※社会福祉法人愛成会では、本事業において南関東・甲信ブロックの広域センターとして「東京アール・ブリュットサポートセンター Rights」を運営してきた。詳しくはホームページ、あるいは令和元年度事業報告書「まなざしラジオ」のPDF版を参照。
品川区内の障害福祉施設で実施している表現ワークショップ(緊急事態宣言発令前)の一コマより。
利用者さんたちがロール紙に自由に絵を描き、そこから「紙芝居」をつくるという内容。
はじめに
前回から長い時間が空いてしまい、楽しみにしてくださっていた読者の皆さんに、最初にお詫び申し上げたい。そして、この新型コロナウィルス蔓延の非常事態の中で、いまこうして僕が原稿を書いている2020年5月10日現在も懸命に患者のケアにあたられている医療従事者(とりわけこの「教養と看護」の主要な読者層でもある看護師の方々)に、心よりお礼を申し上げる次第だ。
本連載が滞ってしまったこの間、僕はこれまでの仕事と並行し、2019年4月から社会福祉法人の非常勤アートディレクターとして、東京都品川区の障害福祉現場で働いている。この1年間はちょうど施設の立ち上げ期であり、新しいチーム、新しい土地での挑戦に大きく時間を割いてきた。
加えて、同法人が運営する、厚生労働省による「障害者芸術文化活動普及支援事業」※のディレクターも兼務し、これまで以上に「障害福祉」というフィールドに根ざしてきた。現場に滞在する時間が大幅に増えるなか、第6〜9回まで順調に(!?)取り上げてきた、大阪府堺市のNPO法人kokoimaの取り組みについて、なかなかキャッチアップできず……!連載が1年も止まってしまったという、恥ずかしい事態である。
言い訳はこれくらいにし、執筆再開のうえで、コロナ禍における障害福祉現場から発信できることを、わずかながらもこのタイミングで綴りたい。とりわけ緊急事態宣言下における「自粛要請」にまつわる現場の混乱や苦悩。つまり、利用者さんのこれまで通りの生活を維持することと、感染リスクを高めないこととの狭間で日々揺れ動く現場から導き出された思考の過程を記していこう。
状況報告に先立って、現場の背景を紹介する。所属する社会福祉法人愛成会(本部:東京都中野区)では、現在、東京都品川区の公立障害者施設の指定管理事業に参画している。そこでの僕の役割は、本施設に通う(主に)知的障害のある人々(利用者)と地域社会をつなげるために、文化活動の機会づくりを行うこと。
もともと愛成会は福祉サービスの運営はもとより、第2〜5回で取り上げた社会福祉法人グロー(本部:滋賀県近江八幡市)と連携しながら、つくり手に障害のある人々も含めた日本の「アール・ブリュット」(生の芸術)を全国、ならびに世界各地に発信してきた法人だ。また中野区で商店街など地元住民と連携して「中野アール・ブリュット」というプロジェクトも実施するなど、障害者の理解促進、社会参加の一環として、アートを手立てにコミュニティを耕してきた。
以上の経緯があり、品川区では「文化」や「食」といった「障害の有無を超えて誰もが楽しく参加できるプログラム」を通じて施設を地域に開いていくことをモットーに、愛成会やグローを含む複数の法人で事業に参画。2019年4月から代替え施設で一部の活動を始め、10月から本施設において本格的にサービスを展開している。
愛成会が本施設で運営を担っている福祉サービスは以下の4つ。生活介護と就労継続支援B型事業(就B)をあわせた多機能型事業、短期入所(ショートステイ)、そして地域活動支援センターだ。事業のベースは通所型の生活介護と就Bに置き、利用者さんやそのご家族からとりわけニーズの高い短期入所を確実に運営するべく、スタッフ体制も充実させてきた。
また時に地域活動支援センターという福祉サービスを軸に、またアール・ブリュットにまつわる展覧会やワークショップなど文化的なイベントを軸に、これらを混ぜ合わせながら、施設に併設された展示室やホールを活用。ダンサーや音楽家や美術家、写真家や造園家など外部のクリエーターと連携しながら、利用者さん一人ひとりのユニークな人柄や個性を「才能」としてスタッフ間で共有し、地域や多分野に発信してきた。
あわせて就Bではレストランを運営。一流のシェフとも連携しながらカレーやドリンクを提供し、地域住民を交えた食事会や、障害のあるお子さんのいるご家族に向けた「食の相談会」などを行ってきた。
施設オープニングイベントでの身体ワークショップ(2020年10月19日実施)の様子
