はじめに
過去、人びとは、自然を畏怖し、神を畏怖し、君主を畏怖し、それで成り立つ社会を形成していました。しかし、次第にそれらに限界も感じるようになり、今度は貨幣と科学こそ人を幸せにしてくれると信じるようになりました。これでまた現実生活が成り立ちました。しかし、今後もしそれらの限界に直面するならば、次に私たちが信じるべきものとはいったい何なのでしょうか。それとももう、人類の歴史は完成されてしまい、経済成長時代の終焉ののち、あとは衰退を待つだけなのでしょうか。新型コロナ問題を通して、このことを後篇から考えていきたいと思います。
言い換えれば、ここからは、貨幣経済の循環、あるいは商品の生産と消費を中心とする資本主義の在り方とは異なる方向性を探っていきます。その中で、新型コロナの問題は、経済VS生命の矛盾だけではなく、近代化以降、世界が主流としてきた、科学技術や欧米中心主義にまつわる複数の自己矛盾を顕在化させていることに触れます。
そもそも、新型コロナの問題以前から、社会には、さまざまな矛盾が内包されてはいました。あるいは図らずとも矛盾を生成することを通して人間の歴史は形成されてきた、ともいえます。しかしながら、「矛盾」というものは、私たちにとって、自ら好んで直視したくなるようなものではあまりありません(香川、2015)。つまり、我々は不都合な点にはあまり目を向けないことで、「安定した社会」を保っていた。時折目を向けることはあっても、それは副次的なものにすぎなかった。コロナ問題は、突如降ってきた厄災ではなく、かねてより存在(潜在)していた矛盾を噴出(顕在化)させたにすぎないとも言い換えられます。ただし、そもそも矛盾とは、実は歴史の発展において不可避でもあり、一概に「不都合」と意味付与できるものでもありません。ここに文化や歴史を語る難しさがあります。
したがって、とりわけ後篇の内容は、新型コロナ問題に限定される内容でも、感染症に限った話でもありません。リーマンショック、新型コロナ問題、感染症、福島原発事故……、そして今後また、新たに到来するであろう、他の深刻な諸問題。すべてに通底する点が含まれています。
話題に入る前に、いったん次の表にて、前篇で述べた内容のポイント(中央列「これまでの社会の延長」)と、これから述べる内容のポイント(右列「新しい社会への転換」)とを、ざっとではありますがまとめておきます。なお、左列「領域」の( )内は、前篇で述べた「新型コロナウイルスが破壊・否定するもの」に対応しています。
※この「Post-COVID-19 Society」の記事は、前篇(第3〜6回)と後篇(第7回〜)の二つに分け、PDF版として下記HPでもDL可能です(事態の進行に合わせたアップデート版を私のサイトで公開していく予定です)。
>> 香川秀太研究室
http://k-shu.xsrv.jp/custom3.html
(2020年5月25日 香川 秀太)