第3回:看護の「個別性」は特別なのか?
── 田川 欣哉 氏(Takram代表)インタビュー

    

 

医療は決して特異な世界ではない

 

吉岡 田川さんには医療の分野がどのように見えているのかお聞きしたいです。

 

田川 日々ユーザーとして医療に接する中では、もう少しどうにかならないものかと思う部分もあります。身体の具合が悪いのに病院まで出かけなければいけないストレスや、待合室での長い待ち時間、専門の縦割りなどです。たとえば美容院に行って長時間待たされた挙げ句に髪を切る時間が5分で、会計でさらに何十分も待たされることなんて、ありえないじゃないですか。

 

吉岡 美容室の会計でそんなに待つのは、ありえないですね。

 

田川 もちろん個々の病院などですばらしい実践をしているところはありますが、業界全体のレベルとしては、すでに実施されていてもいいはずの改革が行われていないのではないでしょうか。「髪を切るのと一緒にしないでくれ」と言われるかもしれないけど、さまざまな突発的アクシデントが起こる中でも大量の来訪者をきれいに捌き、快適な体験を提供している例や、きつい規制の中でも快適性を実現している例は、世の中にはたくさんあると思うんです。

 

どの産業分野でも、現場の人たちはそれぞれに「自分たちは特殊なんだから」という“できない理由”をたくさん持っている。だけど特殊な理由なんてどんな業種にもあるはずです。それを変えるか変えないかは、結局そのサービスを提供している側の意識の問題なのかなと思います。

 

吉岡 看護や医療でもそうしたデザインについて教育をすることで、デザイン的な視点からものごとを整理して考えるようになってくれば、いろんなことがもっと良くなるかもしれませんね。

 

田川 それはあるかもしれないですね。デザインの専門家が現場に入るときに最初に行うのが「オブザベーション」(ユーザー観察)です。現場の観察とともに、働いている人や患者に対して多くのインタビューを実施し、うまくいっていない場所がどこにあるのかを探ります。特に働いている人たちは、すでに問題の解決方法を心の中に持っていて「ここをこうすればいいのに、どうしてやらないのだろう」って思っている。つまり方法自体はすでに存在しているが、体系化や実施がなされていない場合も多いです。

 

一人ひとりの頭の中にある改善案が組織として吸い上げられていなかったり、吸い上げられているのに実行ができなかったりします。それは病院の場合でも同様でしょう。詳しく見ないと実際のところはわかりませんが。

 

吉岡 外側から見たとき、やはり医療の世界はとらえ難かったり、入り難く壁が高いかもしれません……。

 

田川 繰り返しになりますが「医療は特別」と考えすぎると動けなくなってしまうので、あえて業界は関係ない、と考えた方がよいのかもしれません。

 

吉岡 関係がない?

 

田川 たとえば「物流の現場」のことを聞かれても、物流業界の外にいる人には詳しいことは全然わからないですよね。

 

吉岡 そうですね、確かに。

 

田川 外から見れば、どこの領域も同じようにとらえ難いし入りにくいものです。程度問題として言えば、医療だけが特殊でわかりにくいということはないと思います。やるべき取り組みに対して品質を上げていかなければ、その業界の中で生き残っていけないというプレッシャーがかかっているかどうかの違いしかない。放っておいても利用者が来てくれるような領域では、そうしたプレッシャーが低い。そちらのほうが進化を阻んでいるのかもしれません。

 

 

普通だとそうしたプレッシャーつまり競争からこぼれてしまえば、倒産して市場から退出することになる。そうやっていいものだけが残っていくんだけど、たとえば規制で守られているような産業には古いものが温存されがちだと思います。冒頭でも話したとおり、デザインは人々が現場で体験することの質を上げる仕事なので、「質が低くてもいい」という場所ではデザインの必要性が顕在化しないんです。だからもし医療現場にデザインというものがあまり入らない理由があるとすれば、そこじゃないでしょうか。

 

吉岡 僕自身がやっていることも非常に希少な取り組みではありますが、それらがケアの質を向上し得ることは間違いないという信念を思っています。しかし経済的な落としどころをどう見つけて社会に実装していくかとなると、その難しさをいつも実感しています。

 

田川 そうですね。より良いものを提供すると高いお金が取れるとか、たくさんの人が来てくれて、そこで稼いだ利益でまた再投資できるのであればいいんだろうと思うんですけど、そういうリターンが無いと継続が難しいですよね。経済合理性から考えるとそうなります。一方で医療の質をたゆみない努力で上げていこうと思っている改善マインドの高い方々もいるのではと思います。そのような方々は、一つの方法としてデザインを取り入れると、その他の手法ではできないような質の改善が可能となるかもしれません。改善マインドの高い人とデザインは仲良しです。

 

さらに言えばデザインのことをたとえ知らなくても、おそらく改善マインドが高い人たちというのは、すでにデザイン思考的なアプローチで問題解決をしている場合が多いと思います。そういう人たちには手法としてのデザインを知ってもらうと、より良い使い方を考えてくれると思います。

 

 

そもそも「看護の個別性」は特別なのか

 

 

吉岡 経済的合理性から得られる成果以外に、デザイン的な立場から行える評価の方法というものは何かあるでしょうか。医療の中でも看護においては、経済的合理性とは別の視点でその商品なりサービスが「ケアに必ず役に立っている」ことを、どのようにとらえるかが課題だなと考えているんです。

 

田川 本当に役に立つものであれば「欲しいね」っていう人が増えると思うんですが、つまりそうじゃない理由があるんですね?

 

吉岡 治療を中心とする場合、その治療法の有用性については統計的なエビデンスが明確な評価・判断基準としてあります。経済的合理性もそのエビデンスの高低に関わる要素の一つです。一方、看護が提供するケアは必ずしも治療における治癒のようなゴールが明確にはありません。たとえば末期がんの患者さんでも、治るためにできる限りの治療を望む人もいれば、病気を受け入れて残された時間を安楽に過ごしたい人もいます。つまり優位性の淘汰では割り切れない部分があるんですね。そう考えると多くの人が必要とする物を金型でたくさん複製する方法では、より良い看護ケアを提供することはできない気がするのです。それぞれの患者ごとの個別性がすごく高くなっていくので……。

 

田川 個別性の話を「業界特有の難しさ」と考えすぎると、また動けなくなってしまいます。たとえば世の中で売られている物やサービスは、個別性の高いものにフィットしてつくられているものも多いように思います。看護だから個別性が高いというのは本当なんだろうか、っていう視点も大事なのでは。

 

吉岡 田川さんがおっしゃるように、確かに「看護だから多様化している」という言い方はもしかしたら……。

 

 

田川 それは、ひとつの業界が長い人たちの思い込みなのかもしれません。逆に言えば、どの業界も複雑なんですよ。おそらく誰もが自分の分野こそ課題にあふれているから身動きが取れないと思っている。だけど結局はその複雑な課題を解くか解かないかだけの話です。確かに、どうしても解けない問題もあるけれど、自分たちがいる業界「だから」すごく難しいというように特殊化しないほうがいいのではないかと思います。

 

 

    

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教養と看護編集部のページ日本看護協会出版会

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