座談会:考えること、学ぶこと。

fb_share
tw_share
武田裕子 松本俊彦 山中修

順天堂大学大学院医学研究科医学教育学教授

ポーラのクリニック院⻑

国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部部長

格差時代の医療者の役割とは

弊社より4月に刊行された『格差時代の医療と社会的処方:病院の入り口に立てない人々を支えるSDH(健康の社会的決定要因)の視点』が話題を呼んでいます。キーワードのSDH "Social Determinants of Health"とは、健康を左右する、個人に起因しない構造的な要因であり、格差が広がる中で医療者や学生がその考え方を学び始めています。最前線で独自の実践に取り組む編著者らが、医学生(武田ゼミのみなさん)を前にSDH的なアプローチとその意義について語り合いました。

     

 

 

僕は手術しないよ

 

武田:執筆をいただいた皆さんが共通して突き当たるのが「自己責任論の壁」だと思います。社会学者の上野千鶴子さんも、東京大学の入学式の祝辞で「がんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだった、ということを知ってほしい」とおっしゃっていましたが、そういう努力できる環境にいられなかった人々の存在というものをどうやって理解してもらうか。医学部にはとくに恵まれた環境で育った学生が多いと思いますので。ゼミではいま「同級生にSDHについて伝えること」を課題にしているんです(笑)。でもそこでやはり「それは自己責任じゃないの?」という反応が返ってくる、という難しさがあります。お二人はこうした発言を受けたときにどのように応答されているのでしょう?

 

山中:これは実際にあった話ですが、私がまだ勤務医時代の頃に40代の患者さんで暴力団員の人がいました。外来で悪態をついたりするんですが、私はざっくばらんなところがあるから彼と仲良くしていたんです──といっても、外来での関係においてですよ。個人的には絶対仲良くなっちゃダメ。ややこしいことになるから。

 

一同:笑。

 

山中:彼らにしてみてば、自分たちは社会的には居場所がない存在だから、とくに医者なんかに親しくされるのは心地が良いことなのかもしれない。それで、その患者さんに冠状動脈バイパスが必要になったので、ある大学の教授に紹介をしたところ、その先生は「僕は手術しないよ」と言ったんです。思わず「どうしてですか?」と聞くと、「だって君、彼は社会的に役に立っていないじゃないか」と言われました──。これって、どうですか? 学生のみなさんだったら、もしこのような返事が返ってきたらどうしますか? 相手は教授だから「はい、しょうがないですね」って言うのかな。

 

学生O:もし自分自身が教授だったらですが、たぶん手術はすると思います。それは患者さんが社会的にどういう立場かに関係なく、手術を必要としている一人の人間じゃないですか。もちろん反社会勢力の方なので「社会の役に立っていない」と思われても仕方がないし、それが事実なのかもしれないけれど、命を助けたことでその後の人生も変わることがあるかもしれないし……。やはり一人の人間だから私は助けてほしいなと思います。

 

学生H:患者さんを診るときに、そうやって「社会の役に立つかどうか」で判断するといった基準を設けることが、何か違うのではないかと……。

 

松本:でも、患者が2人いて片方しか選べないときだったらどうするんだろう。意地悪かな(笑)。

 

山中:面白いね。私はそこまで考えなかった(笑)。

 

学生S:私ももしその教授の立場だったそしても、その人の手術はすると思います。役立つかどうかではなく一人の人間として助けるべきだと思います。命だから。その助ける・助けないの判断の前に、役立つ・役立たないっていうのがくるのは違うかなって思います。

 

山中:武田先生はどう思いますか?

 

武田:ゼミで同じようなテーマで話し合ったことがありました。京都アニメーションの放火事件で、医療者が加害者に対し真摯に治療とケアに務めたことを話題にしました。この加害者も、先ほど松本先生が話されたような逆境体験があると言われています。「この人もある意味被害者だ」という視点を持つ一方で、被害者や家族のことを考えると同じ気持ちでいられるか葛藤もあるという意見が出ました。

 

松本:大事な知識として、経済的に恵まれている人たちは次の世代も豊かになりやすいし寿命も長く、必要な医療費も少なくなることが明らかになっています。しかし貧困者はすべてがその逆だということです。また、子ども時代にトラウマを受けた経験数が多くなればなるほどさまざまな病気になりやすいことが証明されていますし、平均余命も短く経済的にも貧困のスパイラルに入っていくことがわかっています。そうした事実を「自己責任」で片付けてもどうにもならないのです。

 

いま世界でも日本でも格差はどんどん広がり、金持ちはさら裕福になり貧乏だともっと貧しくなっている。その一方で、私は自己責任論を声高に言ってしまう人たちのことにも少し思いを馳せなければいけないなと思っているんです。例えば生活保護バッシングってよく起こりますよね。あれって金持ちよりも、むしろギリギリ生活保護を受けなくて済んでいるような状況にある人たちが批判をしていることが多いのです。つまり、自己責任論を振りかざす人も実は苦しいのかもしれない。そうした構図があることも少し余裕をもって見ることがとても大事です。

 

 

武田:なるほど、本当にそうですね……。とろこで山中先生は、手術を拒否された教授にどう対応されたのですか?