4月以降の状況
執筆時現在、生活介護と就Bの(毎日通所される)利用者はこの4月から新しく通所されている方も含めて14名。しかし緊急事態宣言が発令されて以降、現場では「どこまで自粛するべきか」で日々判断に揺れている。品川区から現場に下りてきた東京都福祉保健局の通達には「障害福祉サービスは、利用者の方々やその家族の生活を維持するうえで欠かせないものであり、利用者に対して必要なサービスを継続的に提供することが求められる」といった趣旨が書かれていた。われわれスタッフもその方針に倣って施設・事業の継続を決めつつ、利用者さん(のご家族)に電話をし、通所による感染リスクについても伝えたうえで利用の判断をうかがってきた。
第一義的に利用者さん(やご家族)の立場に寄り添えば、そう簡単に「通所の自粛」とならないことは予測がついた。ようやくここに通うことに慣れ、家族との良好な関係性を築いてきたのに、ご本人の(このコロナ禍という状況に対する)理解度もままならないなかで、もし突然通えなくなれば混乱を起こし、心身ともに不安定になる可能性が大いにある。
また、レストランで働くことに強いモチベーションと幸せを感じている利用者さんから、居場所を奪ってしまうことにもなる。「5月6日までの辛抱」(通達当時はそうだったが、実際は周知の通り5月31日まで延長)だったとしても、約1カ月自宅でのみ過ごすのはなかなかつらいだろう。また、通うべき居場所があることによってこそ、家族との良好な関係が成立している方々もいて、そこが崩れると虐待にまで発展するケースも可能性としてはあるのだ。
その一方で、われわれスタッフの中には、事業継続が必要なのは理解しながらも、やはり「通勤が怖い」という意見は一定数ある。終息の先行きが見えない状況下で、感染に怯えながらいつまで事業を続けるのか、利用者さんからの通所の自粛がない限りは、事業を縮小させたり、それに並行して出勤するスタッフ数を減らしたり、ローテーション勤務にするなどの方策を練る。しかし、その判断もすぐにはできない不確定な状況が続き、「とりあえずは感染防止対策を行いながら、これまで同様に働く」となれば、少なからず我慢を強いられるのもまた事実だ。
前述したとおり、われわれは指定管理事業として福祉サービスを提供しているため、区の判断を要するケースが多い。しかし区は都を、都は国の判断をうかがい、われわれ現場に対しては通達にあったとおりり「必要なサービスを継続的に提供する」方針を示しつつも、万が一感染者が出ればという最悪の事態を想定すれば「できれば利用は控えてほしい」というのが本音だ。
区の立場からすれば、それは構造的な問題であり、政策に対するあるべきビジョン(信念)を区民や利害関係者間で共通理解へとつなげられていない限り(少なくともその努力を日々していない限り)、一基礎自治体のトップや幹部が独自の判断を下すのは難しいのだろう。そのうえで「自粛」という言葉が一体どこまでの行動制限を伴うものと理解するべきか、われわれスタッフは現場において都度考えてゆかなければならない。ここから、利用者さんの日常の過ごし方という具体的・ミクロなレベルにおいて、さまざまな認識の「ズレ」が生じることになる。
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第十回
「空気」に言葉を与えること 言葉に頼らないこと
── コロナ禍における障害福祉現場の「自粛」をめぐっての一報告 ──
>> 今回の視点 〜 編集部より
今回アサダさんが焦点にされている「空気」とは一体何でしょうか。
「みんな」に迷惑をかけてはいけない、「みんな」我慢しているのだから……という、この非常にあいまいで、強い力をもつものの正体は何なのか。
この「空気」の表面を覆っている、のっぺらぼうで実態のない冷やかな仮面の下には、脆い生き物である人間の恐怖や不安が隠されているように思います。そして、私たちはなるべくそれを見ないようにし、「ないこと」にして生きることが、ある意味で得意なようです。
しかし、コロナ禍で社会のあらゆる矛盾や理不尽がむき出しになりつつある今、それらを「ないこと」にはできなくなりつつあります。いや、今だからこそ私たちはより主体的に「空気」の正体と本気で向き合わなければいけないのだと思います。
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