カサンドラ ナイチンゲールとフェミニズム
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text by 宮子あずさ

“Cassandra” Anthony Frederick Augustus Sandys (public domain)

ナイチンゲールに対して「優しい天使」のようなイメージを持たれている人でも、当サイトで以前にご紹介したこちらこちらを読めば、むしろ彼女のことを「理想に向かって妥協なく突き進む“女闘士”」という印象を強く抱かれるかもしれません。しかしそんな彼女にも、悩んだり、傷ついたり、時には愚痴をこぼしたくなることがあったはず。ここでは「強い女」ナイチンゲールとはまた違った人間らしさを垣間見ることができる貴重な小論「カサンドラ」(『ナイチンゲール著作集 第3巻』〈現代社・1977年〉所収)を取り上げ、宮子あずささんがジェンダー的視点から読み解きます。(編集部)

 

フェミニストとして看護師を選ぶ

 

フェミニストの母親に育てられたために、「性差よりは個体差の方がはるかに大きい」「性を理由とした差別を正当化するいかなる根拠もない」と、心底信じて生きた私ですが、大学生になってすぐに「女子大生の就職難」を味わうことになりました。

 

そこで初めて性差別社会を実感し、腰を据えてこの社会と闘う覚悟を決めたのです。そして確実に経済的自立を果たすため、手堅い資格職である看護師という仕事を選び直しました。その後、次第に看護そのものに惹かれるようになったのですが、このようないきさつでこの仕事を選んだという事実は、今も私の人生において大きな意味を持っています。

 

1983年に大学を中退して1984年に看護専門学校に入学した当時、医師は今より男性が多く、医師優位の医療界は男性社会とイコールに見えていました。フェミニストの感覚からは耐えがたい状況を覚悟しての転身でしたが、意外にうまく適応し、かれこれ30年以上仕事を続けています。これも当初のその覚悟があったからこそ。「思ったよりマシ」の積み重ねが今に至っていると感じていますが、一方で、フェミニストの自分を封印して白衣を着てきたのも事実なのです。

 

看護師になって20年を越えた頃、「そろそろフェミニストとしても、誠実に生きたいな」と思い始めました。さらに、博士号を取得して研究者としても役割を果たしていこうと考えるなかで「看護とフェミニズム」はまさに自分が探究すべきテーマとなったのです。

 

2009年に大学院で博士論文に取り組み始めたとき、質的研究についての本を手当り次第読みあさりました。その中にはフェミニズムについて触れた本もあり、特に『看護科学のパラダイム転換―質的研究はいつ、なぜ登場したのか?』1)の以下の一文に、多くの示唆を得ました。

 

1976年、『ナーシング・アウトルック』の「女性であることについて」と題する巻頭言は、看護界がこぞって、フェミニズムを歓迎しているわけではないことを認めたうえで、女性の価値を、受け身・従順・貞淑な妻―母親役割においてきたアメリカ社会の伝統的な価値観の影響を受けるなかで、多くの看護師たちが女性としての自らの価値を低いところにおいている現状に、失望感を示している。(略)看護職は圧倒的多数を女性が占めている職業である。フェミニズムの波を、もっと早い時期にかぶっていたとしても、けっして不思議ではないのではなかろうか?

 

この指摘には、私も大いに頷きました。以来「なぜ看護の世界はフェミニズムからこうも遠いのだろうか」という問いが、私の頭の中に貼り付いています。

 

一方、看護はその確立の歴史のなかでさまざまな健康に関する迷信や無理解、あるいは圧倒的優位にある医学との闘いがありました。その闘士として筆頭に上がるのが、ナイチンゲール。このように言っても、恐らく大きな異論は出ないのではないでしょうか。

 

そして、こうした闘いのプロセスで、フェミニズム的な言論が皆無であったのか。この点はさらなる検証が必要に思われます。

 

 

敬して遠ざけていたレジェンド

 

ナイチンゲールの小品「カサンドラ」は、こうした検証の手がかりになると考えられる作品の一つです。執筆にあたっては『ナイチンゲール著作集 第3巻』(現代社、1977年)に収載されたものを使用しています2)

 