 

山中:噛みつきました。

 

一同:笑。

 

山中:「それを決めるのは先生の仕事ではない。先生(の仕事)は手術をするんでしょ? 」て言ったんですね。電話だから言えたんだけど(笑)。そうしたら相手は何も言わなかったんですが、でもやっぱり手術しませんでしたね。だから他の病院に紹介しました。その時に感じたのは「正しいこと言ったんだからこれでいいや」って自分では腑に落ちていたことです。つまり、みなさんはプロになるんです。徹底的に医者のプロをやればいい。その人が役に立つかどうかなんて考えなくていい。それは社会に任せればいい。その意味で医者はもっとバカでいい。

 

私は先ほどお名前が出た上野千鶴子さんと時々連絡を取り合うのですが、あるとき彼女に怒られたことがありました。私が自分の仕事について話をしているときに「家族のような看取り方を」という言い方をしたところ「あなた本当にそう思ってるの?」って聞かれたんです。それはNPOを運営していくなかで寄付を集めたりするとき、都合のいい言葉だったんですね。そう表現することで「素晴らしい取り組みですね」と賛同してもらいやすいから。でも、さすがに上野さんはそのようなあざとさを見逃しません。「あなた、“ような”っていう言葉はつまり偽物よ。それでいいの?」と。私ははっとして「おっしゃるとおりです」と。そして「あなたがやってる仕事はすごくいいことなんだから、看取りのプロに徹しなさいよ」と言われました。本当にそうだなと思います。自分でもわかっていたはずなのに言ってしまったのは、潜在的にそのように思おうとする気持ちがどこかにあったからなんでしょうね。

 

SDHについて考えるときに、いろんな美しい理屈にこだわるのではなく、一人ひとりの患者を医師としてよく診て、どう治療するか、どう支援するかを考えながら、その患者さんができあがるような社会、例えば松本先生がおっしゃっているアルコール依存症の人ができあがる社会に国家的にどうアプローチするかまでを考える。「人を見て森も見る」ですね。そうして経験を経ることで豊かな医者になれると思うんです。SDHを学ぶというのはそういう営みではないでしょうか。

 

医学部ではふつう、いろんなものをダブルブラインドで数値を出し、科学的に実証されたことを示して「君たち覚えなさい」と説得するわけですが、武田先生の医学教育ではそうした方法論とは相容れないアプローチも必要だから、非常に難しいんじゃないだろうかと思うんだけど、でも一つ言えるのは、先ほどのように「僕は手術をしないよ」と言ってしまう医師をつくらないために、ものすごく必要な教育なのだということ。

 

その教授は、自分自身で努力をして一流大学の医学部を卒業され、米国留学を経て手術の高いスキルを身につけ臨床で大活躍されていた人であり、ずっとエリートコースを歩んで来られた。しかし、そこに医師としての傲慢さがどうしても出てきてしまっているんですね。私はそうであっては絶対にいけないと思うのです。みなさんがSDHを誰かに伝えるときには、このようにさまざまな事例を扱いながら、一人ひとりがどう思うか確かめていくことで認識が広がっていくのではないでしょうか。おそらくはむしろ、卒業して研修医を終えて「さて自分をこれからどのような医者としての色へと転じていこうかな」というときの、すごくよい下地になると思います。みなさんはいま、とても大切な畑を耕しているのです。

 

武田:順天堂大学の学是は「仁」ですからね。私は卒業生ではありませんが、留学後にこちらへ招いていただき、この教室で自由に活動ができているのは順天堂だからこそと思っています。学生と一緒に野宿者の炊き出しや夜回りに参加したり、秋葉原や歌舞伎町でJKビジネスの実態を学ぶスタディツアーに出かけるゼミ活動は、普通なら「えっ?」って思われそうですけど、一度も反対されたことがなく、理事長・学長から意義ある取り組みと評価いただきました。活動への理解が得られていることに、とても感謝しています。

 

原因の原因

 

武田:ところで、SDHへの働きかけとして、患者さん一人ひとりが抱える問題へのアプローチ、例えば経済的に困窮していたり、孤立して支援を必要としている場合に何ができるかを考えるのはとても大事です。一方で、その人がなぜそうのような状況にあるのか、もっとマクロレベルのアプローチ、つまりマイケル・マーモット先生(WHO「健康の社会的決定要因に関する委員会」委員長)が言われる「原因の原因」への働きかけも必要とされています。山中先生は、「森を見る」、国家的なアプローチと表現されましたが、松本先生はどのように実践されていますか。

