第1回「現象(意味)

 

 

現象学という哲学では、物事や出来事や人々が何らかの意味を帯びて経験されたり出会われたりすることを、「現象」(phenomenon)と呼びます。看護の場面を想定して、例を挙げてみましょう。

 

たとえば集中治療室(ICU)にはさまざまな医療機器が備え付けられていますが、それらの機器は、ICU勤務の看護師たちにとっては馴染みのものであり、それが何なのか、何のために使用される機器なのか、どこでいつそれを学んだのかなどを改めて振り返って考えてみるまでもなく、それぞれが「生体情報監視装置」や「人工呼吸器」として見られていることでしょう。

 

このように、ICU看護師には、各々の医療機器が生体情報監視装置や人工呼吸器という意味を帯びて現われ、直接的に経験されている。これが現象学で言うところの「現象」の一例です。

 

しかし、患者やその家族には、同じ機器がどのようなものなのかわからず、さまざまな数値をモニターに映し出し、不気味な音を発する機械という意味を帯びて経験されているかもしれません。とすれば、患者や家族にとっては、同じ医療機器が看護師たちにとってとは異なる意味合いで「現象」していることになります。

 

医療機器などの物に関してだけではありません。何人かの看護師が一人の患者を担当する場合、各々の看護師のこれまでの経験や、性格・信条などによって、その患者がどういう患者なのかというその理解・受け止め方が看護師ごとに異なってくるということもあるのではないでしょうか。とすれば、物についてだけでなく、人に関しても、同一人物が各人にとって異なる意味を帯びて出会われ、経験されるということが、いくらでも起こりうるわけです。

 

さらにこういうこともあります。たとえば皆さんは、今は何でもない「採血」という手技を、新人ナースの頃は、今とは異なった(たとえばなかなかうまくいかない難しい手技という)意味合いで経験していたのではないでしょうか。また、一人の患者に対する理解が、その患者に接して表情を見たり、話を聞いたりすることを重ねるうちに、次第に変化してくるということも皆さんはしばしば経験されているのではないでしょうか。

 

自分自身が経験を重ねることによって、同じ物事や人々が自分にとって異なる意味を帯びて現象し経験されるようになるというのも、よくあることなのです。

 

このように、現象学は物事や出来事や人々が、経験を重ねることによって異なった意味合いで経験されたり、人によって異なった意味合いで経験されたりして現象することに注目し、そうした意味経験(意味現象)の成り立ちを明らかにしようとします。

 

この「成り立ち」とはどういうことなのか、またそれを現象学がどのように明らかにするのかについては、また別のキーワードの解説において詳しく述べたいと思いますが、ここではまず、「意味」という言葉が、ふつう私たちが理解する「言葉の意味」ではなく、もっと広く理解されていることに注意してください。

 

たとえば、私は先にICU看護師にはICUに設置されている医療機器が「生体情報監視装置」や「人工呼吸器」という意味で経験されているという趣旨のことを述べましたが、この場合「生体情報監視装置」や「人工呼吸器」という言葉の意味が問題になっているのではなく、看護師によってその機器が、何らの推論も科学的説明も加えられることなく、生体情報監視装置や人工呼吸器として直接的に経験されているという点がポイントです。

 

患者やその家族にとっても、その同じ医療機器がさまざまな数値をモニターに映し出し不気味な音を発する機械といった意味合いで直接的に経験されていることがポイントであって、「さまざまな数値をモニターに映し出し不気味な音を発する機械」という言葉の意味が問題になっているのではありません。

 

意味とは、物事や人々が直接的にどのような意味を帯びて経験されているのか、というその意味合いであり、そうした意味を帯びた、直接的に生きられている経験が、現象学における「現象」なのです。

 

それでは、実際の看護事例を題材にして説明していきましょう。西村先生、よろしくお願いします。

 

 

   

(事例提供:西村 ユミ

教養と看護編集部のページ日本看護協会出版会

© Japanese Nursing Association Publishing Company

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