「母親が働けないとか、動けないとかいうことを伝えたら、その女子はずっと自分のことを好きでいてくれるだろうか。彼女ができたとしたら、自分は新しい彼女に母親のことを隠さずに言うことができるかな。」
──(本文より)
登 場 人 物
東尾太郎:この物語の主人公。県立南城高校ラグビー部に所属している高校生。あまり自分の感情を表に
出さない。
太郎の母:九西大学病院の元看護師で今は同大学で看護学教員として働く。脳の出血で救急搬送される。
西野先生:県立南城高校ラグビー部の顧問。ラグビーをしていれば「人生、なんとかなる」と思っている。
田村さん:九西大病院のソーシャルワーカー。その誠実さで周囲からの信頼が篤い。母を通して太郎を
幼少より知る。
朔 先生:九西大病院の医師。母が看護師の頃、勤務を終えるのを待つ太郎をよく気にかけてくれていた。
小泉弘美:学年でかわいいと評判のラグビー部マネージャー。“自分に好意があるかも”と淡い期待を抱く
男子が少なくない。
慧 人:太郎の幼馴染で母親がいない。父親は太郎の母と同じ九西大学に勤めている。
文 月:切れ長の目を持つハンサム男子。足が速くラグビーの華といわれるウイングの14番。
同級生の女子にモテる。
澤田久美子:校門の前にある電気屋の看板娘。介護が必要な祖母と妹、父と母との5人暮らし。さっぱりと
した性格。
彼女ができたら
陸上部出身の文月(ふつき)はモテる男だ。ラグビー部ではモテ男の代名詞であるウイング14番で、点を取りに行く華がある奴だ。太郎が知る限り、足が速い男はだいたいモテる。女子からいろいろと言い寄られる文月自身は少し面倒臭そうだけど、贅沢だと思う。
うらやましい。
文月は目がシュッと切れ長で、醤油顔。あいつみたいな顔に産まれれば、自分のようにプロップでもいかつくても、太っていてもモテるのかもしれない。そしてたとえ母親に障がいが残ったとしても、モテるのかもな……。
中学の卒業では学ランのボタンも無傷だったし、17歳の誕生日まで女子から何ももらったことはない。文月は最近、部活が終わったらメンソール入りのシートで汗をせっせと拭いている。
「あいつ、最近彼女ができたらしい」
母親のことで、いろいろと気持ちがザワつく太郎の耳にも、その話が入ってきた。
「フーン…」
クールを装いながら、かなり可愛いらしいという、文月の彼女の顔を見てみたいと思っていた。
部活の終わりの挨拶が終わり、部室に行く途中に大介が「太郎、文月の彼女が校門にいる」というので、興味津々で校門に目をやると、立ち姿からして可愛い子だった。
「あいつ うらやましい。クソー」
と大介とグーの拳をコツンと乾杯させ、ニヤリと笑う。
シャツにボタンをかけながら、太郎は思う。『もしも今、自分のことを好きと言ってくれる女子がいたとしたら(あてはないし、ほぼ妄想)母親が働けないとか、動けないとかいうことを伝えたら、その女子はずっと自分のことを好きでいてくれるだろうか。彼女ができたとしたら、自分は新しい彼女に母親のことを隠さずに言うことができるかな』。
……そうだよな。あぁ、考えるのはよそう。自分の力ではどうしようもないことだし。ジャニーズ系のサッカー部の奴の中には、彼女とキスしたとかいう奴もいる。
ブラのホックだって外したとか……。
クソー。
18歳になる男子には、顔も体格も、そして母親の状況も、彼女ができるための格差がある気がした。世の中不公平だ。
ナッツボン
母親の病床に行く度に、見たことがある誰かが抜け、見たことがない誰かが入っている。しかし部屋が変わったのは初めてだった。
「日当たりがいい部屋になれてよかった」
車椅子に座っていた母親は、眼をつぶったまま言った。
「よかったね。これ……下着、持って来たけん」
太郎が小声で言う。
「ありがとう」
呂律がしっかりと回らない母親の言葉は聞き取りにくい。左目の瞼も下がったまま、閉じたままだ。今後、職場復帰することができるのだろうかと心配になる。どうやら、周囲のおばちゃんたちは母親の物品を持参する親孝行な高校生男子に、興味津々だ。2人のおばちゃんが色々と質問をしてきた。他人に質問をされ、やたらと世話を焼かれるのは苦手だ。加えて質問攻めにあうと、まるで制服をぬがされていくような気分になる。
高校のこと、部活のこと、彼女のこと、目指す進路のこと。高校生男子には理解できない。人のことをなぜ根掘り葉掘聞くのか。半ば、あっけにとられて太郎が答えないでいると、別のおばちゃんが勝手に想像して答えをつくり、おばちゃん同士が笑っている。
手まで叩いて笑っている。
笑いすぎて、血管が切れたら困ると言っている。
けれど、母親も周囲の人にも血管切れた人がいるんだよ。デリカシーなさすぎてしょ。勘弁してよ……。母親には悪いが、同じ空間に居るのは耐えれそうもない。帰りたい。
病室メンバーは4人で、そのおばちゃん2人と、うまく言葉を出せないおばあちゃんと、太郎の母親だ。おばあちゃんと母親には酷であった。どうやら母親には、太郎が気の毒な少年に見えているらしい。太郎と目が合うと、『…ねぇ…』という表情で同情した。
母ちゃんも、どちらかというと、詮索されるのは好きじゃないから、結構我慢しているだろう。おばちゃん「たち」の片割れは、決まって周囲に飴をくれる関西訛りの50代である。いつもタオル生地のブルーのパジャマを着ている。脳の動脈に奇形の瘤があったから、その瘤にコイルを詰めたと言っていた。
もう一人は早口で、いつも旦那さんが面会に来て、いつも関西弁で夫婦喧嘩をしている。母親曰く、旦那さんは去年定年退職をして暇なのだそうだ。決まって13時に来て18時まで居る。前も母親と一緒の部屋だったらしく、一緒に移動してきたようだが、もうすぐ退院するらしい。
『よかったね。お母さん、少し静かになるよ』
太郎がアルミ製の椅子に腕組みをして腰掛け、目を閉じたところで「はい飴ちゃん、食べる?」と、ナッツボンの袋と関西訛りのおばちゃんの手が目の前に差し出された。
『いや結構です』
と太郎は言いたかったが、言えない。断ったら理由をまた詮索されるだろうし、勝手に答えをつくられるのだろう。まじダルイ。このおばちゃんも病人なんだし、病人には優しくしないといけない、という母親の言葉を守る。
「ありがとうございます」
裏腹なことを言って、ナッツボンを2つポケットにいれる。同時に家に帰ったら「忘れずにポッケから出さないといけない」と肝に銘じた。おばちゃんから三日前にもらった三角のイチゴ飴は、一昨日、制服のズボンの中で溶けてべたべたになっていた。
ズボンの右のポッケに手を入れると、洗濯したのに、飴が繊維の中に細かく入り込んだのが残ってパリパリしている。「飴よりも、ガムをくださいよといってみようか」言えるはずもない言葉を妄想してみる。