引き継がれる傷跡 ─ 精神科医が聞いた語り─ 小特集「戦争とこころの傷 」﷯ text by 五十嵐善雄

あるとき、山形に来て境界例●2のような状況に陥っていた外国人女性に会った。私に出会うまでに、彼女は山形県内のすべての支援者と争いになり、今日の夜を精神科病院で過ごしてもらうしかなくなっていた。そのことをやんわりと彼女に話したところ、「日帝支配40年、そしてまた私を支配する気か」としっかりした日本語で言い放ち、私を平手打ちした。彼女の祖父が日本兵に尊厳を傷つけられ、そのことを彼女は小さいときから聞かされていたということを後で知った。

 

このことをきっかけに私は、日本にやってくる外国人花嫁の母国と日本の近現代史を調べるようになった。彼女たちの母国の歴史教育の中で日本はどのように語られているのか。フィリピン、韓国、中国、台湾、ベトナム、タイ、オーストラリア、カンボジアといった国々が日本をどう見ていたか、知れば知るほど自分の無知に気づかされた。同時に、日本の歴史教育が、近現代史をすっ飛ばして教えていることに驚かされた。

 

いじめた者はいじめた過去を忘れ、いじめられた者はいじめられた過去の事実を子子孫孫まで伝えるということを、「者」を「国」に置き換えて考えなければいけないと痛感した。しかし、私はその当時でもまだ心の傷についての理解は不十分だった。

 

PTSDの理解と心の傷を抱えた病院職員の発見

 

外国人花嫁対応にモデルを探していたころ、同じように外国人労働者や移民を扱っている精神科医が全国にいることにようやく気づき始め、1993(平成5)年、社会精神医学会の際に多文化間精神医学会●3が設立された。全国からの外国人情報が流れてくるようになったことは、山形のような田舎に住む人間にとっては大きな資源となった。

 

そして1995年、阪神・淡路大震災が発災。その翌年に翻訳出版されたジュディス・ハーマン氏の心的外傷と回復4によって、私はようやくPTSDの全貌が見えるようになってきた。同じ時期に、県警の依頼より外国人犯罪に関与するようになり、にわかにPTSDが私に集中するようになってきた。薬物療法の効果が期待できないために、TFT5EMDR6ブレインジム7など、学べるものは何でも学ぼうとした。学んできては、職員にお願いして被験者になってもらった。

 

あるとき、EMDR中に居眠りしてしまう職員がいた。協力できなくて申し訳ないと深々と頭を下げる彼女に、まだ初心者でわけもわからずやっているので、こちらこそ申し訳ないと謝罪した。

 

それから1か月ほどたって、その彼女が「時間をとってほしい、話を聞いてもらいたい」と言ってきたので、早速話を聞くことにした。「自分は18歳まで父から犯されてきました。先生はそのこと知っていたから、私を被験者に選ばれたのではないでしょうか」ということだった。話をよく聞いてみると、中学生のころから、父親から犯され続けていた。それが嫌で18歳で上京し、住み込みで看護師の資格をとったと言う。どの患者にも優しく接する彼女の姿勢にいつも感心していた私は、誰にも言えない過去があることなど想像することすらできなかった。私は唖然とした。

 

当時私は、副院長になり、病院の産業医になっていた。職員の中にも心に傷を負っている人たちがいることがぼんやり見えてきた。DVに苦しむ人、アルコールやギャンブルなどの依存症を抱える配偶者のいる職員。しかも、彼や彼女は、自分が傷を抱えていることさえ自覚していない。それをどうやって自覚させていけばいいのか、それを侵襲的にならないように気づかせるにはどうしたらよいのか。

 

職場の健康診断に引っかかった職員に一人ひとり、家族のことなど話を聞いていくと、さまざまな問題を抱えていることがわかった。何とかしなければと思ったものの、その時点で私自身がオーバーワークになっていた。妻が癌の末期状態であることが発覚し、約7か月の闘病生活で他界した。喪失体験は、私が駆け出しの精神科医だったころからのライフワークの一つだった。心的外傷と喪失体験は、紙の裏表のようなもので、PTSDの患者さんを診療するたびごとに、私自身が多大なストレスを抱えることを身体で感じるようになっていた。

 

そのストレスを身体が受け止め、その身体の疲弊を感じ取る力を無視して生きている自分に気づくようになったころ、サテライトクリニックへの異動を命ぜられた。組織に縛られて働く体力は自分には残っていないことを自覚し、再婚したことを機に、2007年から小さなクリニックを開業し、無理のない生活をしようと考えるようになった。そこで病院職員の心の傷の調査は、そのままになってしまった。

 

病院職員、とりわけ看護者の中には人知れず心の傷を抱えている人たちが少なからずいることについて、私はもっと配慮が必要なのではないかと、今でも考えている。

 

 

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教養と看護 編集部のページ日本看護協会出版会

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