image: Center for Disease Control and Prevention

連載 ── 考えること、学ぶこと。 "共愉"の世界〜震災後2.0 香川 秀太 profile
後篇/第8回 "Post-COVID-19 Society" グローバル資本主義のあとに生まれるもの 「世界共和国へ、あるいは……」

連載のはじめに

 

   

 

「経済圏の拡大」と「感染症の拡大」との同期

 

ここで、「経済と感染症の歴史」について、石(2018)の解説を中心に、一部他の文献で補いながら、振り返っておきたいと思います。これにより、ウイルスは経済を破壊する一方で、人による自然の支配、都市化、そして経済発展そのものが、ウイルスによる人類のリスクにつながった側面もあることがわかります。

 

我々にしみついた欧米中心の見方も多少は相対化されるかもしれません。例えば、私たち現代の日本人が、「英語が大事」「英語は世界の公用語」と当然のように考えてしまう、欧米文化にあこがれを持つ、学術業界が欧米の後追いをする傾向があるといったことなどは、良い悪いは別にして、下記の植民地化の歴史と切り離せない事柄です。

 

石(2018)は、感染症の歴史は古く、人類誕生以来の付き合いだといいます。さかのぼれば、狩猟採集時代から感染症はあったものの、まだ人口密集度が低かったため、拡大の度合いは小さかった。しかし、人間が定住生活と農業を開始し、それが普及していく、紀元前1万年~紀元前8000年ころ、水辺の蚊を介してマラリアが勢力を増していきました。さらに、16世紀ころ、マラリアはヨーロッパ人の移住やアフリカ人の奴隷貿易を経由して北米大陸に持ち込まれて拡大しました(脇村、2004)。なお、マラリアのみならず、他の複数の疫病をヨーロッパ人が北米大陸にもたらしたとも言われています。

 

同時期に、ヨーロッパ人はアフリカへも進出していました。進出の際、マラリア等の感染症が障壁になった一方で、ヨーロッパ人は近代医療を発達させ、感染症を乗り越えていくことで、アフリカを植民地化する正当性を得ていきました(山本、2011)。つまり、ヨーロッパ人は、あくまで、アフリカで入植を進める自国民を疾病から守ることを第一として近代医療(帝国医療)を開発していったのですが、植民地での圧制批判をかわすべく、「自分たちヨーロッパ人が開発した医療によって、現地民を守ることができる」という人道主義を名目に掲げて、植民地支配を進めたそうです。山本(2011)は、「それは、西欧近代医学が科学の体系として、他の医学体系を圧倒する理由の一つとなった」と記しています。

 

なお、現在でも年間2~5億人もの人々がマラリアに感染し、40万~150万近い人間が死亡しています※注。その主な犠牲者は、5歳未満の子どもであり、8割がサハラ以南のアフリカに集中していると言われています(日本ユニセフ協会HPより)。我々は、新型コロナによって、苦境に立たされていると強く実感していますが、そもそもアフリカではずっと感染症に苦しんできた歴史があります。こう考えると、今回の新型コロナによって我々が危機に直面したと実感したということ自体、自国での感染拡大はもちろんのこと、欧米のような経済的先進国や中国のような経済大国※注 での拡大があったからこそと言えるかもしれません。

 

このように農耕から広がったマラリアだけでなく、人間が家畜をしたことからも感染症は広がり、牛、犬、羊、豚の動物と、計200種類を超える病気を共有するようになったともいわれています。

 

そして、都市化が進んだことによる過密社会は、ウイルスや病原菌の生存にとっては非常に良い環境となりました。例えば、19世紀に起きたイギリスの産業革命によって、急速な人口集中が起こりましたが、衛生環境の整備が追い付かず、とりわけ貧困街にて感染症が蔓延しました。その象徴がコレラでした。1817年以後、7回にわたって大流行し合計で数千万人が亡くなったといいます。

 

