(コメント:西村 ユミ)
榊原先生、身体の志向性の応答する行為とその意味の発生に関する詳細な分析をありがとうございました。とてもわかりやすく、また、私が想定していなかった点――Aさんが患者さんと一緒にトイレに行った際にも生じていると思われる間身体的な交流――にまで言及していただけ、ハッとさせられました。先生の分析に触発され、もう一点、追記しておきたいことが出てきました。この点は、「身体の志向性」が、猫のココを「いつものように抱き上げる」といった「経験の積み重ねによる「習慣」に根ざして働く」身体性の解説にもヒントをいただいております。
この事例のA看護師は新人ではありましたが、既に10カ月間、PTCAを受けた患者のケアに携わってきました。また、病棟スタッフとともに共同して、忙しい時間帯への対応という実践にも馴染みつつあったと思います。仮に、夜勤を始めたばかりの頃であれば、次々にナースコールが鳴る消灯前の時間帯に、一人の患者のもとで「表情が少し気になる」という意味の現われ自体を経験しなかったかもしれません。それが意味として浮かび上がってくる素地がまだ養われていないためです。
この素地は、多くの患者への応答を可能にする習慣化した身体と言えます。多様な状況──たとえば、「病状の変化を見る」「歯磨きや排泄の支援」「配薬やその支援」「体位変換」「ナースコール」などの応答が求められる状況を経験することで、はっきり自覚せずとも、病棟の状況に応答しつつその状況を了解するという習慣が身体化し、その「習慣」に根ざして応答する身体の志向性の働きが別の意味を浮かび上がらせる素地となるのです。この素地が「病棟はバタバタしているけれども、少しの余裕はあるように」思われるという意味を成り立たせ、ちょっとした患者さんの表情の変化が「気になる」、言い換えるとその患者さんに引き寄せられるという応答が、Aさんに現われたのだと思われます。
加えて、「なによりも、一緒に働いている先輩看護師は、新人の自分のこともサポートしながら対応をしてくれている」ということがわかるのは、先輩看護師がこの日に直接Aさんをサポートしたという事実のみではなく、それまで一緒に働いてきたこと、その際に、この先輩がいかにAさんを見ていてくれたか、あるいは、他の新人を支援していたのかを見て取り、この経験が一緒に夜勤をすることにおいてAさんに安心感を与えていたのだとも思われます。この安心感は、先輩看護師によってもたらされたAさんの身体性の現われとも言えます。
こうした蓄積された経験から浮かび上がった安心感は、Aさんをして「この患者さんの離床は、しっかり対応をしなければならない気がする」「今行こう」を生み出しているのです。このように考えると、この患者さんへのAさんの応答は、確かにこの時この場で生じたことですが、これまでの経験の蓄積による「習慣」に根ざした身体の志向性の、応答として実現していたと言えるでしょう。
私も、身体の志向性にかかわる分析は、そのつどの相手の状態への応答として見て取ってしまいがちですが、その時、その場での応答を可能にするのは、それまでの経験の蓄積による「習慣」に根ざした身体性が素地として働き出していることに支えられているためだと考えられます。そうでなければ、経験を積んだ看護師の実践の意味を了解することも難しくなりますので。
榊原先生、このような分析は、「習慣」に根ざした応答としての身体の志向性として、いかがでしょうか。
西村先生、どうもありがとうございました。そのとおりだと思います。私は、先生の事例を読んで、看護師Aさんのその時々の状況に応じる身体の志向性の働きに注目しましたが、最初に、猫のココを「いつものように抱き上げる」例で説明しましたように、そうしたその時々の状況に応じる身体の志向性は、経験の積み重ねによる「習慣」に根ざして働きます。身体はいわば、積み重ねられた経験による「習慣」という時間の厚みをもつわけですね。このことは、現象学では「時間性」や「発生」という問題に繋がり、意味を帯びた現象・経験の成り立ちを明らかにするときの重要な視点になります。
これらのことはまた、追々、解説していくことにしましょう。
(第4回へつづく)