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衛生とは何か

 

現在私たちは「衛生」という言葉を日常的に使用していますが、実はこれが現代の意味で使われるようになったのは明治時代からのようです。

 

日本の医療制度を最初に整備・管掌していたのは文部省傘下の医務課でした。やがて1875(明治8)年に文部省から内務省に移管されましたが、その際に「衛生局」に改称されました。初代衛生局長と務めた長与専斎によるネーミングですが、これが「衛生」という語の現代的な使用の始まりだそうです。もともとは『荘子』という古典に見える言葉で、「Hygiene」の訳語として選ばれたものでした11)。せっかくなので『荘子』の該当部分を開いてみますと、「雑篇」の「康桑楚篇」に「衛生の経」という表現が見られ、金谷 治 訳の岩波文庫版では「生命を安らかに守る方法」と現代語訳されています12)。長与の説明では、「本書の意味とはやや異なれども字面高雅にして呼声もあしからずとて、ついにこれを健康保護の事務に適用」したのだそうです。

 

それでは長与は、「健康保護の事務に適用」することにした「衛生」という言葉によって何を表現しようとしていたのでしょうか。長与が欧米視察中の経験とともに説明している次の文章は、「衛生」という言葉に込められた意味だけでなく、整備すべき国の制度を学んでいく場面を非常に生き生きと描いていると思いますので、やや長くなりますが引用して紹介しましょう。

 

英米視察中、医師制度の調査に際し、サニタリー云々、ヘルス云々の語は、しばしば耳聞するところにして、伯林[ベルリン]に来てよりも、ゲズントハイツプレーゲ[Gesundheitspflege:健康管理]等の語は幾度となく問答の間に現われたりしが、初めの程はただ字義のままに解し去りて深くも心を留めざりしに、ようやく調査の歩も進むに従い、単に健康保護といえる単純なる意味にあらざることに心付き、[…]ここに国民一般の健康保護を担当する特殊の行政組織あることを発見しぬ。これ実にその本源を医学に資り、理化工学、気象、統計等の諸科を包容してこれを政治的に運用し、人生の危害を除き国家の福祉を完うする所以の仕組にして、流行病、伝染病の予防は無論、貧民の救済、土地の清潔、上下水の引用排除、市街家屋の建築方式より、薬品、染料、飲食物の用捨取締に至るまで、およそ人間生活の利害に繋れるものは細大となく収拾網羅して一段の行政部をなし[…]11)

(太字は引用者による。以下同じ)

 

長与は英米視察中に、国民の健康保護を担当する特殊な行政組織があることを発見しました。それは医学に基づきながら、理学や工学、気象学、統計学なども合わせて、生活の危険を除き、国家の福祉を成し遂げようとする組織です。そうした組織が日本では「衛生局」として誕生したのであり、伝染病の予防から貧民の救済、土地の清潔、上下水道、市街家屋の建築方式、薬品、染料、飲食物の取捨選択に至るまでが衛生局の事務範囲だというわけです。これで「衛生」に関連する分野がだいたいわかるわけですが、私たちにとっては「市街家屋の建築方式」が含まれていることが重要です。

 

衛生家の立場で病院建築を論じた森の説明も読んでみましょう。『陸軍衛生教程』では次のように定義されています。

 

衛生(ヒユギエネ)とは健人の外囲に在て影響を之に及ぼすべき天然の事物と、或は人の健康に欠く可からず、或は人の健康を目的とする装置とを知悉するの学なり3)

 

森によれば衛生とは、健康に影響を及ぼす自然環境の要素と、健康に欠かせない、あるいは、健康を目的とする「装置」とをよく知ることです。まず装置の方から。冷暖房や給排水などの建築設備は言うまでもありませんが、もう少し拡張して考えると、そのような設備を含む建物全体が、人の健康に欠くべからず、あるいは人の健康を目的とする装置であるといえそうです。ですから、一種の衛生装置である建物をつくろうとする人は、衛生についてよく知っていなければなりません。後年、小池と森が共同で執筆した『衛生新篇』では、「外境ノ事物ノ病人ヲ襲フハ健人ヲ襲フヨリ甚」しい13)、つまり、患者は健康な人よりまわりの影響を受けやすいと言っています。そうすると、病院建築はほかのどの建築にもまして、衛生が中心課題となりそうです。

 

では、健康に影響を及ぼす周囲の自然環境の要素として、何が考えられていたのでしょうか。まず、先ほど建築家は「一つの衛生家でも」あると述べた清水の説明から見てみましょう。清水は、建築の設計に際しては、第一に「空気の純粋なること」、第二に「温度の常に均一なること」、第三に「光線の沢山一所にばかり這入らぬと云ふこと」、第四に「水の極く良いと云ふこと」に注意しなければならないと言います10)。つまり、健康に影響を及ぼす環境の要素は、空気・温度・光線・水の4つが重要だというわけです。

 

次に、森と小池による造家学会での演説を見てみましょう。森は「色々の衛生的の事業の中にも、造家衛生と云ふものに重もに関係するは、光線の事、空気の事、この二つ」であるとし、「一番大事な要求は、人の住って居る部屋は、必ず外に向いた窓がなければならぬという事」だと説きます7)。清水が取り上げた4要素のうち、空気と光線が特に重要だというわけですね。森の病院建築論、つまり、パビリオン型がコリドー型に勝るとか、パビリオン型こそ病院建築の最良の法であると説明されたときにも、光線と空気の観点から説明されていました。