また、人間が熱帯雨林へ進出することによって広がった感染症もあります。1998年頃マレーシアやバングラデシュにて発祥して拡大したニパウイルス感染症です。例えばマレーシアでは、人間による自然の伐採と多頭集約型の養豚地域の拡大によって、熱帯雨林を住みかとしていたオオコウモリの餌がなくなってしまいました。その結果、オオコウモリと豚の接触機会が増え、豚を介してヒトへのニパウイルス感染症が拡がりました(加来、2004)。

 

以上のように、農耕や牧畜、都市化や産業化、自然の伐採といった、自然に対する人間の介入、支配、勢力の拡大と感染症とは、切っても切れないことがうかがえます。また、16世紀のマラリアに見られるように、感染症とその対策が、西欧的な自然科学の世界的席巻と植民地支配を引き起こしていったことがわかります。このような西欧中心主義的な「対人、対自然への科学技術や知識による統制」という発想は決して過去のものではなく現在も未来も、あちこちで生じていくでしょう。

 

現在のアフリカ各国の不自然なまでの直線的な国境線は、このようなヨーロッパ人による植民地支配の歴史を反映するものですし、それがその後のアフリカでのさまざまな紛争の火種にもなりました※注。アフリカのような周辺国から資源を集め、欧米を中央国として富や権力を集中させていく、現在の格差につながる集権的な仕組みもまた、この時期に確立されていったものです。西欧発の自然科学の地位確立、資本主義経済のグローバル化、格差……、これら現在に続く世界の在り方は、感染症の歴史と切り離せないことがわかります。

 

このようなことをふまえれば、現在のコロナ問題は、皮肉な問題といえそうです。つまり、歴史をさかのぼれば、ヨーロッパ人が進めた過去の植民地支配が、マラリアなどの感染症の国際的な拡大をもたらし、それを自ら開発した科学を用いて乗り越えていくことで、西欧の自然科学と経済が世界で力を持つようになり、欧米中心の国際的な経済システムが生まれ、グローバル資本主義が広がっていきました。

 

ところが今度は、今回の新型コロナ問題のように、そうして浸透したグローバル資本主義の影響もあって、人やモノや経済の集まる欧米をはじめとする先進諸国や新興国が突如として深刻な苦境に陥ったわけです。長期の歴史から見ると、新型コロナ感染症は、まわりまわって欧米に回帰してきた問題とも言えます。あるいは資本主義経済を導入し急速な経済発展を遂げた中国もまた同様です。そしてその後は、アフリカ等の貧困国や貧困地域にて、多くの死者が出てくる可能性があります。

 

こうした歴史を考えれば、先進国や経済大国はやはり、他国への支援に責任があると言えそうです。もちろん、欧米だけではありません。同じ仕組みで富を得ている日本も中国も韓国もそうです。16世紀以降のような、自国による他国への影響力や支配拡大のための支援ではない、責任が求められています。

 

また、文明の発展とともに、SERSやMERS、エボラ出血熱など、動物由来の新興感染症によるパンデミックのリスクや流行のスパンが、年々短くなってきていることも指摘されています。いまでは世界で、毎年1~2つも人類に脅威を与えうる感染症が見つかっているそうです(砂川、2015)。ヒトとヒトの間での、物や貨幣の交換領域(経済圏)の拡大の歴史──農耕牧畜、自然破壊、産業発展と都市化、そしてグローバル化──とは、ヒトと自然との間での「病原体の交換領域の拡大」の歴史でもあると言い換えられそうです。

 

このように、感染症による人類の損害の拡大は、人間が自然を出て都市に密集していったこと、あるいは、人間が生態系にどんどん進出し自然を統制するようになってきたこと、さらに近代の欧米中心主義(経済中心主義)、グローバリゼーションと無関係ではありません。

 

