「じゃぁ今から行こう。お母さんにちゃんと下着をつけてあげようよ

──(本文より)

©2020 Taeko Hagino

登 場 人 物

東尾太郎:この物語の主人公。県立南城高校ラグビー部に所属している高校生。あまり自分の感情を表に出さない。

太郎の母:九西大学病院の元看護師で、現在は同大学で看護学教員として働く。脳の出血で救急搬送される。

慧  人:太郎の幼なじみで母親がいない。父親は太郎の母と同じ九西大学に勤めている。

ツッツー:慧人と同じく太郎と幼なじみ。家は歯科医院で両親が共働き。うんちく好きのマニアックな趣味を持つ一人っ子。

澤田久美子:校門の前にある電気屋の看板娘。介護が必要な祖母と妹、父と母との5人暮らし。さっぱりとした性格。

田村さん:九西大病院のソーシャルワーカー。その誠実さで周囲からの信頼が篤い。母を通して太郎を幼少より知る。

朔   先生:九西大病院の医師。母が看護師の頃、勤務を終えるのを待つ太郎をよく気にかけてくれていた。

  

 

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運を持つ男

 

正面玄関から広がる楕円型の空間をピロティと呼ぶそうだ。すこし薄暗くて涼しく、裏には学生の靴箱があり、その先には校庭が広がっている。

 

最近、ツッツーがひったくりの犯人を捕まえ、そのことがローカルニュースで放映されていたらしい。全校集会で表彰もされた。ツッツーは運を持っている男だ。そして足が速い。彼のばあちゃんが大喜びして、その日の夕食は2人で焼肉に行ったそうだ。

 

ピロティに貼りだされたばかりの、県警からツッツーへ贈られた薄黄色の感謝状が、薄暗い中で際立っている。それを見上げながら、澤田久美子は男子3人に澤田家の家庭事情を淡々と説明し始めた。

 

「ツッツー、あんたは運を持っとるよねぇ。おばあちゃんは焼肉も食べれるし、元気でいいねぇ。うちのばあちゃんは焼肉なんて喉に詰まるだろうから食べれんし、一緒に外に出かけることもない。妹も美味しいものを美味しく食べてほしいんだけどできない……」

 

ツッツーも慧人も太郎も、腕組みをして澤田の話に耳を傾ける。

 

「ウチ、ばあちゃんと妹の面倒を看ている親を、やっぱり大変だなぁって思うことはあるなぁ。太郎君は、それがはじまったばっかりやろ……。あぁごめん。お母さんはよくなるかもしれんし。うん、きっとよくなる。……ぃゃ、よくなるかもよ。失礼やったね。ごめん、ごめん。やっぱりウチとは違うかな」

 

太郎は頷かなかった。澤田の言葉へ同意したくない気持ちと、自分の母親がこれからよくなると言われても、説得力はないし自分にも想像できない。簡単によくなると言い切れない気持ちを、黒い瞳は見抜いたようで、話を切り替えた。

 

「さ、これね。私が家にあって役に立つって思っているものセットね。太郎君の場合は、下着の心配とパジャマやったね」と、百貨店の紙袋を差し出す。

 

『あいつなら絶対に大丈夫』と澤田久美子に太鼓判を押したツッツーの目は確かだったと、太郎は思った。

 

「さてさて、お母さんのブラシャーね。たんすの中には、多分後ろでホックを止めるタイプのブラジャーがたくさんあると思うけど、どう?」

 

「さあ、知らん」

 

太郎はぶっきらぼうに言う。すんなり「そうだよ」というのは不自然な気がするし、もしかすると不気味に聞こえるだろうし、何より恥ずかしい。

 

「多分、いやきっとそうよ」

 

自信たっぷりでフフフと笑うのは、澤田が付けているブラジャーがそうだからなのか? 太郎は、澤田のブラウスの中のブラの形を覗いたような気分になる。慧人をみると顔が赤い。

 

『こいつも想像してるらしい……』

 

クククと笑いが出そうになる。

 

 

そんなこと言われても……

 

「あのね、ブラジャーね、手が不自由な人につけてもらうなら、前で留めるタイプのほうがいいんよ」

 

大丸の紙袋から取り出したのは、淡いピンクのブラで前にマジックテープがついていた。

 

「はい」

 

太郎に手渡されるが、すぐに大丸の袋に押し込んだ。何をどうしろというのだろう。ただ、マジックテープがついているから洗濯の方法だけはわかる。

 

『洗濯ネットを使うべし!!』

 

拳にぐっと力が入る。

 

「お母さん、今、ブラジャーつけてないの?」

 

「うん」

 

「早くつけてあげようよ。ノーブラってどうなのよ?」

 

「いや、そんなこと言われてもさ……」

 

「じゃぁ今から行こう。お母さんにちゃんと下着をつけてあげようよ。ね、ツッツーはどう思うの?」

 

「今から病院にいこうぜ」

 

ツッツーは、ほらねという顔を太郎にむけた。それならば、皆で田村さんの話も聞いてもらおう。だって田村さんは傷病手当とか言ってたけれど、太郎にはさっぱりわからないから。

 

「あ、あとひとつだけ」

 

澤田は大丸の袋の中からピンクの靴を取り出す。この靴は足の甲の部分でマジックテープを固定するものらしく、片手でもはきやすいらしい。

 

「スリッパは危ないし、ふつうの運動靴だと麻痺がある人には介助なしに履けないよ。このシューズ、ピンクでかわいいやろ」

 

「ありがとう。使ってみるよ」

 

「うん。申し訳ないけれどさ、もしもよければ、ブラジャーも靴も母から買ってね。残念ながらボランティアであげる商品ってないのよ」

 

「もちろん」

 

澤田久美子はずいぶんとしっかりしたヤツで、太郎はそのビジネスライクな感じが嫌いではなかった。

 

 

お金のはなし

 

田村さんから待つように言われた「地域支援室連携説明室」は、外来の細い廊下の突き当たりにあった。

 

高校生4人は地域支援室の扉前でしばらくの間立ち止まっていたが、太郎が説明室をノックして、そろりと一歩入り、ツッツーの手を引っ張った。

 

ツッツーが入ると澤田久美子は、慧人の手を引っ張りながら入る。慧人はちょっと顔を赤くし、白い丸いテーブルを囲んで4人が座った。そのとたん、田村さんがグンと扉をあけ笑顔で入ってきた。

 

「あらら太郎君、大勢だね。君には心強いだろうね。申し訳ないけれど、あと30分待てるかい? ちょっと一件用事があるから」

 

「はい」

 

太郎が皆に『大丈夫だよな』と目配せすると、皆が頷く。

 

田村さんが出ていくと、慧人が太郎に申し出る。

 

「きっと、俺ら4人でもいいんだろうけどさ、うちの親に来てもらおうか?」

 

それは名案だということで、10分もせずに慧人の父親がやってきた。

 

「お待たせ」と言いながら戻ってきたとたん、この大学の人事部長を務める慧人の父が座っていることに驚いた田村さんが、「わっ」と声を上げる。

 

「太郎君は息子の友人で、息子が同席しろって言うものですから……」

 

慧人の父は笑顔で挨拶をしながら、ちらりと腕時計に目をやる。忙しいに違いなかった。

 

   

 

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教養と看護編集部のページ日本看護協会出版会

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