写真:「パーマカルチャー・センター・ジャパン」のサイトより。

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財産とつながり方:震災後2.0

 

財産のあり方もまた、変わってきます。繰り返し述べてきたように、それまではいかに組織や個人がお金を獲得・蓄積し、それをまた次の投資に回して新たな利益を得ることができるかが軸でした。持続的な利益を担保するには、ものをたくさん売り続ける必要があるため、とにかく消費されていくことが好まれます。

 

また資本制においては、金銭以外のものは別のものと交換できる範囲が限られるのに対し、金銭はあらゆるものと交換可能な万能性をもつため、より多くの金銭を得る者(資本家)が最も大きな権力をもつことになります。

 

それゆえ資本制下では、家電などの物的な商品や食べ物や飲み物はむろんのこと、音・文字・図形・DNA・感情……など、隅々まで値段がつけられ、金銭と交換されていきます。なぜあなたに対して営業マンが笑顔になり、親切に対応してくれるでしょうか。むろん善意はあれども、基本的には会社の利益を上げ、自分の営業成績を上げるためです。主軸は利益で感情は副次的です。知識だけでなく笑顔すら商品化に巻き込まれるといってよいかもしれません(ホックシールド、2000)。経済評論家のリフキン(2015)は「資本主義の拡大により、人間生活のあらゆるものが商品と化していった。この転換を免れたものは皆無だ」とすら主張します。

 

こうしてビジネスマンは「どれが商売になるか」と世の隅々まで目を光らせ、ビジネス(商品化)の新規開拓を試み、うまく市場経済に乗せることができた人が資本家として勝利します。

 

こんな事例があります。とある知り合いの優秀なビジネスマンが雑談の中で発した語りです。

 

「最近仕事が楽しい。自分の仕事はお金を得るゲームだと思っている。交渉の持っていき方次第でめちゃくちゃ儲かる。狙いどおりにいくとそれが快感で、やりがいを感じる」と。

 

このビジネスマン個人に対して「お金中心で悲しい」などと、ここで何かネガティブなことを言いたいわけではありません。彼は非常にビジネスマンとして優秀で、おそらく本音を語っているにすぎませんし、まさに資本制的な社会構造に「語らされている」ともいえます。こうした社会構造においては、むしろ彼のような努力が望まれているとさえいえます。

 

かくいう私自身も例外ではなく、さまざまな消費や購入の欲望が尽きることはありません。たとえ頭では従来型の行動とわかっていたとしても、より良い洋服、より便利な情報端末、より魅力的で便利な車、よりおいしい食事などを欲し続けます。その前後や周囲で発生している、世界各地のさまざまな人々の実践や諸資源の浪費は商品からは見えません。ただただ、魅力的にデザインされた商品をさらに獲得したいと、購買意欲を掻き立てられるだけです。世界システムの土台たる資本制の再生産から誰も逃れることはできません。

 

しかし、あらゆるものが資本制の波にのまれていった結果、さまざまな形で利便性が向上する一方で、先述のとおり自然環境の破壊、お金が介在しない生の人とのつながりの希薄化、貧困格差、戦争の危機が膨張していきました。7年前に起きた福島原発事故はこの象徴といえそうです。あくまで経済活動を主たるものとし、それに付随するもの・副次的なものとしてクリーンエネルギーをうたい、それを管理・運営する資本家や集権国家は、先見的な部外の人々による非常用発電機設置方法に関する懸念の声を聞くことができず、その結果あの爆発が起きました。

 

しかし一方であの事故により、瞬間的にであれ人々の互助的な連帯が爆発的に拡大し、反原発デモも各地で発生しました。さらにその後しばらくたった今もなお"震災後2.0"とでもいうべき、人々の新しい活動が生まれています(その意味で決して実は「瞬間的」ではありませんでした)。それらは必ずしも原発への反対を表明するデモのような対抗運動という形をとるわけではありませんし、あるいは必ずしも直接被災地で行うボランティアや復興支援活動に限定されるわけでもありません。