そして、今回の新型コロナウイルスによる死亡リスクを高めるものとして、「糖尿病」「高血圧」といった基礎疾患※注があげられています。進化生物学者のシャレド・ダイヤモンドは、これらの病は、高カロリー食が多く、内臓脂質が蓄積しやすい食文化の欧米化と運動不足に伴って問題化していったもので、狩猟採集民族は糖尿病にはかからないといいます。これらは経済的豊かさが生んだ現代病(社会的、経済的生活と切り離せない病)と言われています※注。ちなみに、狩猟採集民族は、近現代人のように一日3食ではなく、獲物を一時期だけたくさん食べて、獲物が取れない時期はあまり食べないにもかかわらず十分健康的に生きて行けるそうです。

 

ただし、狩猟採集民族の主な死亡原因は伝染病と飢餓と言われていますので、狩猟採集民族もまたウイルスや病原菌は同様に天敵です。とはいえ、繰り返しになりますが、伝染病は、今ほど短期間での急速な世界規模の拡大にはならなかったと言われています。

 

もうひとつ挙げると、国際社会を見ても、経済的な利害関係が、今回の新型コロナ感染症のリスクや被害を拡げたという見立ても可能です。

 

例えば、アメリカ政府はWHOが中国びいきをして、早期の警告を怠ったことが今回の危機を拡げたと主張しました。実際、WHOのテドロス・アダノム事務局長は2020年1月23日に新型コロナは「中国では脅威だが世界ではまだ脅威ではない」として緊急事態を見送り、7日後の30日には緊急事態を認めたものの、中国との貿易や移動の制限は「推奨しない」としました。

 

また、メディア報道では、前WHO事務局長のマーガレット・チャン氏が、中国からの推薦を受けた人事であったという指摘や、WHOが台湾の加盟を拒否したこともメディアで取り上げられました。さらに、テドロス氏が外相を務めた経験のあるエチオピアは、中国から2兆円以上の投資を受けていることが報道で取りざたされています(例えば、2月14日公開テレビ東京NEWS)。そしてこれに対し、アメリカは4月15日にWHOへの資金拠出を一時停止するなどの対応策をとると主張し、一方で中国はこれに対抗するかのように逆に4月23日にWHOに32億円もの追加寄付をすると発表しました。

 

もちろん、中国が発祥国であるという見方自体が、今後の研究や政治等によって変わっていく可能性もありますし、WHOが中国と他国とのやり取りの制限を早期に課していたとしても、他国経由でパンデミックは起きていった可能性はあります(そもそも、「発祥国はどこなのか」という特定作業からすでに、国家間の利害関係が入り込みます)。

 

しかし、少なくとも、ここでも明らかに「経済的な利害関係」が、「人間の生物としての健康や生命の問題」(ウイルス対策)に大きな影響を与えている、あるいは両者が不可分な関係を形成していることがうかがい知れます。言い換えれば、経済力を持つ国(中国やアメリカ)からWHO(ないし事務局長)へ、あるいは持つ国と持たざる国や、資金提供を受ける機関との、間の金銭的な贈与と返礼の根深い負債関係が関与している可能性がうかがえます──調査対象は大きく異なるので一概に同一視はできませんが、「手厚い贈与を受けた者は、贈与主に返礼しなければならない」(負債の義務)という「贈与返礼の原則」は、古くから贈与交換論という領域で文化人類学者のマルセル・モース(1924/2009)らが議論してきたものでもあります──。

 

このように考えれば、WHO(ないしその事務局長)が中国寄りなのか、アメリカ寄りなのかは実は本質ではなく、もっとも中心なのは、「経済」そのものであるといえます。アメリカも中国もWHOも、経済という巨大なアクター(行為主体)に動かされているとも言い換えられるのです。

 

つまり、政治経済的な利害と切り離して客観的な科学的判断をすべき機関とされるWHOであっても、両者は完全には切り離せないことを意味します。これは、WHOの問題に限らず、そもそも科学というものは、決して政治経済と独立して発展したものではなく、むしろ蜜月関係で発達してきたものだという歴史的経緯が関連しています。

