── 考えること、学ぶこと。

梟文庫という居場所

西尾 美里 さん

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ゆるやかな線の引き直し

 

もう一つ重要な点は、このような梟文庫の活動が、地域の日常のなかで実践されているところにあります。

 

現代を生きる私たちは、他者の病いや老い、苦痛や苦悩などを身近に肌で感じる機会が減っています。かつては地域社会でなされていた療養や介護、障がいとともに暮らす人へのケアなどが、病院などに代表される「外部」に委託され、地域から切り離されてしまったからです。

 

「健常者」だけが身の回りにいるという均質化された社会の原型は、幼少の頃から形づくられていくのだと西尾さんは言います。たとえば、小学校では同じ学年の子どもが一つのクラスに30〜40人集められ、一人の教員がその集団を“まとめる”仕組みになっています。その“まとまり”から逸脱した者がいれば、問題行動を矯正される対象となるのです。

 

 

こうして子どもたちは幼少の頃から今に至るまで、互いに類似した身体とその動きや、ものごとの考え方を身につけることを無意識に強いられていきます。つまり私たちは「多様性」とは真逆の社会に過ごしているのです。あらかじめ区分けの線を引かれた中で、いつも同じであること・同じでいることを求められながら暮らしていたことに気づかされます。

 

その一方で近年、地域包括ケアの名のもとに、今まで施設で暮らしていた精神疾患患者、認知症患者、そして入院加療の対象であった疾患をもつ患者までも外来診療へ移行し、多くの“患者”が地域で暮らし始めています。患者は病いとの共存を志向し、地域は病いとともに暮らす人々との共存について考える時代となりました。

 

しかし長らく病いや老いを日常から遠ざけていた地域社会には、それらを受け入れる準備がまだ十分に整っていないのが現状です。そのことに対し西尾さんは「いろんな人がいる、っていうことが大事なことであって、無理にまとまらんでもいいようなしかけが社会に必要」と言います。

 

梟文庫こそ、そのしかけの実践であり、多様性の受け皿を地域でともに整えようとする活動なのです。それは、みずからが地域の生活者として根ざしながら、社会に引かれている見えない境界線を緩やかに引き直す営みでもあります。看護師でありながら、それを前面に出すことをせず、ひとりの同じ地域に住まう者が、家族ぐるみで“世話人一家”として身を挺す実践です。

 

西尾さんは次のように言います。「梟文庫は、まちの中の小さなしかけだと思って運営しています。既存の制度の隙間をそっと埋めるような、そんなしかけでありたいですね」

 

 

隙間の形は均一ではない。したがってそれを埋めるしかけも多様であることが大事なのです。行政という大きな単位では見過ごされ、かつ実践するのが難しいからこそ、それぞれの小さなしかけで、たくさんの隙間を埋めていくことが目指されています。こうしたスタンスが、“自分の半径”でと評される活動範囲につながっています。拡大よりもバリエーションを増やしていくことが、より多様性への貢献に結びついていくはずです。

 

梟文庫がこれから目指すところは何でしょうか。西尾さんに尋ねると、微笑みながら大きな野望が語られました。

 

「仕事を生み出したいですね」

 

「仕事」と言えば、とかく生産性を求められるものですが、それとは異なる形の仕事を提案したいのだと西尾さんは言います。支援される対象である人々の「役割」は、ただそれだけではない。彼らだからこそ持っている魅力を活かしたい。地域に結びつきながら新たな仕事を生み出すところを目標に、梟文庫は2年目の歩みを進めています。

(おわり)

 

 

 

 

現象学的アプローチとしての梟文庫

 

西尾さんの実践では、いろんな既存の枠組みに対して「それでいいのだろうか」という問い直しが常になされていますが、そうした姿勢の背景には大学院時代に出会った現象学的な看護研究と、その後に携わった「臨床実践の現象学会」の事務局運営での経験が大きく影響しているそうです。

 

私自身も現象学的アプローチを用いる研究者の一人として、臨床家から「現象学は実践でどのように役立つのですか?」と問われることが多くあります。しかし、現象学は実践のマニュアルを提示するものではなく、梟文庫のように既存の枠組みの中では見えないことを見えるようにし、実践の足場をつくってくれるものだと思います。「現象学は“役に立ち方”が他の研究とだいぶ違うんです」と、西尾さんも実感を込めてそう言います。

 

病院に勤めていたとき、西尾さんには精神疾患の患者さんが治療対象として見えていました。彼らが抱える困難さを減らし、社会のかたちに合うように“治療”することが必要だと。しかし現象学的な看護研究に出会ったことで、人はそれぞれ生まれ持った身体が違うのだから、感じ方や考え方も「それぞれに秩序があるはずだ」という前提に立つようになったそうです。

 

治療対象だった患者が、異なる秩序をもつ人に見えてくると、その秩序が問題にならない場所であれば「治療」の必要はない。それは、まさに梟文庫で行われていることです。西尾さんの取り組みは、現象学的実践を具現化した一つの形だと思いました。

 

 

 

 

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