社会で求められる人材の変化や人工知能(AI)などの技術革新により、教育のあり方が大きく見直され始めています。従来の暗記を中心とした「知識詰め込み型教育」に代わる教育手法として、討論や発表をとおして学習者の主体性や思考力を伸ばすアクティブラーニングの取り組みも盛んになってきました。 その指導方法のひとつである「ポートフォリオ」は、自己評価力や課題発見力を引き出すツールとして効果が注目され、看護の現場では、教育機関だけでなく病院の継続教育での活用も広がっています。 これからの医療現場で、変化に対応できる思考力や判断力をどう身につけていくのか──。ポートフォリオ活用とプロジェクト学習を提唱する鈴木敏恵氏と、その教育方法を実践する病院管理者に、看護職の教育のあり方について議論をお願いしました。



鈴木(進行・コンセプター)  AI時代の到来により、教育や人材育成のあり方が変わるといわれます。高度な認知能力で状況を判断し、膨大な知識を瞬時に修得できるAIの活用が一般化する中、教師が学習者へ一方向に知識を教えることで成立した教育は終わりを迎えつつあります。

 

これからの教育に携わる者は、AIが不得意とすること、人間だからこそ大切にしたいこと、高めたいことを重視する必要があります。では、人間だけが持つ強みとは何か。それは明日を信じ、未来をよくするために意志を持って新しいことにチャレンジすることです。この強みを伸ばし、創造的な思考を持って課題解決に向かう力をつけること、すなわち「意志ある学び」こそが、新しい時代が求める教育といえます。

 

  鈴木敏恵 すずき・としえシンクタンク未来教育ビジョン代表、教育デザイナー(Architect/設計思想)。一級建築士。「意志ある学び―未来教育」をコンセプトに、プロジェクト学習、ポートフォリオ、対話コーチングなどを融合させた次世代教育の設計思想から実施を全国展開。主に教育界、医学界へ新人教育、指導者育成、教育構想のコンサルティングを行う。公職歴に内閣府中央防災会議専門委員、千葉大学教育学部特命教授ほか。主な著書に『AI時代の教育と評価』(教育出版.2017)、『アクティブラーニングをこえた看護教育を実現する』(医学書院.2017)、『キャリアストーリーをポートフォリオで実現する』(日本看護協会出版会.2015)など。http://suzuki-toshie.net/profile/

 

組織において、一人ひとりの資質を高める“意志ある学び”の手段として、私は2003年から医療界における目標管理、人材育成へのポートフォリオやプロジェクト学習の導入を推進してきました。今日はそのなかから、3つの組織の現状や成果を当事者の方とともにお伝えしたいと思います。


島根県立中央病院では、2007年からプロジェクト学習やポートフォリオの研修を開始しました。主体的な学びをとおして“人”が成長する制度を目指し、プロジェクト学習の手法による目標管理にも取り組んでいます。青梅市立総合病院は2012年から新人教育にポートフォリオを活用しており、新人看護師だけではなく、就職を希望する看護学生が早くから集まるなど、成果を挙げています。東京都立広尾病院では、スタッフのさらなる成長とキャリアの顕在化に向けて、今春から私が教育アドバイザーとしてかかわっています。これらの組織では、ほぼ全看護師がポートフォリオを所有することからスタートしています。

 

いずれの病院も共通することは、新しい時代を見据えて、組織で人を育てるために果敢なチャレンジを続けていることです。

 

 

人を育てる上で大切にしていること

 

鈴木 まずは、皆さまの教育への思い、人材育成の上で大切にされていることを教えてくださいますか。

 

菊池 島根県立中央病院病院長(当時)の菊池です。私は倫理観をしっかり持っている医療者になってほしいと思います。今、医療は激動の時代といわれ、従来の医療提供体制ではもたなくなり、病院も姿を変えざるを得ない状況です。一緒に働いてきた仲間たちが将来にわたり安心して、しっかりと仕事を続けていくにはどうしたらいいのか。確かな知識と技術もそうですが、医療者として、倫理的にきちんとした行動が取れることが非常に重要だと思います。

 

  菊池 清 きくち・きよし兵庫県立リハビリテーション中央病院 子どもの睡眠と発達医療センター長、前島根県立中央病院 病院長。京都大学医学部卒業後、倉敷中央病院、京都大学医学部附属病院、島根医科大学附属病院、島根県立中央病院で小児科医として勤務。医学博士。第1種放射線取扱主任者。小児科専門医、内分泌代謝科(小児科)専門医・指導医。