 

以上をふまえれば、近現代を象徴する経済発展と科学技術は、感染症を抑えるだけでなくむしろ、自ら感染症のリスクを高めてきたとも言えます。「科学による感染症の抑制VS科学による(間接的な)感染症の拡大」という自己矛盾を見て取ることができます。

 

科学技術、そして科学を発展させる経済とは、薬やワクチンや衛生環境等の感染症問題を低減していくアクターであると同時に、そのリスクをいっそう高めてしまうアクターでもあるという自己矛盾。むろん、この矛盾を抜け出ることは容易ではありません。

 

実際、人類は、経済と同期する「科学による問題解決」の可能性に賭ける方向に動いています。これまでも科学発展によって感染症を抑えてきた。だから、経済をいっそう優位にし、科学を進歩させ、仕組みを整えていくことでこそ、感染症のリスクも抑えられるはずだと。これは、当然の方向です。我々は効果的なワクチンを待ちわび、経済を改めて回し発展させていくことに希望を抱いています。人類は、決して科学および経済中心主義を止めることはない。

 

しかし、歴史的に見れば、そもそもの自然支配や都市化が、感染症のリスクの増加につながっていること、そして、グローバリゼーション及び交通網の発達により科学が追い付かないほどの今回の急速な※注世界各地の感染拡大をもたらしたこと、さらに、仮に新型コロナの問題が落ち着いたとしても、別の感染症の発祥によって、これからもそのリスクと向き合わなければいけないということもまた、切って捨てることはできないもう一つの側面です。

 

自然発生的な感染症のリスクだけでなく、人間の科学が、細胞や微生物やウイルスに人工的に手を加え、加工していく研究や技術の開発が進むほど、感染症のリスクは高まるかもしれません。たとえ、生物兵器開発のような目的でなくとも、むしろ良かれと行っている研究が、統制しきれず、不測の事態を招くということは十分に考えられることです。

 

現在は凍土に眠った過去のウイルスや微生物の発掘とその研究、加工による新しいそれらの生成。人間の英知は自然をコントロール(都合よく加工)できる。実際、驚嘆すべき技術が次々に生まれています。そして、また科学自らが招いたリスクに対して、私たちは科学自らの手で解決しようとするでしょう。

 

科学技術は悪魔にも天使にもなる。しかも、悪魔か天使かは立場や価値観によって変わる。外の人が見たら危惧すべきものであっても、開発者からすれば有用なものである。「有用ではない」ことを訴えたところで、良い悪いは別にして、論文も補助金申請も当然通りませんので、研究という文化が、必ずそういう政治的言説を参加者=研究者に創らせます。

 

そうして、抑制することや開発をしないことよりもむしろ、次々と、「新しく」、「より良いもの」を開発していく方にこそ力点が置かれる。何はともあれ、新しいものの生成、成長、発達、競争こそ、近代以降の正義だからです。「これだけ、私たちは外的世界を統制できるのだぞ」と、自然に対して人間の力を誇示していくパフォーマンスこそ、賞賛されます。今回も、薬やワクチンの開発競争によって、この危機を乗り越えていくことができれば、やはりこれこそが人類にとって正義なのだと私たちはいっそう思うようになります。

 

科学にはこのようなすさまじい統制力とそのさらなる可能性がある一方で、そもそも我々がコントロールできると思い込んでいるものの中には、実際はコントロールできていないものがあること、あるいはコントロールから漏れてしまっている領域が非常に多いことにも目を向ける必要があります。

 

一時的にコントロールしている気になっているものでも、長期的に見れば、コントロールなどできていない。思いつくだけでも例えば、原発、兵器、生態系、貨幣、感染症、そして言葉といった多くの、かつ、我々の生活に根付いたものがあげられます。人間一人の日常をとっても、自分自身をコントロールすることも非常に難しいのに(不摂生、賭け事、云々)、環境や生物や他者をコントロールすることなど、ますます容易ではないことは想像に難くありません。

