パリ万国博覧会の前年にあたる1889年、フランス人画家Jean-Marc Coteらが「En L'An 2000」と題し、西暦2000年の未来予想図をさまざまに描いたカードシリーズの1枚。 (France in 2000 year (XXI century). France, paper card by Jean-Marc Côté.)
 特集:ナイチンゲールの越境 ──[情報] テクノロジー、過去、未来 第4回(最終回) テクノロジーが未来を変えるとき text by 服部 桂 profile

「コンピューターは全世界で5台ぐらいしか売れないと思う」

 

このえらく弱気な発言をしたのは、戦後の大型コンピューター市場の8割を押さえていたIBMの初代社長トーマス・J・ワトソンだとされる。1943年に発したとされるこの言葉にはきちんとした資料が残っておらず、誤報であるという説も有力だ。しかし、現在のIBMの人工知能ワトソンに名を遺すこの偉人が、世界初の電子式コンピューターとされるENIACの次に来る、現在のコンピューター産業の礎を築く際にこう考えたかもしれないと思うと微笑ましい気がしてくる。

 

当時コンピューターの有用性を正確に理解していた人は数えるほどしかおらず、ENIACを戦争に役立てようと必死だった政府も、終戦後には無用の長物と予算を大幅にカットしようとしていた。そう考えると、ワトソンの言葉に象徴されるような気分が時代を反映していたことは確かだろう。大量の計算が一体何の役に立つのか? それを理解できた人は、当時ほとんどいなかったのだ。

 

それに似た業界人の勘違いの例は、枚挙にいとまがない。IBMのつくる大型コンピューターに対して、もっと小型で安価なミニコンピューターを開発して市場を席巻したDEC社の創業者ケン・オルセンは、1977年に「家庭でコンピューターを使用する必要はない」と断言している。ちょうどアップルⅡが出た頃だが、彼には家庭用のコンピューターなど、ただのオモチャにしか見えなかったのかもしれない。またマイクロソフトの創業者ビル・ゲイツも、1981年に、「パソコンのメモリーは640KBを超えない」と言っているが、この年に発売されたIBM製PCの最大メモリー容量は256KBだったことを考えると、当時としてはかなり当を得た見解だったのかもしれない。

 

2016年に世界で出荷されたパソコンはスマホなどに押されていくぶん減少したが、それでも2億6,000万台という規模だ。これは、1977年の出荷台数5.7万台の約5,000倍に相当する数だ。メモリーについて見てみても、現在の64ビット版のパソコンでは128GBまで使えるようになっており、ゲイツの言っていた最大量の20万倍だ。

 

さらに時代をさかのぼってみると、トーマス・エジソンが自分の発明した蓄音器を、遺言を吹き込むための装置やしゃべる本などには使えるが、音楽を録音することはほとんどないと考えていた例や、「人々はテレビを必要としないだろう、毎晩箱を見ているだけではうんざりするだろうから」と1946年に言った、20世紀フォックス設立者で映画プロデューサーのダリル・ザナックの話も有名だ。

 

現在身近な存在となったインターネットの元祖ARPAネットが、もっぱら核戦争に生き残るための通信システムで、一般に情報検索やオンラインショッピングやSNSに使われることなど想定もしていなかったことを思い出せば、新しいテクノロジーを発明した、もっともよく分かっているはずの人々でさえ、その未来を見通すことが難しかったことがよくわかるだろう。

 

 

未来を見通すことの難しさ

 

多くの新しいテクノロジーは、その時代に起きた問題を解決するために開発されるので、その効用ばかりが喧伝され、それが及ぼす負の側面について誰もが目をつぶってしまうか理解できていない場合がほとんどだ。

 

ダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベルは、これが危険なニトログリセリンを安全に扱うための発明であり、「千の世界会議より迅速に平和に導く」と宣言した。またマシンガンを発明したハイラム・マキシムは、この強力な兵器の登場によって従来の銃は非力になり、「戦争は不可能になる」と言っていた。飛行機の父オーヴェル・ライトは、「飛行機は複数の方法で平和を促進し、特に戦争を起こすことを不可能にする傾向がある」と述べ、無線を実用化したグリエルモ・マルコーニは「無線時代の到来は戦争をばかげたものにするので、それは不可能になる」と楽観論を振りかざした。最近の事例ではマラリア予防のためのDDTによる自然汚染や、冷蔵庫などに使われたフレオンガスによるオゾン層破壊などを思い出す人も多いだろう。

 