 

小池は、「家屋の衛生」についてもう少し具体的な説明を与えています。例えば、日本家屋の障子は、空気をよく通し、かつ「バクテリヤを止める力」を有すること、湿気を保持しないことにおいて優れているが、室温を保持できず、「光の力を弱める」ことにおいて弊があること、などを「実証的に」論じています8)。演説後の質疑問答では、空気中の水分や壁の保水率に関する実験の信憑性や細かな数字、実験に使った障子の紙種などについて問われていました。

 

このように、外に向いた窓や、壁・仕切の材質による空気・水分・バクテリヤなどの透過率が問題なのは、なにより新鮮な空気を維持するための空間の大きさや必要な換気量を確定するためでした。森や小池より少し早くなりますが、坪井次郎は「日本作り病室換気量」の中で次のように述べていました。

 

欧風煉化作りの家屋に於いては室内外温度の差摂氏四乃至五度なるとき一時間内交換する空気量は室容積の三分一に過ぎず、然るに日本家屋に於いては同等の温度の差異に於いて一時間中室容積と同量の空気を交換する以上は、日本家屋の換気量、煉化家屋に於けるより佳良なること三倍なりと云はざるを得ず。之より推すときは日本家屋にて一人に対する室容積は、欧州家屋に於いて定められたる室容積の三分一にて足れりとする所なり14)

 

日本の伝統的な建築は、隙間風が多いからでしょうか、西洋のレンガ造建築より換気性能が3倍よく、逆に言えば、病室の大きさは西洋建築の3分の1で足りるということですが、まあ、その主張の当否はともかく、論点が換気にあったことだけは確かです。同じく『建築雑誌』の1893(明治26)年6月と8月に連載された「衛生工学摘要」は、施設別に必要な換気量の具体的な数値をイギリスの例で紹介しています。それによれば、「住居の用に供する室[は]一人に付き600立方尺」、病院は1,300立方尺、伝染病並外科病院は1,500立方尺、また厩は「一馬に付き1,600立方尺」、病馬厩は1,900立方尺が必要とされています15)

 

したがって、空間の大きさや必要換気量、あるいは換気の性能が、論者によって具体的な数値に差はあっても、病室のつくり方を規定する重要な基準として考えられていたということがわかります。なぜこのような議論を繰り返し紹介したかというと、衛生、特に換気の問題が後の日本の病院建築のあり様に大きな影響を及ぼすことになるからです。

 

今回のお話をまとめますと、近代における病院建築の正しい形式はパビリオン型とされ、実際に明治時代につくられた主な病院はパビリオン型だった、それは当時の衛生の観点からの結論だったが、特に重要とされたのは空気、つまり換気のことだった、ということになります。

 

これまでの3回では、日本に初めて本格的な近代西洋式病院を建設しようとしたときに、どのような方法で行われたか、そしてその時代の病院建築はどのような形式のものであったか、それらを説明する論理は何であったかについてお話ししました。これらは、言うならば病院建築をその内部から見たものになります。

 

次回からは、伝染病やお金など、病院建築の外部によって病院建築がつくられていくいくつかのシーンを取り上げてみたいと思います。

(Part 1終わり)

 

◉ 引用文献

  1. 陸軍軍医団 編:陸軍衛生制度史,1913(大正2)
  2. 中川米三・丸山 博 責任編集,日本科学史学会編:日本科学技術史大系 第24 巻 医学1,第一法規出版,1965
  3. 森 林太郎:陸軍衛生教程,陸軍軍医学校,1889(明治22)(『鴎外全集 著作篇 第28 巻』,岩波書店,1974所収)
  4. 森 林太郎:病院,1889(明治22)(『鴎外全集 著作篇 第29巻』,岩波書店,1974所収)
  5. 村松貞次郎・堀 勇良:日本近代建築史における東京逓信病院(郵政大臣官房建築部編:建築記録/東京逓信病院,1978所収)
  6. 片山東熊:ハイデルベルヒ大学附属新病院建築摘要,建築雑誌,3(33):157-168,1889(明治22)
  7. 森 林太郎:造家衛生の要旨,建築雑誌,7(76):115-122,1893(明治26)
  8. 小池正直:家屋の衛生,建築雑誌,8(88):129-141,1894(明治27)
  9. 滋賀重列:便所に就いて(米国便所の有様),建築雑誌,8(88):115-129,1894(明治27)
  10. 清水釘吉:家屋構造と衛生,建築雑誌,6(68):216-227,1892(明治25)
  11. 長与専斎:松香私志,1902(明治35)(小川鼎三・酒井シヅ 校注:松本順自伝・長与専斎自伝,平凡社,1980所収)
  12. 金谷 治 訳注:荘子(三),岩波文庫,1982
  13. 小池正直・森 林太郎:衛生新篇1,南江堂書店,初版1897(明治30)/第5版1914(大正3)
  14. 坪井次郎:日本作り病室換気量,建築雑誌,4(45):146-147,1890(明治23)
  15. 龍 水生:衛生工学摘要,建築雑誌,7(78):190-195 / 7(80):238-241,1893(明治26)

 

 

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第0話…話を始める前に連載の予定

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