『テクニウム』(原題 "What Technology Wants")の著者、ケビン・ケリー氏。本書で彼は、テクノロジーをより大きな概念で生態系のような場と論じている。(Kevin Kelly speaking at the Long Now Foundation about his new book, What Technology Wants. San Francisco, CA, 2011. / CC BY 3.0)

結局、テクノロジーという概念がはっきり意識されるようになったのは、コンピューターが一般化して、誰もがパソコンを使い始めた90年代以降のことだろう。最初はゲームが中心だったが、ワープロや表計算、DTP(Desktop Publishing)のようなビジネスに使うツールがあらわれ、パソコンの性能が向上して大きなデータをより効率よく処理できるようになると、文字ばかりか画像や動画を扱えるようになって「マルチメディア」という言葉も普及した。1995年にWindows 95が出されると、インターネットの利用が本格化し、ビジネス以外に個人の生活ツールやエンタメ系のソフトが充実し、誰もがパソコンの機種名やソフト名を日常会話で交わすのが当たり前の世界になっていった。

 

当初はハードウェア(パソコン本体)とソフトウェア(アプリケーション)を組み合わせるという考え方は新鮮で、より高性能なハードでより最新のソフトを動かすことがトレンドやブームとなって市場が急速に成長した。ハードの種類で使えるソフトが制約を受けていたが、そのうちにWindowsでもMacでも使える互換性を持ったソフトが出始め、ウェブが普及し始めると、パソコンの中にはネットを使うためのソフトさえ入れておけば、ネットの中にあるソフトを共通に使えるようになり、そのうちにハードの価格が下がり始め、高かったソフトの多くがタダで提供されるようになった。

 

科学技術とも訳されるテクノロジーは、こうしたデジタル環境を構成するノウハウとして意識されるようになり、いろいろな現象の基本にある原理(科学理論)を実際の世界で動くように応用する技術や実装を指すようになった。特にコンピューターによるシミュレーションが、理論と実験に次ぐ“第3の科学的手法”として認知されて以来、自然や社会の複雑な現象解明や、製品の設計のためにも広く使われるようになり、世界のすべてのものの仕組みの理論をソフトとして記述してコンピューターで扱うことが当たり前になり、テクノロジーもこうした文脈で捉えられるようになった。

 

そして、専門家のノウハウをAI(Artificial Intelligence)というソフトに移植すれば、ホワイトカラーや学者やアーチストを助けたり、いままでの仕事を代行したりしてくれる時代が来る、というビジョンも語られるようになった。

 

 

テクノロジーは人間の技を超えた存在

 

そうなると、テクノロジーという言葉が意味するものの中には、インフォメーション・テクノロジー(IT)やバイオ・テクノロジーなどのハイテクと呼ばれるものから、人類がいままで扱ってきた火や石器、鉄器、水力、蒸気、電気、機械などの手に触れられるものばかりか、言語や文学作品、法律やアート活動全般も入れなくてはならないだろう。コンピューターのソフト(アルゴリズム)も、元をただせば15世紀末の複式簿記の発明から始まり、近代国家で作られた法律などのさまざまな社会的な規約や手順を明文化したものがルーツと考えられる。

 

この融通無碍なテクノロジーの性質に注目した、アメリカの有数のデジタル・カルチャー誌「WIRED」の創刊編集長を務めたケヴィン・ケリーは、個々のテクノロジーの奥にあるもっと汎用的な性質を「テクニウム」(Technium)と名付けた。

 

 

『テクニウム〜テクノロジーはどこへ向かうのか?』

ケビン・ケリー著、服部桂訳

みすず書房、2014年

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ベトナム戦争が起こり大学紛争も盛んだった1960年代に青春時代を過したケリーは、親の世代の生き方に疑問を持った若者がロックやドラッグで反抗したカウンターカルチャー(対抗文化)の洗礼を受け、大学をドロップアウトしヒッピーとしてアジアをさまよっていた。そして大企業が大量生産を行うための製造テクノロジーや、国や組織が人々を支配しようとする情報テクノロジーに懐疑的になり、できれば一生テクノロジーと付き合いたくないと、山の中で自給自足の生活をしていた。

 

ところが、生活のために行っていた旅行ガイドの出版で用いるツールとしてパソコンを使うようになり、それを電話線で当時の「パソコン通信」と言われるインターネットの前身にあたるようなシステムにつないだところ、大した機能もないパソコンを通して人々の声やアイデアが飛び交うのに遭遇した。そこでケリーは、テクノロジー自体に善悪はなく、その使い方次第で人々を結びつけてより自由にする道具にもなると実感したという。

 

この時代にテクノロジーが注目されるようになったのは、第2次大戦でレーダーが実用化され、ENIAC(Electronic Numerical Integrator and Computer)に代表される電子式のコンピューターができるという、それまでにはなかった大幅なエレクトロニクスの進化があったことが大きいだろう。そして家庭の労働を軽減する電気洗濯機や冷蔵庫、掃除機、さらにはテレビやテープレコーダー、オーディオなどの情報を扱う家電などの普及も、家庭から社会全体のテクノロジー化を進める要因となった。

 

デジタル化のきっかけとなった初期のコンピューターは部屋ほどの大きさがあり、会社や組織の中心にある社長の代行のような機械だったが、もっと小さなミニコンが出てくると各部署で導入して日々の業務に使える部長のような存在になった。さらにそれが小さくなると、個人が自分の机の上で使える友人のような関係になり、仕事以外の個人の楽しみにも利用できるようになった。