 

複雑で多様で変化する人・自然のネットワークにおいては、コントロールはそもそも容易ではないのです。モグラたたきのように、あるものをつぶせば違う問題が新たに起こります。科学が徐々に人間生活の利便性を向上させていった一方で、違う問題も増幅させていった。後者は、「不都合な真実」として、ただあまり見ないようにしてきただけかもしれません。本当に私たちは、文明の「進化」を起こしてきたのか、文明の進化とはそもそも何なのか──自然や人間への統制力を高めることなのか──が問われています。

 

急速な人口流動や密集化は、これら経済発展と科学技術と切り離せません。コンクリート漬けで、高い高層ビルが立ち並ぶニューヨーク、北京、東京等の都市はその象徴です。WHOの判断も経済に影響を受けます。これに対し、「本来は、科学が明らかにするファクト(客観的事実)や自然の原理、それに基づく判断と、経済や政治とはしっかりと切り離されるべきなのだ」、「科学と政治経済の分離、双方の独立性を担保することの不徹底こそ、問題の根源なのだ」というような意見がすぐに予想されます。

 

これももちろん一理あるものの、既述の通り、歴史から見れば、そもそも自然科学とは、欧米のグローバル資本主義の勢力拡大と切り離せないものであることも忘れてはいけません。もっと端的に言えば、お金がなければ、技術開発もできません。お金には必ず人間的利害関係が絡みます。技術開発の方向性も、国の政治的方針に強い影響を受けるでしょう(日本の原発がまさにそうでした)。それでどうやって、科学と政治経済との間に確たる境界線などひけるというのでしょうか。

 

そうならばむしろ、科学と政治経済は不分離であるという前提を表立って認めた上で、科学をどのような観点から社会的に位置づけていくかをもっと積極的に考えていく方がより建設的なのかもしれません(これは後述のラトゥールの議論につながります)。

 

例えば、科学技術開発を、従来の自国や自企業の利益目的から、それらの枠を越えた国際的な共有領域(コモン)の創出を目的としたものへと転換していくこと、あるいは、人類の利益や自然統制のための科学技術から、自然との共生関係のための科学技術へと転換していくことです。科学と政治経済との間のより良いハイブリッドを創出していくのです。その意味で、技術開発の後に社会の意味を哲学的に考えるよりも、同時に、あるいは先んじてより深く、科学の社会的な意味や哲学を考え創造しておく。もっと統制すべきは、(科学による)自然ではなく、人間が生んだ科学そのものであるのかもしれません。

 

このように、科学もまた、自ずと自己矛盾を抱えていることにも、科学への賛辞と同等以上に目を向ける必要があります。

 

私たちは、この矛盾をどう乗り越えたらよいのでしょうか。経済や科学以外に動かすべき、もう一つの車輪とは何でしょうか。それは社会課題の解決でしょうか。

 

しかし、その建前とは裏腹に、両輪を走らせているつもりが、片方の車輪(経済)の回転の方が勝ってしまい、そちらの方にもう片方の車輪がのまれてしまって、結果的になかなか前に進めていない、あるいは最悪の場合、実は同じところをぐるぐる回っているだけだった、ということもありえます(後述の太陽光パネルの事例のように)。

 

よって、私たちは、そもそもどこに向かって走るのかを考える必要があります。あるいは、そもそも車で走ることを前提とするのをやめて、それとは違う何か(方舟)を考える必要があるかもしれません。

 

もしくは、歴史に矛盾はそもそも不可避なのだから、いっそ「どの矛盾を選択するか」「どの矛盾にこそ可能性を見出すのか」というような「矛盾と付き合う方法」の検討こそ試みるべきなのかもしれません。

 