 

倫理観をしっかり持っている医療者は、どういう状況に陥っても地域住民から認められます。それは医療者として自分自身を守ることにもつながるのです。倫理観を持った行動の実践の手引きとして、「新・医療者の心得 10箇条」という冊子を配布し、職員教育に活用しています。

 

池田 島根県立中央病院看護局長の池田です。人材育成に当たっては、意志を持って行動できる、仲間をつくり一緒に頑張れるなど、人としての「総合力」を伸ばしていきたいと思っています。看護の激動の時代にあっても、たおやかで、揺れるけれど芯がある。そういう人が必要だと思います。

 

  池田 康枝 いけだ・やすえ島根県立中央病院看護局長。島根県立出雲高等看護学院を卒業し、島根県立中央病院へ入職。1997年から島根県健康福祉部長寿社会課で3年間、看護行政に携わった。その後、島根県立中央病院で集中治療室、消化器外科などを経験し、2014年度看護局次長として看護局へ入り、看護管理を行う。2016年度から現職。

 

「仲間と一緒に頑張る」とはチーム医療の基本ですが、今の若い人にはなかなか難しいと感じています。以前は先輩からチームで動くことを自然に教わっていたけれど、最近は院内教育で意図的に伝えていかなければなりません。新人の離職率が問題となる中、「新人を辞めさせてはならない」と先輩が遠慮したり、プリセプターが「新人の気持ちがわからない」と悩んだりしています。新人のみならず、スタッフ全体のコミュニケーション力の向上が課題です。

 

小坂 東京都立広尾病院看護部長の小坂です。私は自分のキャリアポートフォリオの表紙に「私の幸せのために、あなたの幸せのために、そして皆の幸せのために」と書いています。自分自身が幸せになりたいし、周囲に幸せを与えたい。抽象的ではありますが、そういう思いを持って人材育成に取り組んでいます。

 

  小坂 智恵子 こさか・ちえこ都立広尾病院看護部長。都立看護専門学校卒業後、都立駒込病院に入職。その後、複数の都立病院、公社病院への異動を経て、2012年より都立病院看護部長に就任し、2016年より現職。千葉大学大学院看護学研究科 病院看護システム管理学卒業後、2011年に認定看護管理者取得。

 

私は2016年4月の異動で広尾病院の看護部長に着任しましたが、当院の存続を真剣に考えなければならないような激動の1年でした。そうした中、何があっても目の前のケアに淡々と取り組むスタッフの姿を見て「大丈夫。この人たちのために私は頑張らなければ」と逆に元気をもらいました。

 

このとき、看護部長として考えたのは「一人ひとりの職員に、本当の力を身につけさせなければならない」ということです。どんな職場にあっても、看護のプロフェッショナルとして自律して行動できる力を身につけてもらいたいと思っています。

 

大西 青梅市立総合病院看護局長の大西です。スタッフの「困難を乗り越えようと考え、迷う力」を大切にしたいと思います。看護師長はしばしば部下に対し「言われたことがきちんとできること」を求めますが、私はそこにはあまり価値が見出せません。師長に言われたことに納得がいかなければ、その通りに動かずに異論を言ってもいい。若い人はそういう反発心や反抗心を持っているものです。

 

  大西 潤子 おおにし・じゅんこ青梅市立総合病院看護局長。約10年間の臨床の後、専門学校・短期大学・看護大学・総合大学看護学部准教授を経て2011年青梅市立総合病院で看護局長に就任。教員時代にFD研修でポートフォリオを知り、着任2年後より新人教育に取り入れた。最大の喜びは人が変化し成長する姿を見ること。

 

人は精神的に揺らぎ、何かを考えていく過程で学んでいき、自分なりの方法を勝ち取っていきます。看護師の場合、数多くの患者を見る中で「このままではいけない」「何とかしないといけない」と考え、主張することで工夫が生まれます。その試行錯誤が個別性のある看護につながるのだと思います。

 

 

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都立広尾病院でポートフォリオ研修をサポートする鈴木敏恵氏(右)。

『ポートフォリオで未来の教育〜次世代の教育者・指導者のテキスト(鈴木敏恵編、2019年)

 

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