 

にもかかわらず、ここでご紹介する方たちの中には、震災や原発事故が自分たちが新しい活動を取り組み始める契機の一つであったと語る方が少なくありません。

 

たとえば、私は藤澤理恵さん(リクルート組織行動研究所)との共同研究にて、プロボノ活動(社会人が自分のビジネススキルをNPO団体等の活動の支援や活性化等に無償提供するボランティア)に参加する社会人の方々に、参加のきっかけをうかがっていったところ、数年前の震災であったという方が少なくありませんでした。また、都心での仕事を辞め、地方で新しい農業を始めた方の中にもまた、震災を契機としてあげる方がいらっしゃいます。

 

各々違う人物であり、職種や取り組んでいる活動の種類がまったく異なるにもかかわらず、同じく震災を契機にそれまでの社会の在り方や生き方を見直し、資本経済にどっぷりつかった生き方とは異なる新しいものを生み出されています。これは単なる偶然ではないでしょう。したがって、原発事故が反原発という主張を喚起させただけでなく「資本制」というより大きな底に、何か小さくはない風穴を開けたように感じないわけにはいかないのです。

 

次回以降に詳しくご紹介する予定ですが、たとえば栃木の大学にて3.11当時、看護学生として就職を目前にしていた中で被災された看護師の多田(旧姓:高橋)はるひさんは次のように語ります。

 

「(反原発デモには)関心はあるけれども、そこでこう怒りとか感情的にぶつかっていったところで太刀打ちできない、まあ知識がないだけかもしれないですけど、大きな何かでもう動いているじゃないですか。大きなお金とかで、きっと動いていることで」

 

これは被災当時、福島出身で同じく看護師を目指されていた多田さんのご友人が反原発デモに参加していたということを私たちが聞き、それに対し「多田さんはデモへの参加を考えなかったのか」尋ねた時のご返答です。

 

私には、この語りは原発事故のより根底にあるものへの言及に思えました。多田さんは当時、被災した病院のボランティアに参加した後、看護師として都内で就職し、人の死について考えるようになったそうです。そのような中、多田さんは多種類の集約栽培や自給自足生活などにより、人と自然との共生を志向するパーマカルチャーのセミナー(NPO法人パーマカルチャーセンタージャパン代表設楽清和さん主催)に関心をもつようになり、将来的にはパーマカルチャーの考えを取り入れた生活を視野に入れて北海道の下川町に移住され、新しい生活を始められました。

 

「パーマカルチャーセンタージャパン」のサイト

 

まさに、震災や原発事故という危機的状況が、それまでの常識や前提を揺さぶり、別の新たな生き方や価値観の創出へと一人の看護師を掻き立てたといえます。既存の生活や価値観が一旦崩れる危機的状況だからこそ、従来の古い枠組みの限界を打ち破る社会構造の転換の可能性が広がると考えるならば、多田さんの事例はこれを象徴しているように思えます。

 

福島原発後2.0。

 

それが、本連載の裏のテーマでもあります。また震災とは別の点ですが、職場で働く過程で閉塞感や抑圧感を感じる人が増加しているとの報告もあります。たとえば理由はさまざまと考えられますが、仕事による強いストレスなどが原因で発病した精神障害も年々増加しているとの報告(厚労省、平成28年度「過労死等の労災補償状況」)や、職場で強いストレスを経験している人が6割近いというデータもあります(厚労省、平成28年度「労働安全衛生調査(実態調査)」)。

 

そうした方たちの中には、ユニークなコミュニティ活動(傍島飛龍さん主催の「廃材エコヴィレッジゆるゆる」など)に参加することを通して、それまでの生き方や働き方が変わっていき、うつ病で複数の種類の薬を飲み続けていたのになかなか治らなかった状態から、薬を飲まなくなるまで快復したということを報告する方もいらっしゃいます。後の回でご紹介する予定ですが、さらにこの方は、以前より低収入になったにもかかわらず、はるかに愉しく生きられているとおっしゃいます。それまでの生き方、働き方と異なる価値観を解放させるコミュニティ活動は、共に愉しむ「共愉」だけでなく、共に癒す「共癒」の過程でもありそうです。

