患者たちによる沖縄旅行珍道中」について、紹介していこう。

(つづく)

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お知らせ ◉ 2018年8月4日(土)に大阪医科大学で開かれる「臨床実践の現象学会」第4回学術大会で、NPO法人kokoima代表の小川貞子さんが、村上靖彦さん・吉川雄一郎さんとの座談会に参加されます。詳しくはこちらをご覧ください >> 詳細

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*2:のちのちにわかったことだが、この誕生日の時点で益田さん、実際は71歳だったそうだ(笑)。

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