対談

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『看護技術の科学と検証』

初版の表紙

本書誕生の経緯と、改訂までの

17年を振り返る

 

川島:始まりは、今から20年も前になります。日本看護協会出版会の古い社屋で、研究者と臨床家が集まって、「普段何気なく行っている技術の裏づけ」について、自由に語り合う会があったんですね(当時の看護技術研究会。以下、研究会)。

 

そのプロセスの中で、月刊「ナーシング・トゥデイ」への連載がスタートし、1996年の初版刊行につながりました。月に一度の研究会で、皆で目を輝かせながら、思いつくままにテーマを挙げてディスカッションしたのが本当に懐かしいです。

 

菱沼:私にとっては、川島先生と初めて一緒にお仕事をしたのがそのときでした。ある学会の帰り道に、空港でご挨拶したことがご縁で研究会へお誘いいただきまして。初めて参加した日、建物の入口がわからなくてうろうろしていたら、当時、日本看護協会の副会長でいらした南裕子先生が案内してくださったという、二重の意味で思い出深いものがあります(笑)。

 

連載はすごく苦労しましたけれど、ディスカッションが面白くて続きましたね。今回の第2版の執筆者には、当時のメンバーもいれば、その後の看護大学の急増に伴って、研究者として伸びてきた若い方もいる。たしかに初版は系統立ってはいなかったけれど、「看護技術がもたらすもの」について問題提起したという意義はあったと思います。

 

看護の視点からエビデンスを導く

川島:あの頃、解剖学や生理学はある程度、看護に浸透していたけれど、菱沼先生の提唱された「看護の形態機能学」の視点はなかった。優れた技術をもっていても、現場で「根拠は?」と聞かれると答えられない現状があった中で、看護の視点から科学的根拠を極めようとしている先生がいると聞いていたので、空港での出会いは私にとっても「いい人に会った!」と(笑)、ぜひ一緒に仕事をしたいと思ったんです。 

 

当時、臨床と大学の間には垣根があって、研究者にとってフィールドがないことも大きなネックになっていましたから、研究会は、その壁を取っ払って一緒に研究を進めるという一つのモデルになったと思いますね。

 

菱沼:臨床と教育の壁をどうするかは、いろいろな学会のテーマでしたね。私自身の中では、研究会に参加して、それは確実に変わりましたが。

それから、「研究のあり方」というものが徐々に浸透していった時代でした。よく考えないで研究を始めてしまうと、せっかくやってもモノが言える結果にならないんですが、「モノが言える結果の導き方」がようやく臨床に伝わっていった時期だと思います。

 

川島:臨床には「経験知」と呼ばれるものがあるでしょう?経験を重ねていくと、それが一つの蓄積になり根拠につながっていくというものです。でも菱沼先生は、生理的な裏づけ、科学的な根拠という視点で「言えるものは言えるけど、これ以上は結果からは読み取れない」とバッサリ切り捨てる(笑)。そういう、違う視点でディスカッションができたのは本当によかったと思います。

 

今、看護界に欠けているのはディスカッションです。人の意見を聞いてすぐ引っ込めるのではなくて、研究についても「こういう場合は?」「こうしたらどう?」と大学教授と臨床ナースがフランクに話せたことがいろいろなアイデアにつながった。そして、“研究と実践とは別モノ”という意識が強かった中で、「足浴」「浣腸」という身近な看護技術を取り上げていき、やがて研究会の活動が日本看護技術学会へと発展していきました。

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日本看護協会出版会

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