これらのように、私たちの前提を問いかけていく必要があります。前提を問うことが、まさしく矛盾やダブルバインドを抜け出る方策だからです。

 

我々ホモ・エコノミクス(経済人間)が、経済と科学の強化をしていくことだけではない、別の道を探るとすれば、どのようなオルタナティブな方向性がありえるのか。

 

これは最も困難な方向性かもしれません。しかし、実はそのような議論は、古典哲学にてかねてから試みられてきましたし、現にコロナ問題が発生する前の昨今の社会においても、オルタナティブな人と自然の関係を生み出すモデルとなりうる実践的な萌芽が、あちこちで一部の人たちによって創造されてもいました(香川、2018a、2019参照)。歴史的変化は、無から起こるものではない。とすれば、理論にしても実践活動にしても、すでに発生している萌芽こそが、育てるべき可能性になるはずです。

 

ここで誤解を避けるため、先に述べておきますが、単にグローバリゼーションが悪い、都市化が悪い、中国ないし欧米の責任だ、経済が悪だ、科学など捨て去るべきだと言いたいわけではありません。そこから急に離れることは不可能でしょうし、それらで得てきたこと、可能性も捨てるべきではない。「歴史をふまえる」ということは、これらも無にはしないということです。

 

いずれにせよ、我々が当然視してきた人類の発展の根本を見直す機会を今回得ていることは間違いありません。リーマンショック、福島原発事故、そして、COVID-19。これらは立て続けに起きた、人類の根本を問うものです。

 

そして、必ずや、次なる新たな問いかけ(しかし、通底するもの)が到来します。

 

備えるべき対象は、感染症だけ(まして新型コロナウイルスだけ)ではありません。そして、その都度、悲観していては私たちも持たないでしょう。来るべき時に、あるいは来てしまうかもしれない事変そのものの形や意味を変えていくために、さまざまな準備が必要です。

 

準備のためには、何のための、誰のための科学なのか、経済なのか、我々が向かうべき方向性とはどのようなものかを根っこから考えておく必要があります。今回のコロナ問題で我々が実感したように、私たちが事前に可能性を生み、あらかじめ育てておくことで、急な事変により良く対応し、愛するものを大事にしながら歴史を進めていく可能性を広げることができるからです。

 

 

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連載のはじめに

※注:石(2018)には「年間3億~5億人の感染者が出て100万~150万人が死亡する」とあるが,これは2011年度のデータに基づいたものと考えられる。本文では,2011年以降のWHO等のデータも踏まえて若干数値を変更した(近年はやや感染者は減少傾向にある)。

※注:中国は,GDP世界第二位の経済大国でありながらも,自称では発展途上国,あるいは我が国の内閣府の定義では新興国とされており,先進国の定義からは外れる。なお,内閣府は,先進国の定義として,OECD加盟国を挙げており,そこに中国は入っていない。

※注:1885年のベルリン会議で当時の列強国(欧米+ロシア,オスマン帝国)が,アフリカのローカリティや意思を十分考慮せず,自分たちの都合で上から領土分割を決めたと言われている。

※注:日本糖尿病学会によれば,「重症化するリスクとして,心疾患や呼吸器疾患に加えて、糖尿病もその一つである可能性があると考えられます」としている(日本糖尿病学会HP,2020年4月14日一部改訂版)。

※注:糖尿病には,一般的に知られているように,肥満や運動不足といった食生活と体質によって中高年中心に起こる2型以外に,主に体質によるものとされ子どもや若年層中心に起こる1型がある(いずれもはっきりした原因は不明とも言われている)。ダイヤモンドは,おそらく2型糖尿病のことに言及していると思われる。

※注:既述のように,感染症そのものは資本主義やグローバリゼーション以前からあったものである。例えば,感染症は,キリスト教のような世界宗教の拡がりにも大きな影響を与えたと言われている。

教養と看護編集部のページ日本看護協会出版会   (C) 2020 Japanese Nursing Association Publishing Company.

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