 

大きなコンピューターは一方的に処理を行い命令する管理や支配のための道具だったが、それが小型化して安価になると、日々の業務に使える相談相手になり、さらには友人として遊び相手にもなる。小さなコンピューターは大型機より処理能力はないが、その代わりにネットワークによって友人とつなげば、集団としてのデータや知識を共有できることで、総体として大型機の機能を上回ることもできる。それこそがまさにインターネットが実現してきた世界だった。

 

ケリーはこうしたネット化したテクノロジーを見て、それがハードではなくソフトの進化であり、それらが変化している姿を追っていくと生命の進化に似ていることに気づいた。現在のインターネットは人間のシナプス結合数に相当する17京個を超えるトランジスターが相互に結びついて世界中を覆っている巨大な脳のような存在だ。それ自体がまるで有機体のようにいろいろな情報をつなげ、多くの人々が検索や投稿で情報を流し込むことによって、脳が成長していくように新しい概念やアイデアを生み出し伝えていく。

 

そこでネットやコンピューター以外のテクノロジーにも目を向けてみた。たとえば、中世の甲冑を形で分類して時代別に並べてみると、前のスタイルに改良や変異が起きて変化していき、その流行の系統図は生物の進化図のように見える。多くの新しいテクノロジーは、ある一人の人間の思いつきではなく、エジソンが電球を発明した時、同時発生的に23人もの人が同じ発想をしていたように、カンブリア紀の爆発のようなイノベーションが起きている。

 

そして優れたテクノロジーは流行し、人の手を借りて増殖していき、優勢種のように世界を埋め尽くす。兵器のような破壊的で害悪を起こすテクノロジーを廃止しようとしても、結局全面禁止はできない。まるで、テクノロジーという何かの大きな運動体が生命のように歴史の中で増殖して進化していくように見えた。

 

そしてケリーは、テクノロジーは人間や自然と共生する新しい生命圏のような存在であると感じるようになった。ランダムで無秩序のように見える宇宙では、単純で物理的な力によって星や惑星や銀河系がある形を成し、さらには炭素からできたDNAにより生まれた生命が、個体を維持してエネルギーを消費しながら自分たちの秩序を作り、ひいては人間のような知性が宇宙の秘密に迫るような理論を構築している。そうした宇宙の進化の最先端で、生物である人間の力と共生しながら、情報を操作して次なるステージの変化を起こそうとしているのがテクノロジーではないか? その何かを彼はテクニウムと呼んだのだ。

 

現在の宇宙論では、宇宙は最初にビッグバンを起こした時ただのエネルギーの塊だったが、それがある程度時間が経つとエネルギーが冷えて物質化し、水素のような軽い元素が集まって星になり、次には銀河になり、やがてその星の一つである地球に、ただの無機質な物質を超えた生命が誕生したと考えられている。

 

 

宇宙の支配的な時間

我々の宇宙の近隣ではビッグバン以降、主要な力の相対的支配力は変化している。時間は対数で表示されているので、その表示単位は指数的に大きなものになっている。このため時間の発生した初期の数ナノ秒が、今の十億年と同じ長さになっている。

 

 

最初の宇宙はエネルギーが支配的だったが、徐々に物質が支配する世界となり、ついにはDNAというコードの書かれた炭素素子でできた生物が情報を操作して、無機質な物理世界では不可能なファンタジーをテクノロジーで現実のものにしている。つまり、生命は情報という新しい力をテクノロジーとして行使する存在であるということだ。

 

テクノロジーが宇宙の普遍的な力で物質の次を支配するとは、ちょっと気の遠くなるような話だが、現在のネット時代の表面的な現象の裏にあるもっと大きなメカニズムを、テクノロジー(テクニウム)という言葉で大きな文脈で考えるのなら、ネット時代の持つ意味や方向性がより明らかになるのではないだろうか。

 

── 次回へ続く

 

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前回へ連載のはじめ(全4回のテーマ)

 

◎参考図書

 

テクノロジーとイノベーションブライアン・アーサー著、有賀裕二監訳、みすず書房、2011年

イノヴェーションはどこから生まれ、どう展開し、どんな構造を持っているのか? 経済学の鬼才が、テクノロジーの性質を理論化する。

 

地球の論点〜現実的な環境主義者のマニフェストスチュアート・ブランド著、仙名紀訳、2011年

テクノロジーの進化など、世界の諸問題を文化人類学に経済学や生物学、地球科学まで幅広い知見を織り込み、独自の理論と哲学で俯瞰して読み解く。

 

「複雑系」を超えて─システムを永久進化させる9つの法則』ケヴィン・ケリー著、服部桂監修、アスキー、1991年

IBMと大腸菌は同じやり方で世界を見ているという。複雑なシステムに共通する原理とは? システムが永久に進化し、生き残るための法則とは何なのか。

 

技術への問いマルティン・ハイデッガー著、関口浩訳、平凡社、2009年

1953年の講演「技術への問い」を中心に編集された1940~60年代の技術論集。現代科学文明への最もラディカルな批判といわれる。

 

『技術社会』ジャック・エリュール著、島尾永康他訳、すぐ書房、1975

グローバルな拡張力を持つ「技術」のダイナミクスが社会のあらゆる領域の隅々にまで浸透し、人間存在がその構造連関に強制的に組み込まれていく事態を描写。

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