「生まれる」を考える意義

 

ここまで「生まれる」について話しました。生まれることさえ許されない世界がある、だからこそ「生きること」を考えてほしいのです。生まれてきたこと、生きていることはとても幸せなことなのです。もちろん日々いろいろなことがあるでしょうが、今ここに生きていることが幸せだという気持ちをもってほしいです。

 

二分脊椎症に限らず、生まれる前に行う検査でわかる病気はたくさんあります。そして、同じ病気で生きている人がどんな状況かを知らないままに重要な判断をしてしまう、判断しなくてはならない現実もこのように存在します。

 

もし、知らない病気を告げられたら、医師に聞くだけではなく自分で調べてほしいのです。疾患についての情報だけでなく、その病気をもった人がどのように生活を送り、どのような人生を歩んでいるのかを知って下さい。その知識の中からあなたなりの「生きる」価値や意義を考えてほしいと、私は思っています。

 

 

いのちを取り巻く世界2:人生の終わりの話

 

わたしのがん体験

 

私は完治が見込めないがん患者であると先ほど申し上げました。「あなたは治る見込みがないがんです」と言われたとしたら、あなたはどう思うでしょうか?

 

2014年度の世論調査によると「がんはこわい」という印象・認識をもつ人の割合は多く、理由のベスト3は「死に至る場合がある」「痛みなどの症状がでる」「治療費が高額になる」でした。

 

ちょうど1年ぐらい前にがんの告知を受けた私は、それを予想していたので資料を持って診察室へ入り、医師に自分のステージを聞きました。主治医は私の資料にあるがんのステージの表を見ながら、その一番下の行、ステージⅣのいわゆる末期がんを指し示しました。

 

それから間もなくして手術を受けました。がんの原発である甲状腺を摘出し、近くのリンパ節に転移している箇所を取るためです。さらに放射線治療なども行いましたが、結局、今の医療技術ではすべてのがんを取り除くことはできませんでした。そう遠くない時期にがんは増殖し、臓器に転移して、死を迎えるいのちなのです。

 

完治しないというこの状況において、私の心は意外なほど穏やかです。ここまで自分のいのちを精一杯生かし切っているという実感があるからでしょう。医師には延命処置はしない旨を文書で申し入れました。いのちは長いことがよいのではなく、自分が満足できる価値を発揮できることが大切なのだと思うからです。

 

ただ、今すぐに治療をやめるわけにはいきません。それは献身的に私を支援してくれる妻への思いと、いまだ健在の両親よりも先に逝くことはできないという信念があるからです。自分自身が死にたくないという気持ちはさほどありませんが、私の愛する人たちに応えるために、残りの人生を使いたいと思うのです。

 

 

がんの印象についての私の思い

 

多くの人は死ぬことを怖いと思いますが、それは体験していない未知からくる漠然とした怖さではないでしょうか? 人間は必ず死にます。私も、あなたも……です。私は、がんで死ねるのはありがたいと思っています。質の高い生活を死の寸前まで維持することができ、気持ちの整理もつけられます。実際に今のところ私にはがんの自覚症状がほとんどないため、日常生活に大きな支障はありません。

 

痛みなどの症状をつらく感じる人も多いでしょう。でも発症部位にもよりますが、多くのがんは痛みをコントロールできる時代になりました。私の場合も当面、痛みは出そうもありません。この先は臓器に転移していくでしょうから、その段階で苦しさなども生じるのかもしれませんが、医療の世界とうまくつながることでそれを回避できると考えています。

 

治療費の問題はある程度仕方ないかもしれませんが、高額療養費制度など社会的な支援策を使うことで、自己負担額を軽減できるため助かっています。

 

 

「生きる」とは?:いのちにかかわる病気から教わったこと

 

さて、そもそも「生きる」とは何でしょうか? がんに罹患した私は、大きな気づきをもらったのです。

 

「生きる」とは「今、この時を、悔いなく精一杯生き抜くこと」。

 

10年後、20年後、50年後・・・。私もあなたもどうしているのか、遠い将来のことは誰にもわかりません。私の人生について言えば、5年後に生きている可能性が約5割。それでいいのです。遠い将来を不安に感じても何も変わりません。

 

先のことを憂うよりも、今のこの時間を大切にする。夜、寝るときに「今日一日、全力疾走できたな」「明日も一日全力でやり切ろう」という毎日を過ごすのです。そのために、力の限り努力をしていればそれでいいと私は考えています。

 

あなたは今、この時を、どう悔いなく精一杯生きていますか?

 

 

(2015年11月10日、千葉大学普遍教育教養展開科目「生きるを考える」における鈴木信行氏の講義「生きるを考える~毎日を楽しく生き抜くコツを一緒に考える」より。完全版は書籍『「生きる」を考える:自分の人生を、自分らしく』[長江弘子 編、小社刊]に収録)

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連載のはじめに・バックナンバー

講義を振り返って

 

担当教授:長江 弘子

(前・千葉大学大学院看護学研究科特任教授、

現・東京女子医科大学看護学部看護学研究科教授)

 

 

鈴木さんとの出会いは、2012年京都で開かれたディペックス・ジャパンの国際会議でした。当時、鈴木さんは「NPO患者スピーカーバンク」の理事長でした。その団体名に驚きながら、私は会場で堂々と手を挙げて意見を述べる鈴木さんの姿勢に感動を覚えました。発言は「患者が自分の治療や受けたい医療について意見を述べることが重要だが、そのためは患者自身も勉強し、自分の考えを伝える力を持つことが大切だ。そのような意思や希望を医療者に伝えることができる患者をつくりたい」といった内容でした。

 

つまり、患者と支援者が対等に話をするためには、患者も語る力が必要であるということなのです。しかし医療の現場ではそうした話し合いの場や機会が与えられないという現状があります。その結果、患者は自身の治療を決めるうえで以下のような葛藤やジレンマを抱えがちです。

 

 ① 選択肢についての知識・情報の不足

 ② ある選択肢に過大・過小な期待をかけてしまう

 ③ 自分が何を大切にしているのか等、価値観がはっきりしない

 ④ 家族や身近な周囲の人の価値や意見がよくわからない

 ⑤ ある1つの選択肢に対する周囲のプレッシャーがある

 ⑥ 自分の選択を聞いてくれたり認めてくれたりする人がいない

 ⑦ これらの障害を乗り越えるスキルや支援がない

 

こうした事柄を解決することができず、十分な情報の吟味も支援も受けないまま医療者の勧めに従って受け身の選択をしてしまう状況を避けるためには、医療者も患者も「意思決定」ではなく、どう生きたいかについて誰かと語り合うことで生き方を意識し、その価値を「意思表明」することに力を入れる必要があるのだと思います。

 

これまでのご自身の体験を通し、鈴木さんはそうした姿勢を自らの信念として生きておられます。その言葉の重みと真摯さ・強さはまさに「生きる力」だと感じています。

『「生きる」を考える〜自分の人生を、自分らしく』(長江弘子編集、日本看護協会出版会、2017年6月20日刊行)

エンドオブライフケアを考える

すべての方へ

 

第1章:人間の生と死

第2章:人生と出会い

第3章:病とともに生きる人生

第4章:暮らしと医療

 

「生きる」を考えることは……自分の人生を自分が主人公になって切り開き、主体的に創りあげていく姿勢や態度であり、原動力であろうと思います。人と人とのかかわりの中にある生と死を学ぶことそのものではないかと思います。(長江弘子「発刊に寄せて」より)

新刊。

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