第五回

地域福祉の実現に並走する美術館運営とい「支援その4

― みんなの「居場所」となる展覧会は、新たな地域福祉のカタチだ ―

私が初めて魲万里絵さんの作品とお出会いしましたのは、我々の活動しております奥村邸の蔵の奥の座敷で、始めての第1回アール・ブリュット展(2014年の「アール・ブリュット☆アート☆日本」)に展示されました屏風の作品を観て、あの作品にちょっと、どういうかなぁ、最初観たときびっくりするような恐いような、気持ちの悪いような、それでもってまた色彩の美しさ、ピンク、青、グリーン、それの使い方、それにビックリしまして。なんか自分で衝撃的な思いがあったんだと思います。ほぼ、会期中毎日ほど私寄せてもらっておりましたので、まず一番始めに会場に来たとき、一番奥の蔵まで行きまして毎日観させていただいたわけです。毎日観させていただきますと、その、なんていうかな、ある部分ある部分新しい発見ができまして、そしてまた遠くから観ますとあの、万里絵さんはどういう思いで描いたんかなぁと。こっから観たら出産のシーンにも見えるし、また違うところから観たら万里絵さんがお母さんの胎内の中で自分の見えたことを描かれたんかなとか。そういう色んな思いが伝わりますのでね。それから毎日ファンみたいになってしもて(笑)。

(KBS京都ラジオ「Glow 生きることが光になる」第128回:2016年3月14日放送より)

 

 

<まちや倶楽部会場を担当した巽弓枝さんのお話>

 

2014年の第1回の際に、1歳(当時)の娘さんと参加された巽さん。もともと絵を観たり描いたりすることが好きだった。観光で訪れた近江八幡でたまたまアール・ブリュットと出会った来場者が思わず感動してくれたり、地元の小学生が立ち寄って「面白かった!」と言ってくれるなど、巽さんはさまざまな来場者との触れ合いを通して「迎え入れることに携わることができて誇りを感じた」と語る。また一方で、参加した動機の一つとして「子どもも一緒に参加できること」を挙げていた。他の子連れのご友人にもボランティア参加を誘ったという巽さんはこう話す。

 

やっぱり、子どもと一緒に連れていけて、一緒にお仕事させていただけるっていうのが、すごくみんな興味を持ってましたね。まず(娘が)その場に居ることでちょっと皆さん和んでいただけるっていうのと、あとはアンケートの鉛筆を渡す、「どうぞして」って言ったらお客さんに「どうぞ」ってしたりとか、あとは帰られる方に手を振ったり。皆さんとても笑顔で帰っていただいてます。

(KBS京都ラジオ「Glow 生きることが光になる」第30回:2014年4月28日放送より)

 

 

<NO-MAの2階で作品紹介をされた岩崎義雄さんのお話>

 

2016年の第3回に初めて参加された岩崎さん。NO-MAの2階で展示されたメンタルケア美術館(スウェーデン)の作品に関心を持ったようだ。岩崎さんの前職は精神科病院の看護師。退職された後にアール・ブリュットの存在を知ったそうだが、前職の観点からも、とりわけ(精神科病院の中から生まれた)メンタルケア美術館の作品を観る経験は、彼にさまざまな思いを去来させた。両面に夥しい文章と絵が描かれているペール・ヤルマールの平面作品を観ながら、岩崎さんはこう話した。

 

僕も精神科に勤務して、こういう風に白い紙にぎっしりと描いているのを観ましてね、日本で僕が勤務しているときもこういう風に患者さんがね、びっしりと新聞の広告の白い紙がありますね、それなどにね、描いて。それもですね、一杯、これと同じように隅々まで。やっぱりこういうのを観てね、あの頃僕も「あれ? 読めないような字で描くのは……」と思いまして、ずっと見過ごしましたけど、NO-MAのアール・ブリュット(の展示)にボランティアとして初めて参加させていただいてこの作品を観たときに蘇りましたね、現役時代の。ああ、こういうやっぱり患者さんが居ましたけど、見過ごしたことをなんかあの、後ろ髪引かれるような思いでした。

(KBS京都ラジオ「Glow 生きることが光になる」第128回:2016年3月14日放送より)

 

 

『アール・ブリュット☆アート☆日本2』(2015年2月21日~3月22日)の会場 旧吉田邸の様子。ボランティアスタッフが受付対応を行う。

 

 

他にも、「“NO-MAはどこですか?”とよく聞かれるので、(道案内だけでなく)一度どんなところか関わってみようと思った」というご近所のクリーニング屋の店主の方や、近江八幡で大工として地域の有名な建物の建築や修繕に長年携わってこられ、いまは老人ホームで暮らしながら自分なりの方法で地域に関わりたいという思いでこのボランティアに参加された方などもいる。

 

 

ありのまま。「居場所」としての展覧会づくり

 

僕自身、会期中に開催されたボランティアの座談会のファシリテーターを担当した際に肌で感じたのは、世代や立場は違えど、この活動が彼ら彼女らにとって大切な「居場所」となっていることだ。リタイヤした後もこの地域で培った知恵や技術を伝えてゆくために、子どもができても ──子どもができたからこそ──これまでとは違う関わり方で好きなことに関わり誰かの笑顔に触れるため、かつての看護の経験では見過ごしていた患者の創作行為のスゴさを再発見するため。アール・ブリュットの魅力を伝えるために開催されたこの展覧会が、地域の人々のさまざまな思いと役割を受け入れ、実現するプラットフォームとして機能する。

 

こう書くとやや尊大に聞こえるかもしれない。もちろんこの大規模な展覧会を運営するには単純に人手もいるし、そこにはボランティア・スタッフの存在は欠かせないというNO-MA側の実務的な背景だってあるだろう。そしてこれまでの10数年、この地域に支えられてきたからこそこれだけ多くのボランティアに参加してもらえたのも事実だろう。しかし、ボランティアのそれぞれの動機や役割に丁寧に寄り添い、彼ら彼女らをエンパワメントしようと努めることは、そもそも「展覧会(美術)」の前に「支援(福祉)」をやってきたNO-MA関係者(グローのスタッフ)からすれば、とても自然なことだと思うのだ。

 

僕がこう考えるうえで、とても示唆を与えてくれたボランティア・スタッフがいる。谷諒次さんだ。谷さんは家庭の事情もあり、高校三年生のときに不登校となった。次年度に復学を果し卒業はしたが、進路未決定。そのままニッチもサッチもいかなくなって8年間のニート生活を送るようになった。滋賀県内の精神保健福祉センターが行っていた若者支援の窓口に相談した際に、職員から「こんなボランティアあるけどどう? 一緒に行ってみませんか?」と誘われたのが第2回(2015年)でのボランティア募集だった。何かアクションすることに対する自信や興味を失ったわけではない彼は、こうしてこの展覧会に関わることとなる。

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>> 連載のはじめに・バックナンバー

魲万里絵氏の作例はこちら。「作家・作品情報」を参照。

2016年3月20日、近江八幡市内の酒游館にて開催された座談会「ボランティア・スタッフが観て感じた“アール・ブリュット”」のこと。展覧会を支えるボランティア・スタッフや、地域の方、NO-MA学芸員とともに「ボランティア」や「地域で開く展覧会」が持つ可能性について語り合った。

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