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開業後―傷跡を今に引き継いで生きる―
初診には1時間をかけ、できるだけ薬を使わない医療をと考え、身体療法なども多用することにした。特に妻は、TFTやEMDRなどさまざまな身体療法を使えたので、女性の患者で解離やPTSD傾向の認められる患者は、妻に治療をお願いした。
東日本大震災のあった2011年3月11日以降、1週間以上、患者さんは来なかった。抗不安薬を極力処方しなかったこと、睡眠薬も可能な限り減らす努力をしていたことが起因したのだろうと思う。
震災は、近所の老健施設から通う陳旧化した統合失調症の人たちにさまざまな影響を与えたようだった。その中の一人の患者さんは、ハロペリドール15mg分3、就寝前に100mgのヒルナミン、そのほかにいくつかの薬剤を服用していた。戦争中に満州にいたということから、私が対応したことのある外国人花嫁の出身地である内モンゴルやモンゴルの草原の話などをして、月に一度、10分程度の話をしていたが、震災からほどなくして、彼は付き添いを外して聞いてほしいと言った。それから毎週30分の時間をとって、彼の話を聞いた。
彼の幻聴は、満州で上官の命令で殺してしまった中国人の泣き叫ぶ声だった。その中に女や子供の声もあった。日本に戻ってきてたまたま一流企業に採用された。しかし、上司に無茶苦茶なことを言われているときに、中国でしてきたことがフラッシュバックしてきて、夜も眠れなくなった。うつむきながら話す彼の目からは滂沱(ぼうだ)の涙が流れ、ティッシュではなくタオルを置かなければならなかった。聞く私も涙を禁じ得なかった。
処方は、最終的にハロペリドール1mg就寝前で落ち着いた。彼は、これ以上減らすと過去の映像が蘇って眠れなくなると言った。しかし日中フラッシュバックが起きてきても、それは自分が向き合わなければならない仕事だからと言い切った。自分の話は、自分が死んだら誰にでも話してよいが、死ぬまでは先生の心の中に収めてくれと言われた。彼が満足しきるまでには、半年の歳月が必要だった。
そして再び月に一度の診察に戻った。受診最後の日に、自らの死を自覚したかのように「戦争は絶対にしてはいけません。それを若い人たちに伝え続けてください」と安らかな顔で握手を求められた。それからほどなくして肺炎のために亡くなった。彼の話から加害者のPTSDも大事に扱わなければと考えるようになった。また、戦争による傷痕は、その時代を生きた人のみならず、世代間連鎖としてその傷を引き継いで今を生きる人たちがいることを忘れてはならないことを肝に銘じたい。
過去の事実と向き合う
「一億総懺悔」という言葉は、日本人全員が戦争を起こした責任を懺悔することだと私は思っていた。たまたま辺見庸氏の『1★9★3★7』●8を読んだ。一億総懺悔は、戦争に勝てなかったことを天皇に詫びることだということを初めて知った。極東国際軍事裁判●9で外国人によって戦争責任の裁判が行われた。しかし、日本という国は、国民が自ら自国の戦争責任を問うことをしなかった。東久邇首相によって一億総懺悔にすり替えられ、いまだに戦争責任を追及する者もなく、マスコミも触れようとしない。
いじめのために自殺した子供、その家族は、悲痛の声を上げる。しかし、いじめた者は顔も出さず、自責の念さえ語らない。戦争のために上官の命令で罪のない無辜(むこ)の民を殺し、戦後何十年も苦しみ続け、統合失調症患者としての人生を送り、しかも「皇軍に1人も戦争神経症はいない」として、彼らは戦争の犠牲者として日本という国に受け入れられることはなかった。戦争を引き起こした責任者は、その責任を恥じもせず戦後を生きている。いじめられて自殺した人間をいじめた人間は、責任もとらずに何食わぬ顔で生きている、日本という国は、責任を受け止める文化のない国なのではないか。
かつて人権問題にうるさかった精神科医は、精神疾患と戦争について語ることは少なかった。医師も看護師も、あの戦争に関わってきた歴史があるはずである。
ヴァイツゼッカー●10は、「荒れ野の40年」の中で語る。若者にあの戦争の責任はない、しかし、過去に目をつぶる者は未来に対して盲目になると。過去の事実と向き合うという作業は、心の傷を抱える人にも、それを扱う治療者にも避けては通れない営みである。
[ 註 釈 ]
●1=ライシャワー事件:1964年、駐日米国大使・エドウィン・O・ライシャワーがナイフで刺され、重傷を負った。犯人が精神疾患患者であったこと、大使が輸血後肝炎を発症したことから、精神衛生法の改正(緊急措置入院制度の新設など)、売血制度の廃止へとつながった。
●2=境界例:境界性パーソナリティ障害(borderline personality disorder;BPD)とも。対人関係、自己像、感情などに著しい変化が見られる。
●3=多文化間精神医学会:海外駐在員やその家族の適応問題、帰国子女の再適応、日本国内における外国人労働者の適応問題、外国人花嫁問題、国家間・民族間の紛争、それに伴う難民問題、宗教・民族問題などを多方面から専門的に探求するために設立された(同学会ウェブサイトによる)。
●4=『心的外傷と回復』:中井久夫訳、みすず書房、1999年(増補版)。
●5=TFT®(thought field therapy ; 思考場療法):米国の心理学者・ロジャー・キャラハン博士が1970年代の終わりに発見し、発展させてきた心理療法。ツボをタッピングすることで心理的問題の症状改善を図る(一般社団法人日本TFT協会ウェブサイトによる)。
●6=EMDR(eye movement desensitization and reprocessing ; 眼球運動による脱感作と再処理法):1989年に米国の臨床心理学者・Francine Shapiroが発表した心理療法。8段階、3分岐の過程によって、健常な情報処理、統合の再開を促す(日本EMDR学会ウェブサイトによる)。
●7=Brain Gym® : 米国の教育学博士・ポール・デニソンにより開発された、「ブレイン」(脳)を活性化させるための「ジム」(体操)。この体操を「ブレインジムエクササイズ」といい、26種類の動きを学ぶことで、運動能力の向上、精神面の安定を図る(公式サイトによる)。
●8=『1★9★3★7★(イクミナ)』:辺見庸著、角川文庫(上・下)、KADOKAWA、2016年。
●9=極東国際軍事裁判:東京裁判とも。1946年5月~1948年11月、東条英機らA級戦犯28名に対し、連合国が審理。
●10=第6代ドイツ連邦大統領・リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー。「荒れ野の40年」は、1985年5月8日のドイツ終戦40周年演説。
いがらし・よしおヒッポメンタルクリニック院長、精神科医。1983年、岩手医科大学卒業。北九州市立デイケアセンターなどを経て、2007年、山形市にて開業。現在に至る。統合失調症のリハビリテーション、精神療法、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を専門とし、特に、帰国者や外国人労働者、日本人配偶者をもつ定住者(外国人花嫁)の心のケアに、長年にわたり積極的に取り組み続ける。戦争体験で心に傷を受けた患者・家族との出会いを通し、海外派遣後の自衛官らへの医療支援にも注力。共訳:『トラウマからの回復 ブレインジムの「動き」がもたらすリカバリー』(2013年、星和書店)共著:『心の健康を育むブレインジム―― 自分と出会うための身体技法』(2017年、農山漁村文化協会)
お知らせ 五十嵐善雄先生は、2019年8月17日にご逝去されました。ご冥福をお祈り申し上げますとともに、当サイトへ貴重なご寄稿を賜りましたことに心よりお礼を申し上げます。(編集部)