「人工知能のための哲学塾」全体マップ

(『人工知能のための哲学塾』p.4「本書の全体像」をもとに作成)

 

 

 

現象学と看護

 

現象学は、環境と人間を常に一つの全体としてとらえようとする自然な考え方です。なぜそんな自然な考え方に名前が必要かと言えば、もう一方には先ほど説明した「機械論」のとらえ方があるためです。

 

現象学が着目するのはまず、自分とか他人とか物とか、すでに何か常識的な概念になっているものではありません。むしろそういった既成概念から一度自由になろう、そして今自分が「体験していること」から出発しよう、という姿勢を取ります。たとえば「看護師が患者をケアする」と言ってしまうのは、とても客観的で正確な描写かもしれません。しかしこれは現象学的ではありません。便利な言い方ですが何かが抜け落ちています。だとすればさらに詳細に説明して描いていけばよいかといえば、それはまた堂々巡りへの始まりでもあります。

 

そこで次のように発想を転換するのです。「その人の、それぞれの瞬間の経験こそが、出発点なのだ」と。概念とか、言葉とか、解釈とか、そういうことではなく毎日その人が経験すること。まだ名前も説明もつかない、看護という名前さえつけられない、固有の経験から出発するのです。すなわち、現象学にとって一番大切なのは、看護をされるそれぞれの方の、一つひとつの経験を記述することから始めようという態度です。つまり現象学にあるのは、体系ではなく記述です。それぞれの体験がどんなふうに世界とつながっているのかを探求すること。出発的は自分の体験でよいのです。

 

 

現象学と記述

 

現象学は学問ではありません。それは学問の方向を基礎づけるものであり、看護の現象学的なアプローチとは、固有の経験をまず記述することです。たとえば今日は体調が悪んだけど、それでも出勤して患者さんを看護しなければならない。その時の自分にとって「看護をする」という経験がどのようなものであったかを記述していくのです。

 

たとえば、物を持ち上げるのがしんどかった。「私も体調が悪いんですよ」と患者さんに話したら頷いてくれてうれしかった。病室の窓から見えた月がきれいだった。そこから以前、月のきれいな晩に患者さんと話をしたことを思い出した……など。そういうことです。

 

「なんだ、日記みたいじゃないか」と思われるかもしれません。確かに現象学は日記のようなのですが、しかしここでもまだ、たくさんの「私」とか「患者さん」という概念が入り込んでいます。現象学はそういった解釈を超えて、より純粋な経験へ迫ろうとします。

 

「いや、そんなことを言っても目の前には患者さんも自分もいるじゃないか」と思われるでしょう。確かにそのとおりですが、その解釈は一端保留にしておいて、そこで経験していることを素直に書き留めていくのです。看護という経験をされる中で、たとえば自分がまるでその場と一体となり流れているかのような経験をされた方も、同僚や患者さんから声をかけられて、はっと自分の存在を改めて自覚したり、匂いに気を取られていたり、点滴のような繊細な作業で我を忘れている、そんな経験もあると思われます。

 

私にはそれを記述することができません。それは看護をされている方だけに可能なことです。「看護師が患者さんをケアする」という客観的な記述ではなく、看護をされる一人ひとりの内側にある経験をとらえるために、既成の概念から一旦はずれて経験そのものへ降りて行きましょう。そして、そこからもう一度「看護」について考えてみましょう。

 

もちろん厳密な学問として「看護学」があることも知っています。しかし現象学的なとらえ方では、看護というのは経験が毎日積み重なり、その体験から何かを発見することによって更新されていくものです。それは現象学が「生の学問」と言われる由縁でもあります。

 

 

人工知能と環世界

 

人工知能の歴史は60年。その源流には「ダートマス会議」と呼ばれる学会での「人間の知能を機械に与える」という宣言があります。しかし、なぜ「考える」だけなのでしょうか? 知能とは「考える」だけの存在でしょうか? 世界を感じ、悩み、希望し、落ち込み、自らを奮い立たせ、人にやさしく、いろいろな精神の経験をするのが、知能のありかたなのではないでしょうか?

 

実はそういった視点が、これまでの人工知能には欠けていました。現象学から人工知能をとらえ直すことで、世界を内側から体験する人工知能を構築しようとする方向が見えて来ます。考える人工知能という狭いエッジから、より広い精神の活動を行う人工知能への転換点です。現象学の基本は経験です。世界を経験してこそ、そこから知能や自分というものが浮かび上がって来ます。

 

だから僕は人工知能に世界の情報を収集する感覚を与えます。そこから、人工知能がさまざまな決断を自分で行えるようにします。そして身体を準備して人工知能がそれを動かせるようにするのです。

 

では、内面にさまざまな精神活動を実現していくためにはどうすればよいでしょうか? それはこれからの仕事です。私はその可能性の海の前にいて、これから航海に出ようとしています。

 

これまでの私の道程の途中で見つけた知見が、皆さんのお役に立てば幸いです。

 

 

三宅 陽一郎 みやけ・よういちろうゲームAI開発者。京都大学で数学を専攻、大阪大学大学院物理学修士課程、東京大学大学院工学系研究科博士課程を経て、人工知能研究の道へ。ゲームAI開発者としてデジタルゲームにおける人工知能技術の発展に従事。国際ゲーム開発者協会日本ゲームAI 専門部会設立(チェア)、日本デジタルゲーム学会理事、芸術科学会理事、人工知能学会編集委員。共著に『デジタルゲームの教科書』『デジタルゲームの技術』『絵でわかる人工知能』(SB クリエイティブ)、著書に『人工知能の作り方』(技術評論社)、『人工知能のための哲学塾』(BNN 新社)、『ゲーム、人工知能、環世界』(現代思想、青土社、2015 年12 月)、最新の論文は『デジタルゲームにおける人工知能技術の応用の現在』(人工知能学会誌、2015 年、学会Webにて公開) などがある。  ★編集部追記「現代思想」2017年3月臨時増刊号「総特集=知のトップランナー50人の美しいセオリー」に三宅さんによる「理論を包むビジョン  科学、工学、哲学、そして人工知能」が掲載されています。  ◀ トップページへ戻る

 

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