 

「廃材エコヴィレッジゆるゆる」のサイト

 

そのようなコミュニティでは、やはり、競争よりも自然や他者との共生を、集権的な管理よりも分散的な創発を、自己の利益獲得よりも何か新しいものを他者とともに創ることの喜びを、あるいは利益の獲得よりも他者や自然との共同的・相互扶助的な関係が志向されています。

 

なお、いずれもう少し書かせていただきたいのですが、競争や利益の獲得がダメだと言いたいわけではありません。それでは結局、他律的な規則の押し付けになってしまい、かえって苦しくなるだけだからです。

 

 

資本制の亜周辺

 

本連載では、以上のような新しい試みが生まれている時空間のことを、さしあたって「資本制の亜周辺」と呼んでみます。従来の資本主義的な要素も(全拒否ではなく)取り入れながらも、その限界を乗り越えるような実践領域のことです。また、それを試みている先端的な人々や活動のことを「亜周辺のパイオニア」と呼んでみたいと思います。

 

先の哲学者の柄谷行人によれば、資本主義は、モンゴル帝国やオスマン帝国等が勃興した帝国時代の最中に、地理的にその亜周辺にあった西洋諸国で発展していき、その後、世界システムの主役の座に就き、マルクスがいう下部構造を国家優位の帝国から商品交換優位の資本制へと転換させ、社会主義との闘争を経て勝利しました。

 

これに対し「資本制の亜周辺」は、世界システムとして覇権をとった資本制の、さらに亜周辺に生じつつあるもの、資本制の先の社会的萌芽のことを意味します。

モノだけなく、感情や人間関係に及ぶ隅々まで商品化の波にのまれていく中で、どうしても資本制が奪いきれずに噴出した血。あるいは、産業主義的な労働モデルがいきわたり、人間の機械化が進んでいく中でロボットになりきれずに隙間から染み出た油。

 

それら血や油は、人間固有のものとして、しかし自然の中の生物として他の種と同様にもっていた自然環境・社会環境の発達のための「創造の自由」であり、それを回復したいという欲求です。日本全国に及ぶ原発事故による大規模の爆風は、各地、各領域、各人から少しずつ染み出たこの油に着火していき、野火のように、そしてさまざまな土地や領域に分散的に、新しいコミュニティ形成活動としてじわりとしかし急速に拡大していっています。

 

グローバル資本主義が進展する陰で進行してきたゆるやかな、しかしその前提を揺るがし得る大きな社会変化の波。以後の回では、関連する理論や日本でユニークな活動をされている方たちを紹介していきたいと思います。

 

>> 第3回へつづく

 

引用文献(第1回・第2回)

  1. 柄谷行人:帝国の構造:中心・周辺・亜周辺, 青土社, 2014.
  2. ホックシールド, A.R.(石川准, ‎室伏亜希 訳):管理される心:感情が商品になるとき, 世界思想社, 2000.
  3. ネグリ, A., ハート, M.(幾島幸子 訳, 水島一憲, 市田良彦 監修):マルチチュード(上・下)─<帝国>時代の戦争と民主主義, NHKブックス, 2005.
  4. パーカー, I.(八ッ塚一郎 訳):ラディカル質的心理学─アクションリサーチ入門, ナカニシヤ出版, 2008.
  5. イリイチ, I.(渡辺京二, 渡辺梨佐 訳):コンヴィヴィアリティのための道具, ちくま学芸文庫, 2015.
  6. リフキン, J.(柴田裕之 訳):限界費用ゼロ社会─〈モノのインターネット〉と共有型経済の台頭, NHK出版, 2015.

 

 

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>> 連載のはじめに・今後の連載予定

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