サステイナブルな質の改善と患者安全
2025年11月8日~9日、京都市にて「第20回医療の質・安全学会学術集会」が行われた。研究から実践まで多岐にわたる演題が出そろい、患者と医療従事者、そして関連職種のさまざまな立場から医療の質と安全について論じられた当会を束ねるテーマは、「サステイナブルな質の改善と患者安全」である。人口減少等に起因するさまざまな困難に直面する今、それらを乗り越えて新たなステージへと進むために必要な〈地盤〉とはどのようなものか、大会長である松村由美氏の講演においてその指針が示された。
取材:安藤 美穂(編集部)
大会長講演
Duty of Candor:公正な文化の醸成と共に
◉松村 由美(京都大学医学部附属病院 医療安全管理部)
(※以下、講演内容に基づく)
安全文化とは何か
最初に松村氏は、「言葉を大切にしたい」と言った。本集会の他の講演においてもしばしば言及されたように、医療の質・安全を保つためには〈対話〉や〈連携〉、〈コミュニケーション〉が不可欠であり、そのために用いられる主要な道具は言葉である。だからこそ、松村氏は医療の質・安全の基盤を論じるこの講演において、一つひとつの言葉を丁寧に解釈し定義していったのであろう。
演題の「公正な文化(JustCulture)」とは、「安全文化(SafetyCulture)」1)を構成する下位文化の一つである。「文化(Culture)」という言葉が「耕す(Cultivate)」に由来することに着目し、松村氏は医療における安全文化を農耕に喩えて表現した。すなわち、「倫理」という土壌を「対話」で耕し、共同で使うシステムを整備し、知恵を共有することで「良質で安全な医療」(農作物)を育てる土壌を作るということが、安全文化の意義である。そして、その土壌に蒔かれる種が「患者さんの生きる力」であり、医療者は種の力を信じて待つ。形式的なルールを作り・守るだけでなく、「一人ひとりが倫理観を持ち、対話を通じて経験を語りあうことが文化として根付いていること」2)が、医療安全文化の実現には必要なのである。
英国の「Duty of Candor」に学ぶ
日本では2000年頃から「医療安全」という言葉が使われ始め、それから四半世紀を経た現在、医療安全は成熟期を迎えている。かつては医療従事者のみを対象とした概念であったが、2021年にWHOが発表した「世界患者安全行動計画2021-2023」においては「政府、医療施設・サービス提供者、利害関係者、WHO事務局それぞれが取り組むべき行動目標」3)が掲げられており、より多くの関係者が医療安全に関与するようになっていることがわかる。具体的な行動の枠組みとしては、「透明性、率直さ、非難のない文化」「患者の経験から学び、安全性を向上する」「患者安全事案の被害者への開示」「患者安全インシデントの報告・学習システム」といった項目が設定されている3)。
こうした背景をふまえ、松村氏は、英国の「Duty of Candor」から学ぶべき〈謝罪〉のあり方を解説した。
Duty of Candor(誠実義務、率直である義務)とは「医療提供者やケア提供者からオープンで透明性のある対応を受ける権利」4)であり、2008年に英国国民保健サービス(NHS)の規制として法律で定められた概念である。その要点は、インシデントによる害が発生した際、現場の医療者が即座に・率直に誤りを認めて謝罪することだ(ただし、この場合の謝罪は法的責任を認めることを意味しない)。インシデントにはさまざまな種類のものがあるが、いずれにしてもまずは謝罪をし、その後に調査・分析に基づいて情報を開示する(Open Disclosure)という対応が求められている。
率直に謝罪することは「常に正しいこと」であり、「何が起こったのかを知り、再発を防止するための第一歩」4)であるというのが、Duty of Candorの考え方なのである。
Duty of Candorを支えるJust Culture(公正な文化)
「率直な謝罪」を可能にするためには、医療従事者が正しい倫理観を身につけることと同時に、医療従事者が謝罪を恐れずにいられる環境が必要となる。それが、安全文化の一つである「公正な文化 Just Culture」である。
JustCultureの考えでは、誰でも間違えることがあるという前提に立ち、ヒューマンエラー(うっかりミス等)は許容すべきものとして捉える。ミスをした人に懲罰を与えると、その後その人は懲罰を恐れてミスを隠すようになり、かえって医療安全が脅かされることになりかねないからである。もちろん、故意に行われた危険行動や無謀な行動に対してはしかるべき処置(教育や懲罰)をとる必要があるが、誰でも犯し得る失敗については、組織全体の課題として対応するべきなのだ。
公正な文化は、自然発生的には実現しにくいものであり、組織のリーダーが醸成・維持に努めなければならない。率直なコミュニケーションを行える、心理的安全性の高い組織を目指し続ける必要があるのである。
患者・家族との対話、説明責任
インシデント発生後に患者・家族との対話を行うとき、「患者側の期待と医学的原因のずれ」があることにより、対話がうまくいかないことがある。この「ずれ」に気づき、医療者側と患者側が「ともに真実を探求」4)する関係を築くことで、はじめて対話が成立するのである。
そして、専門家としての説明責任を果たすためには、以下の3つのステップを踏むことが推奨されている4)。
こうした対応は患者側・医療側のすべての関係者に対して公正に行われるべきであり、そのためには、組織の中に「公正な文化 Just Culture」が定着していなければならないのである。
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〈公正〉や〈率直〉は一般的に望ましいとされる概念であるが、それを現実の行動で表そうとすると、途端に難しくなる。一人ひとりの判断に委ねれば個人差が生じ、画一的な行動マニュアルを押し付ければ倫理が形骸化してしまう。個人の自由意志と組織の秩序との折り合いをつけることは、常にリーダーを悩ませる問題であろう。加えて、どんなに注意深くつくり上げた組織体制であっても、構成員や時代が変われば不都合な点が現れてくる。だから、組織の行動規範や倫理綱領は、必ず見直され修正され続けなければならないはずだ。
そうであれば、〈ミスをしない完璧な人はいない〉ことと同じように、〈瑕疵のない完璧な組織はない〉ことも共通認識としてもっている必要があるだろう。構成員一人ひとりが組織を見守り、間違いがあれば正そうとする姿勢をもつことができれば、個人の尊厳と組織の調和を両立することができるのではないだろうか。
●● 注