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写真上「赤十字幻燈」42枚一組(第4版=レプリカ)。幻燈(マジック・ランタン)とは、17世紀にヨーロッパで発明された、ガラスに描かれた絵や写真などをレンズで拡大して投影する装置。

写真下:左から石黒忠悳、ナイチンゲール、アンリ・デュナンの肖像。

(写真提供:日本赤十字社)

1800年代、国際赤十字社の設立運動をヨーロッパの域内で広げ、多くの賛同を得ようとしたときには、国境を越える共通の価値観としてキリスト教の博愛精神に訴え、十字架を象徴として持ち出すことは、なかなかうまい方法だったといえる。けれどもその運動がさらに拡大してキリスト教文化圈を越えようとすれば、かつては有効だったこのシンボルは、たちまち障害となった。実際、現代でもイスラム教圈では赤十字ではなく、赤新月旗を使用している。

 

しかし、日本赤十社はアジア文化圈内にありながら、いち早く十字架の使用に適応してきた。それは国際赤十字条約に加盟し「アジアの文明国」であることを内外に誇示することが、日本の国際戦略としてどうしても必要であったからである。だからこそ『赤十字幻燈演述』は条約加盟について、わが国は文明国としての資格審査を経た上で加盟を許されたのだ、と誇らしげに説く。

 

近年は欧州文明国にては此同盟に入らざれば自ら其国の品位何となく卑しき如き感ある故に、加盟を請ふ邦国日々に増加す。随て容易に加盟を許さず。此に加盟するには大約四個の資格を調査証明する事となれり。其一は其国の宗教、其二は其国医学の程度、其三其国が戦時傷兵に遇する歴史、其四其国の民俗が戦時傷兵に対する心事実例是れなり。

 

日本が赤十字条約締結国として認められたということは、西洋文明国の一員としてその仲間に加わることができたことを意味しているのだ、と説いている。日清戦争後に刊行された『西洋傑婦伝 第二編 ナイチンゲール』注5 は、この事情をもっと率直に語っている。

 

東洋に於ける締盟国は我邦の他に暹羅(しやむ)一国あるのみ。不幸にして我隣邦支那朝鮮は今日に至るも未だ加盟せざるなり。否、せざるにはあらず。する能はざるなり。〈中略〉 博愛愛仁寛厚の赤十字なる文明的行動が、果して彼等によりて適当公明に履行せらるべきかは、甚危き限りなり。〈中略〉 彼等は列国の間に相等の有資格者たることを認識せられざるなり。東洋に於ける締盟国は実に我国を以て嚆矢とせり。

 

日本は文明国なのだから、西洋の文明国がやっているように、近隣のアジア諸国を植民地支配する資格がある、という説明である。これは福沢諭吉が説いた「脱亜入欧論」注6 の変奏である。

 

 

国際法学者が説いた日本赤十字社の「忠君愛国」

 

日本赤十字社の設立は、日本が国際社会で対等な待遇を得ること(「入欧」)を動機としていた。しかしわが国独自の文化的背景にさえぎられて、キリスト教という共通の価値観を持ち出すことはできなかった。そこで日本政府は、十字架というシンボルから宗教性を取り去りつつ、天皇の権威に直結させることで日本赤十字社の国内での権威を高め、そうすることによって赤十字社がいかに重要なものであるかを国民に説得しようとした。

 

戦前の国際法学者・有賀長雄は、以上のような日本赤十字社の特性をものの見事に描き出している。有賀は、日本赤十字社の特徴は「忠君愛国主義」にあると説く。

 

外国の赤十字社は多く宗教上の観念に基拠する所あり。之に反して本邦の赤十字社は純潔たる忠君愛国の情より起り、且つ徴兵の制度と密接の関係あり。是亦他国に於て更に類例を見ざる所たり。

 

本来、赤十字社は宗教団体ではないし、その徽章たる赤十字もキリスト教とは直接関係がない。しかし、西洋においてその活動は宗教団体の活動と密接に関係していた。

 

特志看護婦の如きも多分に尼寺の出す所にして、之を出家看護婦と称し、独仏戦争に於ては大功ありしなり。

 

むろん西洋の赤十字社がこういう性格を持っているからといって、それで弊害があるというのではない。我が国の実情とはこの点で異なっていると指摘しているにすぎない。

 

本邦に於て吾人が赤十字社の事業に熱心なる所以のものを分析せば、二あり。曰、特志救護の事業を盛にするは至尊の嘉みし給ふ所なるを以て、熱心従事し、以て臣子の分を尽さんとすること。及び我が病傷兵士は国民に代りて身命を投じ、国家の防御に力を尽さんとして此の不幸に逢ひたるものなれば、国民たる者は之を救護し、此を愛恤せざるべからずと感ずること是なり。一言以て之を掩へば、我が赤十字は忠君愛国の情に依りて立つものなり。

 

つまり赤十字社の活動は、皇室の意志を体現するものであるから忠君である。また戦時にあっては、徴兵に応じ国のために戦うのは愛国の行為であり、この兵士を救護するもまた愛国の行為であると述べられている。

 

1945年の太平洋戦争終結までの日本にあって、日本赤十字社が掲げる「博愛」のスローガンは、忠君愛国と相反するどころか、これを補足するものとして欠くことができないものだった。有賀の「日本赤十字社の優点」注7 はこの事情をきわめて的確に説明している。

 

大山巌は、赤十字条約への加盟は「我軍人軍属をして此幸福を享けしめんとの聖慮」によるものであること、したがって「万一(まんいつ)此(この)條約(でうやく)に反(そむ)ける行為(ふるまひ)ある時(とき)は畏(かしこ)くも 皇帝陛下(くわうていへいか)の至仁至慈(しじんしじ)なる 聖慮(せいりよ)に乖(そむ)き、国(くに)の品位(ひんい)を墜(をと)す」結果となるとの訓戒を繰り返し行っていた。

 

日本赤十字社の総裁は皇后がこれを務め、皇后自らが総会に臨席し、赤十字病院をしばしば訪問したこと、赤十字病院の建設に際しては皇室から多額の下賜金があったことなど、日本赤十字社と皇室との特別な関係については、国民に向かって繰り返し宣伝されてきた。

 

 

注5『西洋傑婦伝 第二編 ナイチンゲール』勁林園主人(中村勁林)編、東洋社、1901年。ちなみに同書の第一編は「ジャンダーク」(ジャンヌ・ダルク)、第三編は「マリア・テレザ」である。

注6:アジアから脱して、欧米諸国の仲間入りをすること。日清戦争前後のアジア観の1つとして言われた言葉。1885年(明治18年)の福沢諭吉の「脱亜論」が代表的。

注7『日本赤十字』第40号、日本赤十字社刊、1895年に掲載。

 

 

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