第2回:自分をまなざすZINE

まなざすということ

 

まなざす。これは私がZINEを綴じるとき、一番大切にしていることで、がんを患う少し前に綴じた初めてのZINEのコンセプトからきています。母が撮りためた家族写真を中心に編んだ作品で、母親のまなざしをとおした、ありのままの家族の姿が収められています。「まなざされた」という記憶が確かなものとして残されたその写真たちは、私にとって何よりも特別なものです。

 

優しさ、あたたかさ…そのような一言であらわすことは難しい、母のまなざし。言葉で誉められた記憶はほとんどない厳しい母でしたが、いつも適切な距離をもって、とにかく家族をよく見ていた人でした。自分が大人になって、改めて母の撮った家族写真を見つめなおすと、どれも家族のありのままの姿をそっと見守るような言葉にできない「母のまなざし」がこめられていました。自分も物事を見つめる時は、そのまなざしをもってZINEに綴じたいという気持ちをこめて、この言葉を大切にしています。

 

 

>>『母のまなざし』

 

写真をまなざす

 

この『母のまなざし』(2013)は、私を育ててくれた母親の記憶が宿る写真を、娘の視点から見つめなおして綴じたZINEです。脳出血を患い7年弱寝たきりだった祖父が他界し、初めて近しい身内との別れを経験した時の「なんで元気な時にもっと想いを伝え合えなかったのだろう」という大きな後悔が動機となり、節目節目で家族に想いを贈る提案として制作した最初の1冊です。32枚の家族写真1枚1枚から思い起こされる娘の側からの記憶を、15字前後の短い語りにして添えています。日々の暮らしではなかなか言語化することのない想いを本に綴じ、親に贈ったこのZINEは「わたしの“とっておき”」というテーマで開催されたPhotoback Award 2013というフォトブックのコンテストでも注目され、国内外で展示されました。

 

「生きてきた記憶」という膨大でとても個人的なものを扱うからこそ、多くを語らないこと。すべてをただ「束ねる」のではなく「編集」という視点で削ぎ落しながらも、できる限り手を加えずに、ありのままを「綴じる」程度に留めること。掌に載る、誰でも手にとりやすいかたちに収めること。そして、他者の記憶も重ねられるだけの余白を大切にすること。その余白に、読み手が自分の幼少期の記憶を重ねたり「この子が大きくなって、こんな本をつくってくれたら…」と娘さんや息子さんの将来を想像しながら涙を流したり。手にとった多くの方々がそれぞれの記憶や想いを重ねながら語っていく、記憶の呼び水のような存在になりました。

 

 

>>『かぞくのことば』

 

言葉をまなざす

 

かぞくのことば』(2014)は、私が29歳でがんを患い、抗がん剤治療を終えた後に綴じたZINEです。病をきっかけに突然生じた混乱や、言葉にできない苦しみ。まだまだ整理はつかずとも、寛解という現実に対して自分なりの「ひと区切りをつける」ことを目的に「家族から受け取った言葉」から印象的だったものを一人一言ずつ集め、その時に感じた自分の気持ちをたぐり寄せて綴じました。

 

支える側と、支えられる側。たとえ家族であっても取りはらうことの難しい隔たりの間に、それぞれの言葉を置いてつなぎなおしたこのZINE。展示をすると「実は私も……」「私の家族も……」と何人もの読み手から、内に秘めていた病にまつわる記憶や想いを聴き、初めてお会いしたとは思えないほど深く語り合うことができました。

 

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