 

松本:私はいま診療と研究のほかにも政策提言をしたり国の委員会などに出るような仕事もしていますが、残念ながらSDHの考え方はポリシーメーカーにはまだ浸透してきているとは言えず、むしろ日本の政策はその逆に進んでいるとさえ思えます。

 

国際的な取り組みの中で、1961年に麻薬単一条約というものができ、これに批准した国々はさまざまな薬物規制法をつくってきましたが、ほとんどの場合、規制すればするほどかえって問題が深刻化してしまいました。反社会勢力がたくさん闇金を儲ける土壌ができ、とくに中南米ではたいへんなことになっているし、注射器の回し打ちが原因でHIV感染が広がりたくさんの人が亡くなっています。これは歴史的に繰り返されていることで、かつて欧州でアヘンの使用を厳しくしたときには、アヘンから抽出したモルヒネが注射器で使われるようになったし、モルヒネを禁じると今度はもっと強力なヘロインが用いられるようになりました。欧州では比較的早い段階で方向転換し、処罰よりも薬物使用のダメージを減らすことを目的とするハームリダクション政策へと舵を切って、注射器の無料交換サービスや非犯罪化(薬物使用は違法のままだが刑罰は与えない)などを始めました。一方、北米では比較的最近まで相変わらず強力な厳罰制度を続けたせいで、次はヘロインの数十倍も強力なフェンタニル(合成オピオイド)によって数多くの命が失われています。

 

したがって、大事なのは厳罰よりもむしろ回復支援なのですが、日本の状況を見ると正反対です。薬物に関しては厳罰化が進む一方で、アルコール政策は実にグダグダです。例えば酒税がいちばん高いお酒はアルコール度数がもっとも低いビールで、ウイスキーや蒸留酒などの強いお酒は税が安い。それに対し酒造メーカーは発泡酒というカテゴリーをつくり税率を下げたのですが、国はそれも上げてしまった。おかげで何が起こったかと言えば「ストロング系アルコール飲料」の登場です。女性や子どもなどでアルコールの味が苦手な人でも短時間で酔いが回り意識が飛ぶ。私からすればあれは脱法ハーブよりも危険です。患者さんがよく飲むんですが、それは違法薬物をやめた後の渇望を紛らわせるのが目的です。もともとお酒を飲む習慣がある人でもストロング系を飲んだ時だけ変な酔っ払い方をしてトラブルを起こしてしまう。だいだい1.5リットル摂取すると多くの人がおかしくなるように感じています。こうした飲料をつくってしまったのは、日本の酒税に対する考え方が問題だったからです。

 

海外とくに欧州は、アルコール度数が高く健康被害が大きいものほど強い規制を設けて課税していきます。自殺率にはアルコール消費量も影響していることが明らかにされており、ロシアやフィンランドではそうした方針により自殺者数の減少に成功しています。もう一つ、私も有識者委員の一人として関わっている大麻取締法の改正議論に問題があるのです。これまでは違法薬物の中で大麻にだけ「使用罪」がありませんでした(現在罪を問われているのは「所持罪」)。そもそも違法薬物の自己使用における使用罪がある国は先進国の中で日本だけです。それをさらに大麻にも適用しようとしている。理由は若者たちの大麻所持による逮捕ケースが増えているためです。しかし実は私たちが行っている全国の医療機関での患者モニタリングや地域での疫学調査でも、使用者は増加していないのです。にもかかわらず逮捕者が増えているのは、背景に違法薬物による検挙者が年々減少傾向にあり刑務所も空き始めていることから、まるで使用罪を施行させるための実績づくりをしているような印象です。

 

証拠となる尿検査では覚醒剤なら72〜100時間ほどで尿中から成分が消失しますが、大麻は成分消失まで軽く30日を超えます。海外旅行先の合法な場所で少し利用し、成田空港で検査されたら簡単に逮捕されるうえに少年法の適用年齢も下がっているので、若者たちの検挙がものすごく増えるでしょう。乱用実態としては交通事故も暴力事故も依存患者も増えていないのに、そのような使用罪を新たにつくるのは、持続可能な世界を目指す世間の動きとは完全に別方向な施策が議論されているわけです。これに対し、私たちはもちろん国の委員会などで言うべきことを言うのですが、そのたびにいつも行政側から嫌な顔をされたり、麻薬取締側の人たちに怖い目で見られたりしています。

 

 

     

教養と看護編集部のページ日本看護協会出版会

© Japanese Nursing Association Publishing Company

fb_share
tw_share