第一回 支援と表現活動のハザマから考えうること
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いくつかのエピソードから
◉ケース1
滋賀県立野洲養護学校へS.Aくんに会いに行く。彼はここの高等部に通う生徒で、紙や布や安価なアクセサリーなどを駆使して鎧や兜、扇子や烏帽子など独自の「武将表現」を生み出すユニークな少年だ。社会福祉法人グロー(GLOW)が近江八幡市で運営する「ボーダレス・アートミュージアムNO-MA」にて開催中の「滋賀県施設合同企画展 ing... 障害のある人の進行形」への出展作家の一人である彼のインタビュー映像を、学芸員スタッフとともに撮影しに行くのが主な目的だった。
「できるだけ具体的な質問や指示をしてあげてくださいね。本人を混乱させないように……」と、担任のY先生は少し心配そうだけど、彼がいまそうやってひとりの「作家」として注目され始めている状況が素直に嬉しそうでもある。
進路指導室で待つこと数分、S.Aくんが登場。髪が長く、メガネをかけていて、少しぽっちゃりで、ちょっとオタクっぽい。恥ずかしそうだけどとても好奇心がありそうで、話すとどんなことでも真剣に答えてくれる素敵な少年。「このパーツはミシンで全部縫い合わせて……」「この飾りは100均ショップで働くお母さんからもらったものを工夫して……」など、次から次へと創作秘話が繰り出される。軍配団扇を振りかざしての「かかれー!」のパフォーマンスなどにも応じてくれた彼からは、遠慮がちではあるけど自分の表現をちゃんと他者に伝えたいという強い意思を読み取れた。
「第13回滋賀県施設合同企画展 ing… ~障害のある人の進行形~」に出展された、S.Aさんの作品展示風景(ボーダレス・アートミュージアムNO-MA 公式Facebookページより引用)。
インタビュー終了後、Y先生から彼の創作に至る背景が語られる。人と話すのが苦手で、長らく不登校だったこと、母親が夜まで働きに出ているため、一人でひきこもる状態が多かったこと、精神の障がいも含めて昼夜逆転した生活を改善できないことなど。でもアニメやゲームが好きで『戦国BASARA』の影響などもあり、徐々に「創作」を開始し、それが周りから認められ、学内のみならず今回のような展示にまで発展したことは、本人にとってとても大きな自信につながり、進路を語る意気込みにも変化が見られていること。母親もそのことをとても喜んでいることなど。
話を聞いていて、表現によって人生が開かされてゆくプロセスを如実にうかがえて、僕は、支援現場から生まれる表現の可能性を改めて実感した。障害福祉分野から発信されるさまざまな展覧会は、それ自体が「支援」にあたるのかどうか、就労などのわかりやすい成果につながらないにしても、ここには何か「別の支援」が存在しているのではないか。
◉ケース2
静岡県浜松市のアートセンターにて開催される「~雑多な音楽の祭典~スタ☆タン!!」に審査員として参加。浜松で障がいのある人の支援に取り組んできた、認定NPO法人クリエイティブサポートレッツが主催した、オーディション型音楽イベントだ。
レッツでは生活介護・自立訓練を行う施設の運営を通じて、主に知的障がいのある一人ひとりが持つ謎のこだわりや思いの強さに触れてきた。その過程から、ときに誰かを困らせてしまうような行為も、見方を変えればその人の魅力であり「表現」だと捉え直せるのではないか、といった問題意識が芽生える。そうして通常の支援現場ではあまり見られないような多様な文化プログラムを多数企画してきのだ。
22組の出演者のなかでとりわけ気になったのが、レッツが運営する施設の利用者でもある高橋舞さんのパフォーマンスだ。彼女の、常日頃発する独り言とも周囲に対する質問ともとれる短い言葉が、マイクを通して客席に投げかけられる。その傍らでミュージシャンの男性がリズムトラックを奏で、彼女の言葉にエフェクト(音響効果)をかけてディレイ(こだま)させていく。
「~雑多な音楽の祭典~スタ☆タン!!」に出演された高橋舞さんのパフォーマンスの様子(「スタ☆タン!!」公式Facebookページより引用)。
確かにかっこいいのだけど、何かが引っ掛かった。これはどこかからどこまでが高橋舞さんの表現なのだろう。僕はこれまでも施設で彼女の姿を何度も見たことがあって、今日も比較的いつもどおり、口を突いて出てくる言葉に身を任せているように見えた。しかし、いつもと違うのは、ステージとマイクがあること。そうなるとその日常的な発話もポエトリー・リーディングのように見えてくるのだが、さらにミュージシャンが彼女の行為を、より「音楽的」に変換しているという状況までもが加わってくる。だがそれは二人のユニットとしてではなく、あくまで「高橋舞」としてオーディションにエントリーしているのだ。これはどこまでお互いの同意のうえで成り立っている表現なのか。
あとでわかったことだが、このミュージシャンは実はレッツのスタッフ、つまり彼女の支援者でもあったのだ。そう考えると、ある意味では音楽という表現を介して、彼は彼女を「支援」していたという見方もできる。
このときに、じゃあ果たして本当にエフェクトがあったほうがよかったのか、本当は彼女の声だけのほうが、荒々しいながらもかえって型にはまらない、より不思議な表現が立ち現れることもありえたのではないか。でもそれだと、そもそも普段どおりすぎて「表現」には成り得ないのか、などなど……モヤモヤと考える。