しかしここではテクノロジーの負の側面に光を当てるより、人間は自ら起こす変化や新しいものが及ぼす未来の姿について限られた創造力や認識しか持っていない点に注意を喚起したい。つまり自分の望む可能性については過大な評価をし、そうでない効果については、あってはならないとか考えたくはないという態度だ。その典型的事例として、東日本大震災時に起きた福島原発の事故を持ち出すまでもないだろう。専門家は重大事故の可能性を気づいていたにも関わらず、結果的に無視してしまったために大惨事を招くことになったことは記憶に新しい。

 

それにまた人々は、四六時中未来のことを考えているわけではない。最近は『未来の年表』などの未来論がベストセラーになっているが、こうした未来論議が盛んになるのは、社会のインフラやルールが大きく変化して、従来通りの考え方で明日を見通すことが難しくなったときだ。戦後にはまず、原爆の開発によって人間の力を上回るテクノロジーを得てしまった世界が、それをどうコントロールすべきかを論じるメイシー会議が1946年から開かれた。それを主導したMITのノーバート・ウィナーが唱えるサイバネティクス理論が注目されて、未来をどう考えるかが活発に論議された。

  『サイバネティクス学者たち─アメリカ戦後科学の出発』スティーヴ・J・ハイムズ著、忠平美幸訳、朝日新聞社、2000年(絶版)1946年から10回にわたって開催されたメイシー会議には、サイバネティクスの提唱者であるノーバート・ウィナーのほか、フォン・ノイマン(数学)、クロード・シャノン(情報理論)、マーガレット・ミード(文化人類学)、エリク・エリクソン(心理学)、ローマン・ヤコブソン(言語学)、グレゴリー・ベイトソン(文化人類学)、ウォレン・マカラック(神経生理学)など文理を超えた一流の学者たちが参加し、熱い議論を戦わせた。本書を通してサイバネティクス理論の学際的・歴史的背景を知ることができる。

 

 

 

また1972年の石油ショックのさなかには、ローマクラブというシンクタンクが、戦後復興の限界による環境破壊などに警告を発する「成長の限界」を唱えた。情報通信が実用化し始めた1980年には未来学者アルビン・トフラーの『第3の波』が産業革命の次に来る情報革命を元にパラダイム転換を説いた。そして、その次に来たインターネットによる社会の変化が顕在化し始めた昨今も、これからの時代が読めない混乱の中で未来論が熱を帯びている。

 

特にインターネットの象徴されるデジタルテクノロジーが起こした変化は急激で、物事の変化の速度が従来の数倍速くなったと感じられ、「ドッグイヤー」という言われ方もする。消費者の利用が10%を超えたあたりから多くのトレンドは立ち上がるとされるが、過去に発明されたテクノロジーを比べてみると、人口の1/4まで普及するのに自動車は50年、電話は30年、テレビは25年、パソコンは18年と加速しており、携帯電話は10年、インターネットは5年しかかかっていない。これから先に発明されるテクノロジーの普及速度が、これまでの事例を上回っていくことは間違いないだろうし、そうなると未来のテクノロジーによって起きる変化を予想することもさらに難しくなる。

 

インターネットの一般利用が始まった90年代半ばには、パソコンがやっと画像を扱えるようになってマルチメディアという言葉がさかんに論議されていた時代で、メモリーは現在の1,000分の1レベルで、通信速度もせいぜい1,200bpsと現在の10万分の1のレベルだった。ちょっと個人で使おうとしても、モデムという通信用アダプターを用意し、難しい設定をしなくては始められず、電話を通して使うと毎月何万円もかかった。またその時代には、ネットのサイトを持っている企業はほんのわずかで、ショッピングをしたりビジネスに使おうとしたりする人は少なく、ましてやこれを公的サービスのためや、世界的な交流の場として使おうという人もいなかった。どちらかというと、パソコン好きの趣味の延長線上にある、アマチュア無線のようなものとしてしか評価されていなかったのだ。

 

しかし今では、ネットは高速で安価になり、スマホで誰でもが気軽に使えるようになった。ウィキリークスが世界的ニュースの震源になったり、ツイッターなどのSNSがアラブの春などの政変のきっかけになったり、米トランプ大統領のネットでのつぶやきが世界を混乱させたり、ネットがウィルスで止まっただけで世間は大騒ぎしている。ほとんどのビジネスやメディアの活動がネットをベースに動いており、ピコ太郎のような個人クリエーターが大手メディアの力を借りずにユーチューブを通して世界デビューしている。フェイスブックは世界中の人々をつなぎ、その利用者数は20億人を突破して、規模としては世界最大の人口を誇るまでになった。

 

そういう意味では、いま未来を語ろうとするときには、世界のすべての変化の底流になっているインターネットの持っている性質や動向に注目せざるを得ない。

 

1 2

前回へ連載のはじめ(全4回のテーマ)

教養と看護編集部のページ日本看護協会出版会  Copyright (C) Japanese Nursing Association Publishing Company all right reserved.