〈こころ〉の経験と人工知能 ゲーム開発と看護をめぐる現象学

column

三宅 陽一郎 profile

考えること、学ぶこと。

「ゲーム A I 開発者」という仕事

 

僕はゲーム会社でテレビゲームのキャラクターの人工知能をつくっています。テレビゲームで遊んだことがある方も、そうでない方もおられるかもしれませんが、この世界には30年ぐらいの歴史があります。「ファミコン」(任天堂)から「プレイステーション」(ソニー・インタラクティブエンタテインメント)まで、さまざまなゲームが発売され、今ではアーケードセンターや携帯電話の中にも登場するようになりました。

 

そのようなゲームの中に登場するプレイヤーの、“仲間”や“敵”の頭脳をつくるのが僕の仕事です。看護とはかなり離れた分野かもしれませんが、その分、何か違う見方やお役に立てることがあるのではないかと思って筆を取ります。私なりに看護というものを見て来た記憶があるからです。

 

ゲームAI(artificial intelligence:人工知能)開発者という仕事は、ユーザーに新しい知的体験を与えることを目標としています。ゲームに登場するキャラクター、つまりゲームの中に出てくる仲間や街にいる人、モンスターたちはそれぞれ自分に与えられた役割に応じて、その「ゲーム世界」で行動しなければなりません。僕はそのための「頭脳=人工知能」をつくっているわけです。

 

まず基本は、そのキャラクターに自分の周りの世界を認識させます。たとえばプレイヤーの友達となるキャラクターを考えてみましょう。その仲間キャラクターは、常に敵たちとプレイヤーの位置を視覚で認識しており、そこから自分が立つべき位置を決定します。

 

プレイヤーを守るために敵たちとの間に立つとします。しかしプレイヤーも敵も刻一刻と移動しますので、仲間キャラクターは位置が大きく変わるたびに立つ場所を変化させていきます。また、敵が襲って来ると剣を振ったり、魔法を放つように身体を運動させます。このように、ゲームのキャラクターは「認識」「意思決定」「運動」の流れによって知能がつくられていきます。

 

こうした「知能のつくり方」は、この30年間でたくさん研究されてきました。そこには「エージェント・アーキテクチャ」と呼ばれる一つの様式があります。これは世界と知能を明確に分け、部品的な知能を積み上げることによって全体としての知能をつくる方法です。すべてのキャラクターはこの仕組みに沿ってつくり上げられます。

 

知能には「認識」「意思決定」「運動生成」という機能モジュールと、「記憶」「身体」という記憶モジュールがあり、これらを組み上げる手法をモジュラーデザインと言いますが、その部品を少しずつ変えることで異なる人工知能を生み出していくのです。

 

 

 

キャラクターの頭の中の設計図(エージェント・アーキテクチャ)

Burke, R., Isla, D., Downie, M., et al. : Creature smarts: The art and architecture of a virtual brain, Proc. Game Developers Conf.,pp.147-166, 2001. をもとに作成

 

 

「敵キャラクター」の人工知能で考えてみましょう。敵にたとえば「プレイヤーを城に近づけてはならない」という目的を持たせるなら、味方のキャラクターとは少し異なるセンサーシステムに変える必要があります。プレイヤーがやって来ないかどうか常に動き回りながら一定の領域を監視し、もしプレイヤーを発見したらまず周囲にいる敵の仲間に知らせ、次に「魔法弾」を投げるなどの具体的な行動を、あらかじめアクション・システムに用意しておくようにします。

 

このような仕組みでゲーム・キャラクターの頭脳を構築することで、キャラクターは周囲の情報を集めて認識を形成し、意思決定し、行動する。つまり「自分で感じて、自分で判断する」自律型人工知能を自然に構築することができるのです。

 

 

月夜の海に横たわるもの

 

われわれ人間はもともと知能を持っています。一方で人工知能とは機械に知能を与えることです。その必要はどこにあるかと言えば、やはり社会をよくしたいと思うからです。人工知能に注目が集まるなかで最近よく言われるようになった「人間の職業が奪われる」ような心配は、まったくと言ってよいほどありません。

 

なぜなら、まだ人工知能は人間に比べて遥かに知力が足りず、追いつく目途もありません。これは15年のあいだ人工知能をつくってきた僕自身には当然のことなのですが、メディアなどが何かと刺激するように言いたがるものですから、不安に思っていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。現実的にはむしろ、少子高齢化で労働人口が減って行く日本において、ロボットや人工知能が職を代わってくれるほうがありがたいぐらいですが、その必要性に対してもまだまだ開発が追い付いていないというのが現状です。

 

これからの時代は、人間が人工知能をうまく利用しながら、より適切な言葉で言えば「協調しながら」、社会をつくっていくことが中心的課題となっていきます。

 

そんな中で、ゲームに出てくるキャラクターに身体性と本当の知能を持たせようとするのが僕の挑戦です。実現すれば、今の操り人形のように「動かされる」キャラクターではなくて、自分で感じ、自分で考え、自分で行動するキャラクターがゲームの中に現れます。やがてそれはロボットという形を通して現実の中にも現れるでしょう。この挑戦にあと何十年かかるかわかりませんが、僕はこのチャレンジの途中にあるものも、また素晴らしい経験をもたらすだろうと思っています。

 

なぜなら、この過程はすなわち機械から人間へ至ろうとする道のりだからです。そ道程は長く、広く、大きく、さまざまな示唆に富んでいるはず。まだ誰も気づいていない人間の本質が月夜の海のように横たわっているのです。

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