しかし一方で、やはりそのままで十分に個性的とも言える彼女の発話があるゆえに、逆に、ミュージシャン側の感性が刺激され新たな音楽を生むきっかけを与えているとすれば、果たしてステージにおいてはどっちがどっちを「支援」しているのだろうか? 改めて支援する/されるといった関係性では収まりきらない「別の関係性」が、表現活動によって見出される可能性を感じた。
◉ケース3
大阪府堺市浅香山へ、NPO法人kokoimaの理事会に出席。kokoimaは、浅香山病院のベテラン看護師たちが、同院で長期入院する精神障がい者の社会復帰をおもな目的としながら、さまざまな社会的弱者が排除されない、まちづくりを試みる団体だ。
浅香山病院では、写真家の大西暢夫さんによる撮影滞在をきっかけに、数年前より患者自らが顔を出して被写体となり、かつ被写体本人が自分の写っている展示写真の前で人生を語る「ナラティブ写真展」とも言うべき取り組みを行ってきた。その取り組みを取材したことがきっかけで、元・同院看護部長、現・kokoima代表理事の小川貞子さんと出会い、NPO立ち上げに参画して、いつしか理事になってしまったのだ。僕はこの取り組みのメンバー(患者)さんと語り合う音楽ワークショップを開催したり、場づくりにつながるネットワークをコーディネートしたり、まぁいろいろかかわっている。
理事会では、看護師、開業医、精神看護の研究者、法人の経理を担う企業の元・総務部長などの理事が集まり、地域の中に開店した「カフェここいま」の経営状況や、メンバーの心身の変化の報告などを受けつつ意見交換する。
kokoimaの取り組みを始めるにあたって、半年間ほど集中的にさまざまな課題について協議してきた。一番のテーマはメンバーが実際に退院して自立した生活を送るための場とはどういった場なのか、ということ。グループホーム? カフェ? 作業所のような存在も必要か? また、それらは一体型なのかそれとも別々の拠点として立ち上げるべきか……。
まちづくりにかかわる、とある不動産屋さんから「いきなりホームを立ち上げることは住民の反対を招きやすい」という、悲しいけどありえる現実について伺ったりすると、最初は「表向きカフェ」から始め、徐々にさまざまな企画を通じて、メンバーと地域住民が「一人ひとりの人」として接してゆく状況をつくっていくのがいいのではないか……。そういった経緯で、「カフェここいま」が完成した。
Cafeここいまで開催されている「暮らしと表現の私塾」での映画上映とその後の語り合いの様子(kokoima 公式Facebookページより引用)。
僕はこのカフェで月一回、表現ワークショップを積み重ねながらメンバーと交流し、上映した映画の感想を述べ合ったり、文章を書いたりするなかで「患者」という姿が後退していく状況を感じる。そして何よりも僕自身がメンバーの率直な言葉や反応に「そういう物事の見方があるのか……」と助けられることも多々ある。もちろん年齢的にも随分人生の先輩だからという面もあるが、彼ら彼女らが置かれてきた人生の状況から紡ぎ出されてきたであろう言葉に出会うときには、より一層はっとさせられる。
また、この場に地域の常連さんが加わると、さらに和やかな場になる。「生きづらさ」は誰にでもある。「だから甘えるな」ではなく「だからつながり合える」ことを地域に開かれた場づくりから実感してゆく。退院への道はまだまだ長いかもしれない。しかし、いざ病院の外に出たとき、「支援」とは、特定の誰かがある専門性を持って担う側面がありながらも、誰でもない誰かがお互いに「編み合う」ものなのではないか、とも思う。
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>> 今回の視点 〜 編集部より
今回とくに印象深かったのは次の箇所です。
── 退院への道はまだまだ長いかもしれない。しかし、いざ病院の外に出たとき、「支援」とは、特定の誰かがある専門性を持って担う側面もありながらも、誰でもない誰かがお互いに「編み合う」ものなのではないか、とも思う。
支援にせよケアにせよ、その行為は一方的な営みではなく、サポートする側と当事者が相互に触発し合い、つくり上げられる状況のようなものであるというアサダさんのスタンスは、看護の現場でも肌感覚として腑に落ちるものではないでしょうか。たとえば、近年注目されている現象学的アプローチもまさに、そうした言葉にしにくい看護ケアの在り方を言語化する試みとして、多くの関心や期待が寄せられているのだと思います。
そして末尾に書かれた次の一文は、看護において「寄り添い」や「傾聴」といったことばによって一言で括られがちな、語られにくいケアの重要なありかたとも重なります。
──どうしてもその「造形的取り組み」の紹介にのみ光が当たってしまい、日頃の支援者との何気ない関係性や造形活動に直接関係のなさそうな(しかし一方ではその行為のほうが実は多くの時間を割いているといった)つくり手の日常行為については抜け落ちてしまう、あるいは「わざわざ書かなくていいこと」とされてしまうことが多いように感じられるからだ。僕は、支援される側に立つ利用者がつくり手となって造形活動に取り組むその「手前」に横たわる日々の支援、あるいは造形活動の「後」に実際に支援現場にどのようなコミュニケーションの変化が訪れたか、そのことを支援者の生の証言から紡いでいくことのほうが、「福祉」の未来を考えるうえでも、また実は(本来は僕のフィールドである)「芸術」の可能性を考えるうえでも大切なのではないか、と考えているのだ。
皆さんは、どのようにお感じになったでしょうか。