[連載小説]ケアメンたろう 第7話 澤田久美子の事情 文・西尾美登里/挿画・はぎのたえこ

©2019 Taeko Hagino

「ツッツーの携帯は、澤田から着信があるたびにトュルントュルンと着信音が鳴る。2人の仲が良いことがわかった

──(本文より)

登 場 人 物

東尾太郎:この物語の主人公。県立南城高校ラグビー部に所属している高校生。あまり自分の感情を表に出さない。

太郎の母:九西大学病院の元看護師で、現在は同大学で看護学教員として働く。脳の出血で救急搬送される。

小泉弘美:学年でかわいいと評判のラグビー部マネージャー。“自分に好意があるかも”と淡い期待を抱く男子が少なくない。

慧  人:太郎の幼なじみで母親がいない。父親は太郎の母と同じ九西大学に勤めている。

ツッツー:慧人と同じく太郎と幼なじみ。家は歯科医院で両親が共働き。うんちく好きのマニアックな趣味を持つ一人っ子。

文  月:切れ長の目を持つハンサム男子。足が速くラグビーの華といわれるウイングの14番。同級生の女子にモテる。

澤田久美子:校門の前にある電気屋の看板娘。介護が必要な祖母と妹、父と母との5人暮らし。さっぱりとした性格。

  

 

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青い車で海へ行こう

 

「うっ……ううっ」

 

すし屋の自転車置き場で、食べすぎたと言って慧人がうずくまっている。いつも冷静な慧人が、こんなふうに取り乱したり羽目を外す姿なんて、これまで想像したこともない。澤田久美子のことが気になって箍が外れたのかな? と太郎は思った。

 

ツッツーは、そんな慧人の姿を見て「ククク」と笑いながら写真を撮っている。慧人はツッツーをじろりと睨み、胸を張って一瞬立ち上がってみたものの、すぐに「だめだ」と言いながら身体を「く」の字に曲げ、ついには駐車場のアスファルトに手をついた。

 

……動かない……しばらく時間がかかるな……。

 

3人は店の脇のブロックに腰かける。交差点の角に位置する駐車場にはひっきりなしにさまざまな車が出入りし、前後左右を行き交う。今日は天気がいいわりに、空気が霞んでいる。

 

「PM2.5、かなり飛んでるらしいよ。排気ガスやら有害な塵やら、俺らはいろいろと身体に悪い空気に囲まれているんだろうな」と、いつもおどけたやつのくせに、ツッツーがそういう小難しいことを言う。

 

「うん。俺ら、けっこう吸い込んでるってことか」

 

太郎はそう言いながら、相変わらず苦悶している慧人を見る。

 

「今から澤田に連絡するから」ツッツーが太郎にそう告げて、携帯を取り出しラインを始めた。澤田から着信があるたびにトュルントュルンと着信音が鳴り、2人の仲が良いことがわかった。

 

「太郎、お前今日は何か用がある?」

 

澤田に返信しながらツッツーが聞いた。

 

「いや」

 

太郎の横で慧人も一緒に首を振る。

 

「澤田、さっそく相談に乗るってよ。今から学校へ戻ろうか」

 

まだ腹が納まらないくせに、慧人は「俺も一緒に連れて行ってくれ」と言う。よほど澤田久美子に興味があるんだろう。太郎の携帯が鳴る。ソーシャルワーカーの田村さんからだ。電話の内容は、医療限度額の申請手続が一カ月ごとに必要だということと、そろそろ九西大学病院から退院の話があるだろうから、次の病院を考えていたほうがいいとのことであった。

 

「僕も相談したいことがあるんです」

 

と太郎は田村さんに告げる。母親から託されたToDoリストの4つ目に「生命保険の請求」と書かれており、それらの書類作成について質問しようと思っていたからだ。

 

「太郎、病院からか? 大丈夫か? 何かあった?」

 

慧人とツッツーが心配そうに尋ねる。

 

「大丈夫。ところで慧人の腹は落ち着いた?」

 

慧人はニヤリとして親指を立てる。その顔は引きつったままで、相変わらず腹部を抱えながら前屈していたが、それならと自転車にまたがり、3列になって学校を目指した。

 

去年の夏は、この3列で糸島の海まで2時間かけて泳ぎに行った。

 

 ♪ 君の青い車で海へ行こう。

   置いてきた何かを見に行こう ♪

(スピッツ「青い車」/作詞・作曲:草野正宗)

 

太郎たちは、お気に入りの歌を天に向かって声を上げた。そんな3人を次々に車が追い抜いていく。なかには“面白い男子がいるな〜”という表情をして、車の扉を開けて彼らに目を向ける大人もいた。

 

行きがけはスピッツの歌を何度も合唱していたのに、泳いだ後の帰りは「……。」ずっと無言だった。自転車に乗りすぎて尻が痛かったのだ。立ち漕ぎの3列が、2時間半かけてそれぞれの家に帰宅したときには部活の後よりも疲れていた。太郎の母親は呆れたように笑った。

 

でも受験生の夏に、もう泳ぎに行く時間はない。みんなで歌いながら自転車を漕いだ夏の日も、母親の呆れ顔も、思い出になった。

 

部活に所属する3年生は、5月を過ぎると次々に引退していく。しかしラグビー部だけは最後まで残る。なぜなら、秋に花園予選が始まるからだ。勝ち残っていけば、引退はセンター試験直前の1月になる。南城高校のラグビー部はそこそこ強いので、太郎たちは11月から12月の初旬あたりまで部活が続くと読んでいる。

 

かつての先輩たちを見ていると、新学年のはじめに予備校に通う3年生は全体の3分の1ほど、自習室に通う者がやはり3分の1。推薦以外で大学入試に挑む生徒は、夏ごろには本気で受験対策を講じているか浪人を決めているかのどちらかだ。

 

けやき通りの街路樹の淡緑がアーチとなって向こうまで続き、その左手には神社の樹々が真っ直ぐに伸びている。サワサワというこの音はどこから聞こえてくるのだろう……。

 

アーチの中を、3列はまっすぐに進んでいく。

 

 

“細かいお金”

 

午後の学校は静かだった。一階エントランスには発表のコーナーに「スーパー・サイエンス・ハイスクール(SSH):南城」と題された、新たなポスターが複数貼られている。「金賞受賞」の表示がある、ピンク色のティッシュの花がついたポスターのタイトルは「新たな蚊の発見」で、市内の大堀公園で捕獲した蚊の特徴が、従来知られているものとは異なることが書かれている。

 

この発表は新聞にも掲載され、今後は大学とコラボで研究をするそうだ。「発表者の中には、SSH指定校推薦で大学に入った人が結構おるらしい」と慧人が言う。ツッツーと太郎は「へぇ」といった顔でポスターを眺める。

 

「……お前、やっぱり実家、離れるつもり?」

 

ツッツーが慧人に尋ねる。

 

「たぶん。わからんけど、たぶん」

 

慧人が無表情にそう答えると「そうか、俺もわからん」とツッツーが言った。そして、その質問は太郎には向けられなかった。

 

 

   

 

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教養と看護編集部のページ日本看護協会出版会

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