第6回[現代哲学1]

患者をケアする看護実践における自己のケア

── フーコーから

 

 

第二次世界大戦のあと、現代社会における個人の自由を追求した世界的な哲学者と言えば、まずジャン=ポール・サルトルの名前が挙がりますが、とくに20世紀の後半のほうに重点を置くとミシェル・フーコーの名前が浮上してきます。

 

「人間は自由の刑に処せられている」「実存は本質に先立つ」といった言葉で知られるサルトルの思想は、生涯の伴侶であったシモーヌ・ド・ボーヴォワール(たとえば実母を介護した日々を綴った「おだやかな死」という著作があります)と重ね合わせながら、この連載でも最後に触れようと思いますが、今回はフーコーの生涯の仕事に焦点を当てます。というのも、フーコーはいろいろな意味で医学や医療とかかわりがあり、現在でも看護学の領域においてしばしば言及されているからです。

 

フーコーは大雑把に言えば個人の自由を追求した哲学者の一人と言えますが、その中身、そのやり方は、これまでの哲学者とは大きく違っています。たとえばカントのように自分なりの概念を磨き上げるスタイルでも、ヘーゲルのように体系的にすべてを説明しようとするのでもなく「歴史」の堆積から問題を浮き彫りにしようとするところに特徴があります。また、最終的には自由の実践は、自分の人生を善きものとすること、美しいものに仕上げることに向けられています。

 

すなわち「理性」とは何かを定義したり、理性と非理性(狂気)がどう異なっているのかを説明しようとするのではなく、どういった経緯で「狂気」が社会の中で治療すべき病として認識されるに至ったのか、また、そのためにはどのような法律や施設が用意されたのかといった歴史的な事象を掘り返し、大きな変化(亀裂)が起こった現場を見つけ出そうとします。そして、そうした系譜をしっかりと見極めることによって、現在起こっていることに対する問題提起を行い、その結果として社会の変革と自分の意識の変革とを同時に求めていったと言えるでしょう。つまり、単に正しさを追求する「認識」の次元における「真理」よりも、むしろ「実践」における「自由」(=善さや美しさ)を追求したのです。

 

そして、何よりもフーコーの魅力は、生き生きとした「対象」の扱い方(=記述の仕方)だと思います。文章自体は正直、一度読んだだけでは何を言いたいのかほとんどわからないような文章(世間では「煌びやかな」文章と呼ばれています)ですが、それ以上に題材の取り上げ方、問題提起の仕方が群を抜いて他の哲学者にはないインパクトがあり、このあたりはニーチェの影響が大きいと言えます。以下では簡単に彼の経歴を紹介し、そのあとに看護実践や看護学とかかわる部分をピックアップしていこうと思います。

 

 

フーコーと医学・医療とのかかわり

 

フーコーは二つの大きな大戦の間にあたる、1926年にフランスのポワチエで生まれました。父親は医者(外科医)で、地元の名士でした。父親からは医者を目指せと言われながらも、夢見がちだった文学少年フーコーは、別の進路を求めていました。母親は息子の気持ちを察して応援していたようです。結果的には本人もある程度は妥協したのか、それともむしろ真剣に対決しようとしたのか、医療現場に近いところで研究を開始しました。

 

フーコーが一浪して入学した大学は、フランスきっての名門、エコール・ノルマル・シュペリウール(日本語にすると高等師範学校)というところです。ベルクソン、アラン、サルトル、ボーヴォワールをはじめ名だたる人物が卒業しており、哲学のみならず、数学や経済学など各界に優れた人材を輩出しています。彼らは学生なのですが国家公務員でもあり、国から給料も出ていました。こうしたエリート校に入る前から出るまでのあいだ、フーコーは自分が同性愛者であることを含め、対人関係に深く悩みを抱え、何度か自殺未遂を起こしながらも、かろうじて研究者への道を歩みます。

 

まずフーコーは哲学学士号を取得し、その後心理学の学士号と免状、そして精神病理学の免状も得て、パリのサンタンヌ病院で2年ほど研修を行います。この病院は17世紀頃まではペスト患者を収容する場所にあり、フーコーのその後の研究にもつながっています。当時のフーコーは、医者でも患者でもないにもかかわらず、医療の現場にいてそのありさまをつかみとるという、とても貴重な経験をしています。病院内を自由に歩きまわることができ、しかも心理テストを行いながら患者との会話もできる、そういう環境にフーコーはいたのです。

 

 

精神疾患とパーソナリティ

 

最初の著作(フーコーは自分の処女作は「狂気の歴史」であるとしますが)「精神疾患とパーソナリティ」(1954年)は、ビンスワンガーなどの現象学的病理学とアルチュセールのマルクス主義の影響が色濃く、後に展開されるフーコーの考え方やスタイルが全面的に出ているわけではありませんが、彼が終生抱いていた問題意識は、すでにここに現れています。それは、単に記録されたもの、学問が拾い上げたもの、科学的に証明されているものを最初から自明のものとせずに、現場や個々の人の心情や思いをつぶさに聞き取ったうえで、そうしてつくりあげられた「知」が恐ろしいくらいに「力」をもって人生や考え方、そして社会のあり方を規定してしまっているのではないか、ということです。

 

特にここでは、精神医療の現場で何が行われているのか、医療従事者が患者に何を(しようと)しているのか問い詰め、そしてそこから抜け出しながら自分の考え方や生き方を形成することに自由を見いだす熱意にあふれています。読者のみなさんにとっては、あまりいい感じがしないかもしれませんが、フーコーにとって医療現場というものは非常に違和感があり、尋常ならざる世界に見えたようです。

 

 

Column 1:医療現場におけるフーコー的体験

個人的な経験で恐縮ですが、かつて私が下顎骨折したときのこと。通院した大学病院にはインターンの学生らしき人が数名病室におり、医者の指示にしたがって、私の頭にヘッドギアのようなもの(つまり顎を固定化するためのもの)を装着するための練習台にさせられたことがあります。私への断りもなしに、インターンの学生たち3人は、慣れない手つきで私の頭をべたべたと触りながら器具を取り付けようとしました。これは医療処置ではなく彼らの研修の手助けです。しかも、なかなかうまくいかずに難儀します。途中で「もうやめてくれ!」と叫びそうになりましたが、幸い医者が「こうやるんだ」と強引に収めて、装着はなんとか完了しました。とても嫌な気分でした。なぜ突然、私は彼らの実習のためのモルモットにさせられたのかが不満でした。こうしたことがあたかも当然であるかのように実践されるという現実は一体何なのか。フーコーの指摘はこういう現実における違和感と接点があると思います。

 

 

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