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特集:ナイチンゲールの越境 ──[戦争]
ベトナム戦争とオブライエン
1965年に米国が本格的に軍事介入を始めたベトナム戦争は、それから10年間も続いた。またそれは徴兵制度のもとで米国が戦った最後の戦争でもあった(現在は志願=ボランティア制)。若者の誰もが兵士になる可能性があったこの戦争は、米国の社会や文化に大きな影響をあたえた。そして第一話でも触れたように、ベトナム戦争が終結して5年後に、PTSDが公式に病名と認められた。その意味からも重要な戦争である。
ベトナム戦争を扱った小説なのかで、もっとも重要な作品の一つと見なされているのは、ティム・オブライエンの長編『失踪(In the Lake of the Woods)』(1994年)である。オブライエンは、マカレスター大学を卒業後、徴兵忌避も考えたようだが、1968年に徴兵で陸軍に入隊した。1969年にベトナムへ派遣され、1年前に大虐殺が起きたソンミ村にも行った。1970年にベトナムから帰国し軍曹で除隊。以降、おもにベトナム戦争にかかわる小説を書き始めた。オブライエンはベトナム戦争を扱う小説家のなかで、第一人者と認められている。
William Timothy "Tim" O'Brien(1946 - )1968年、大学卒業後にベトナム戦争の徴兵で陸軍に入隊し、歩兵として戦闘に参加。復員後ハーバード大学大学院へ進学、その後ワシントン・ポストで働く。1973年に『僕が戦場で死んだら』でデビューし、1979年に『カチアートを追跡して』で全米図書賞を受賞。現在はテキサス州立大学で教鞭もとる。
『失踪』の大筋を要約すれば、つぎのようになる。1986年9月、上院議員の予備選挙で大敗した直後、41歳のジョン・ウエイドは、妻のキャシーとともに、人里離れた湖畔に1軒だけ孤立して建っている貸別荘にやってくる。落選による心身の疲れを誰にも邪魔されずに癒すためだった。ところが、8日目の夜中に妻のキャシーが失踪する。夫のジョンは失踪の原因がわからないと警察に証言し、キャシーの捜索に協力した。だが、約1カ月後に今度はジョンも失踪する。そこで小説は終わる。2人の失踪の謎は謎のままだ。
キャシーの失踪の謎を中心に、この作品は展開している。ミステリー小説の体裁をとっているのだ。しかし、その謎が解かれないままで終わっている点が、平凡なミステリーとは違う。またこの物語は、ウエイド夫妻の失踪に関心をもった「この小説の作者(必ずしもオブライエン自身とは言えない、微妙な設定なのだ)」が語る体裁をとる。そして「この小説の作者」は、二人が失踪してから約3年後の1989年から1994年までの間に事件をリサーチし、この小説を書いたことになっている。しかも「この小説の作者」は、たえず作品中に直接顔をだし、失踪物語にコメントをし、推測を行い、注釈さえも加える。小説の語り方としても斬新な作品である。
さて、読み進めてゆくと、キャシー失踪の核心には、夫ジョンのベトナム戦争体験があるのがわかってくる。ジョンは上院議員の予備選挙で圧倒的に有利に選挙を進めていたが、地滑り的な大敗を喫した。対立候補によって、ジョンがベトナムで従軍していたときにソンミ村の住民約500人に対する大虐殺に加わっていたことが新聞に暴露されたためだ。さらに、虐殺に加わっていたことを隠ぺいするため、公文書の不法な改ざんまでも行っていたことも明らかにされた。ジョンは虐殺者で卑怯な嘘つきだ、という烙印を押されたのだ。
その結果ジョンは、15年間営々として築いてきた政治家としてのキャリアを完全に失った。周囲の人びとの信頼も無くした。妻のキャシーも、夫が行った18年前の恥ずべき行為を新聞報道で初めて知った。世間に顔向けできない重大な秘密を隠しつづけていた夫に裏切られたと感じた彼女は、彼への愛も冷めてしまったのではないだろうか。少なくともジョンへの信頼を失い、ジョンから心が離れたことは語られている。つまり、ジョンのベトナムでの戦争体験が生んだ結果が、キャシー失踪の一つの原因だといえる。
ところで、ソンミ村の大虐殺は、ジョン自身にどんな影響をあたえたのだろうか。虐殺は隊長の命令だったし、ジョンは積極的に虐殺に加わったわけではなかった。しかもこの虐殺で有罪になったのは、指揮官のカリー中尉一人であった。加わった一般の兵士の責任は問えないというのが軍隊の公式な見解だった。
しかし、そこでの経験は、ジョンの心と体がバラバラになるような、強烈な傷を心に残した。これ以降、戦場でのジョンは、まず、「戦争のなかで自分を忘れよう」として「異常に危険なこと」や「考えられないような行動」をあえてするようになった。心の傷を意識するのを避けるために、命の危険に身をさらすという瀬戸際に身を置いたのだ。
