第5回 日野原 重明 profile 「生きるとは〜私の100年の人生から学んだ生き方」

2016年2月28日、千葉大学普遍教育教養展開科目「生きるを考える」で行われた日野原重明氏の講義「生きるとは-私の100年の人生から学んだ生き方-」より。全文(完全版)は当社書籍「生きるを考える〜自分の人生を、自分らしく(>>詳細に掲載されています。

 



あなたへのメッセージ

 

私は、昨年の10月に104歳を越え、現在105歳です。

 

長生きをした人から直接その人の人生体験を聞くというのは、珍しいことと言えるでしょう。

 

私はこのように長生きをしておりますが、若い頃はどちらかというと病弱で、決して丈夫ではありませんでした。小学校や大学のときに病気を患い、学校を長期に休まざるを得ない経験をしています。この経験は、私が若い頃から「いのち」について考えるきっかけを与えてくれたと思います。自分ではどうすることもできない病気は突然に容赦なくやってきます。でもそんな病気と向き合うことで、私には新しい出会いがありました。文学や音楽といったリベラルアーツとの出会いです。また、医者になってから患者さんやそのご家族をはじめ、師と仰ぐ医師と出会い、自分は医師として成長していったと思います。さまざまな出会いがありました。そして、58歳のときに人生を大きく変える「よど号」ハイジャック事件を体験しました。

 

これらの経験一つひとつが、現在の私の生き方や活動につながっています。私の生きる力はこうして得てきました。その中で感じたことは、「大切なものは目に見えない」のだということです。生きるとはどういうことか、私の考える「いのち」の使い方とはどういうことか、それらについてお話ししたいと思います。

 

 

いのちの使い方──これまで取り組んできたこと

 

私は100年という長い人生を送ってきましたが、今もまだ新しいことを創め、自分を磨くこと、豊かにすることに向かって生きています。

 

健康サポートへの取り組み

62歳のときに、ライフ・プランニング・センターという財団法人をつくりました。そこは一般の人たちに「自分の健康は自分で守るもの」という考えのもとで、健康教育を行うところです。

 

ウィリアム・オスラーの言葉に「習慣がつくる からだも心も」(日野原重明訳)という有名な文言があります。私は、人々の健康意識を高めるために、健康サポートへの取り組みを始めました。これが今日言っている、習慣がつくる病気、「生活習慣病」という言葉のもとになりました。私はそれまで「成人病」と呼んでいた一連の病気を「生活習慣病」と変えるよう政府に進言して、正しい生活習慣を身につける運動を始める宣言をしたわけです。

 

聖路加国際病院の改革

1992年、80歳のときに私は聖路加国際病院の院長に就任しました。聖路加国際病院をちょうど新しく建て替える時期でしたので、小児科病棟を除き、全室個室の病院にし、日本ではまだ少なかった緩和ケア病棟もつくりました。また災害時の拠点となる病院づくりとして、全館の廊下やあるいはチャペルに酸素吸入と吸引の装置を設置しました。これは大事件が起こった際の救急患者受け入れに備える設備です。その後、1995年に地下鉄サリン事件が起こったときには、運ばれてきた約640人のサリン中毒の方々を全員受け入れることができました。

 

高齢者がいきいきと活動するために

2000年、89歳で「新老人の会」を立ち上げました。75歳以上をシニア会員、60~74歳はジュニア会員、20~59歳はサポート会員として、全国に支部をつくりました。現在、北海道から沖縄まで46の支部ができ、9,000人の会員がいます。

 

この「新老人の会」には、3つのスローガンと1つの使命があります。スローガンは愛し愛されること(to love)、それから新しいことを創めること(to commence)、そして耐えることto endure)です。使命は、子どもたちに平和と愛の大切さを伝えるということ。小学校に出向いて「いのちの授業」を行い、子どもたちに平和と愛の大切さを伝えています。

 

子どもたちに平和の種を蒔く

2003年、92歳から始めた「いのちの授業」では、今日までに約230校を訪問し、いじめをなくすということ、他人を許すということ、いのちの大切さやその使い方、そして平和について子どもたちに教えてきました。私は彼らに対して次のように語りかけています。

 

「君たちは自分で自分を変えることが必要です。勇気をもって行動することで、君たちは自分の〝いのち〟をどう使うかを考えよう。そうして平和に生きる行動の道を示すことが、あなたの〝いのち〟の使い方である。あなたがもっている時間は、あなたが使えるいのちなのだから、この時間という〝いのち〟をどう使うかをよく考えてほしい」と。

 

あなたたちは自分で使う時間をもっています。子どものときには、学校に行って勉強するなど、自分のために時間を使います。それでいいのだけれど、子どもがだんだんと大きくなり、10歳以上になってくると、自分のいのちを自分のためだけに使うのではなしに、誰かのために自分の時間を使う。この、誰かのために自分の時間を使うということは、非常に大切なことです。ですから、ここで皆さんにも申し上げたい。「あなたの時間にいのちを吹き込めば、その時間は生きてくる」。この言葉を覚えてほしいのです。

 

 

よりよく生きるために

 

「ただ生きることだけではなく、よく生きることを何よりも大切にしなくてはならない」。これはソクラテスの言葉です。よく生きるという、その生き方というものがとても重要なことであると、紀元前のキリストが生まれるずっと前にこの哲学者は教えてくれているのです。「よく生きること」、これは私の生き方の目標でもあります。その目標のために私が行ってきたことをもとに、3つの提言(考え方)をお伝えしたいと思います。

 

出会いから学ぶ

私の「よく生きる」ための1つ目の提言は、出会いから学ぶこと。ある人との出会いによってこそ、新しい運命は始まる。出会いとは、哲学書や文学、伝記を読むことであったり、先生や先輩、同僚や友人たちに出会うことであったりします。私の場合は患者さんとの出会いから生き方が変わりました。

 

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連載のはじめに・バックナンバー

 

 

撮影:村田和聡

日野原重明 ひのはら・しげあき

1911年生まれ。1937年京都帝国大学医学部卒業。1941年聖路加国際病院の内科医となり、以後、同院長・理事長を務める。医学・看護教育に注力するとともに、患者参加の医療、終末期ケア、予防医学の重要性などを早くから指摘し、常に医療の変化の先を捉えてきた。2000年以降は全国の小学校を訪ね、子どもたちにいのちの大切さを伝える授業を展開。また2000年に「新老人の会」を発足。2005年文化勲章受章。2017年7月18日没。

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