つぎに、自らの意思でベトナム滞在を1年間延長した。戦場に残るという決断は、最愛の人キャシーとの再会がさらに1年間伸びるのを意味するだけではない。戦死をふくむ戦傷の可能性がそれだけ増すことを意味する。ソンミ村での経験は、生死にかかわる重要な決断をジョンに強いたのだ。この2つの行動からもわかるように、ソンミ村の経験はジョンに強い心理的なストレスをあたえ、PTSDとなる深い傷を心に残した。
除隊後も、ジョンはとうぜんながらPTSDの症状を見せている。1969年11月に帰国した際、キャシーに連絡することなく2日間姿を隠し、彼女を尾行する。異常行動だ。その間もジョンは「まだ滑りつづけている」と感じ「遊離感覚」に悩まされている。また「両目が痛んだし、心も、あらゆるところが痛んでいる」と感じている。さらに夜明け前には「気がつくと、目覚めて床にうずくまり、暗闇と対話していた」りする。
帰国から1年後には、キャシーと結婚するが、結婚後もPTSDは完治していない。就寝中に、悪夢にうなされ奇声や悪罵を叫んで、キャシーを何度も怖がらせる。
そのようなジョンが、隠しつづけていた悪行を暴露され、人望や信頼を失っただけでなく、上院議員予備選挙で大敗する。積みあげてきた人生が完全に破綻したのだ。それは危機的なストレスとなり、ジョンのPTSDはさらに悪化し顕在化した。以前にトラウマとなる経験がある場合、その後にさらにトラウマとなる経験をすると、一層ひどい症状を示すことがあるからだ15)。
実際、貸別荘にやってきたジョンは、過酷な接近戦のフラッシュバックに苦しむ。夜中に寝汗をかいて目を覚まし、微熱のなかで頭が変になった気がする。また、夜中にヤカンで水を沸騰させ、その煮えたぎる湯を観葉植物に注いだりする。そのあとの記憶が飛んでいて、意識が戻ったときには裸で湖に浸かっていたり、桟橋に座っていたりする。
「この小説の作者」は、キャシー失踪の状況を6つの可能性として推測している。そのなかの1つに、ジョンに殺されてボートとともに湖底に沈められた、というものがある。その可能性はかなり高く、状況証拠もそろっている。批評家のなかでもこの推測にくみする人はかなりいる。もしそうだとすれば、PTSDに苦しむ元兵士が妻を殺して自身も命を断つ、最悪のケースの一例となる。
しかし、先にも指摘したように、この小説は謎が謎のままで終わっている。だから、ウエイド夫妻の失踪のケースがPTSDの最悪のケースだとは断定できない。しかし、その可能性がつよく暗示されているのは明らかだ。言いかえれば、この『失踪』という小説では、強い心的ストレスが生じた経験から長い年月を経て、再び大きな危機に直面すると、PTSDがさらに深刻なかたちで再発することがあるという、悲劇が示唆されている。
生きて帰国できても、それはハッピーエンドではさらさらない。過去の戦場での経験がそれまで長くつづいた平穏な家庭を崩壊させ、夫婦を死にすら追いやる場合さえあるのだ。
おわりに
米国は、第二次世界大戦以降でも、朝鮮戦争・ベトナム戦争・湾岸戦争・アフガン戦争・シリア戦争などと絶えず戦争をつづけている。その間、戦死者や戦場で心身が傷つく人も絶えず生まれている。だから、これまで述べてきたように、戦争によるPTSDにたいする関心も常に、それなりに高い。
一方、日本では、第二次世界大戦以降、幸いなことに戦闘での死者は1人もでていない。そのこともあり、戦争によるPTSDへの関心は低い。知識や理解はもっと低いだろう。たとえば、第二次世界大戦の日本軍元兵士のうち、1971年の時点で2つの国立療養所だけで167人が16)、戦後69年を経た2014年の時点でも13人が17)、精神疾患(PTSD)で治療を受けていた。そのことを知っている日本人はどれほどいるだろうか。
現状では、自衛隊が海外に派遣される機会がこれからさらに増えるのは確実だろう。自衛官が「戦場」で「戦闘」に巻きこまれる可能性はより高まっている。もしそうなればPTSDに苦しむ自衛官が必ずでてくる。そのとき私たちには、少なくともPTSDについての関心と正しい理解が必要だ。そのためには、政府が正確な情報を公開して、国民に知らせることが必須だ。南スーダンに派遣された自衛隊の日報をめぐる隠蔽疑惑のようなことが、再び起きてはならない。
< 参考資料 >
のま・しょうじ1949年 京都府生まれ。大阪市立大学大学院退学・兵庫県立ピッコロ演劇学校修了。1996年 京都府立大学文学部教授、2007年 佛教大学文学部教授。文学博士(京都大学)。著書に『芝居もおもしろい』(近代文藝社・1992年)、『読みの快楽─メルヴィルの全短編を読む』(国書刊行会・1999年)、『戦争PTSDとサリンジャー─反戦三部作の謎をとく』(創元社・2005年)『「グレート・ギャツビー」の読み方』(創元社・2008年)、『小説の読み方/論文の書き方』(昭和堂・2011年改訂版 2015年)などがある。