「カサンドラ」は『思索への示唆』という大作の一部分であり、他が何かの技術者を対象とした哲学的色彩を持つ文章であるのに対して、この作品は女性全般を対象に社会学的な論述を行っている点で異質だと言われています(訳者 田村真氏の解題より)。

 

また、ナイチンゲールの書誌を編纂したW.J.Bishopは、「女性の地位についてナイチンゲール女史が自分の経験したありのままを述べている。つまり自分はもっと目標の高い奉仕に献身すべきだと思っている若い女性が悩むことを余儀なくされるようなことに対して、強い光明を投げかけてくれる」と説明しています。

 

「カサンドラ」を含めた『思索への示唆』は、私家版が発行された後もナイチンゲールによって手が加えられていますが、現在主に使用されているのは1928年版を元にしたテキストとのこと3)

 

懇意にしている編集者からこの書評を依頼されるまで、私はこの「カサンドラ」の存在を全く知りませんでした。そもそものきっかけは、研究者としてフェミニズムの見地からも看護について考えていきたい、という私の決意表明。「その見地から、何か触発されたら書評を書いてください」と渡されたのがこの作品だったのす。

 

それまで、『看護覚え書き』に看護の専門性の強い主張を読み取りながらも、「〇〇すべし」「〇〇すべからず」が続く文章と、そこから立ち上る完全主義がどうにも受け入れ難かった私にとって、ナイチンゲールは敬して遠ざかるレジェンドとなっていました。

 

しかし、この「カサンドラ」では『看護覚え書き』にはない彼女の一面が見え隠れします。高らかに誇らかにメッセージを発しつつも、女性が直面する限界にうんざりしている。そんなグチっぽさに、私は女の人生の普遍性を感じて「カサンドラ」を手に取りました。

 

 

「カサンドラ」のリアル

 

結論から述べると、私は「カサンドラ」に吐露されたナイチンゲールの、毒とも愚痴ともつかない言葉に強いシンパシーを感じました。そこには今を生きる女性に通じる嘆きのリアルがあります。以下、特に引き寄せられた文章について私流の説明を加えていきます。

 

情熱と知性と倫理的積極性と──女性はこの3つを持っているのに、決して満足のいくまでそれを実現しえないできました。この冷たい抑制的な因習的環境では実現されるわけもありません。この主題についてさらに考えていくとすれば、社会の歴史全体から文明の現在のありかたにも足を踏み入れることになっていくでしょう。

 

ナイチンゲールは1820年生まれ。1910年に90歳で没するまで、看護行政に大きな影響を与えたと言われています。彼女の活躍した時代はビクトリア朝時代(1837~1901年)でした。産業革命以後経済的に豊かになったイギリス帝国の絶頂期であり、さらにその時代の富裕層に生まれた彼女は、豊かな生活とともに良妻賢母を求める圧力を強く感じていたのでしょう。社会奉仕活動に生きたいと願うナイチンゲールは「冷たい抑制的な因習的環境」と嘆かずにいられませんでした。

 

女性には「子どもたちに乳をやる」ことを除いては、邪魔をしてはならないほどに重要な仕事があるはずが《ない》と思われています。そして女性自身もそれを認め、その考えを支持する本を書き、自分が何をしても、それは世の中に対しても他人に対してもそんなに価値のあることでは《なく》、また女性が「社会的生活の要求」の基本的なものに出会ったとしても、それは投げ捨てることができるものだと考えることに自らを慣らしてきたのでした。これまで女性は、自分にとっては知的な職業はたんなる利己的な楽しみごとであると考えることに慣れてきたので、自分自身をさしおいて、些細で利己的なことに対しても献身することが自分に与えられた「優れた仕事」だと考えているのです。

 

訳者の解題によれば、この「カサンドラ」が書かれたのは、文体からナイチンゲールが20代の頃ではないかと推測できるそうです。百数十年前のこの文章を読んで「今や女の生き方はこんなふうではありません」と言い切れる女性がどれだけいるでしょう。少なくとも私は言えません。

 

例えば、働く女性に対して、男性よりも「やりがい」を問う声が高いように感じられます。私からすれば、男性にとっても女性にとっても働く意味は等価。ことさら女性に対してばかり「やりがい」が問われるのは、女性が働くことを特別視するようで、とても不本意な気持ちになります。

 

女性が働き続けるために特別な動機を必要とする現状は、ナイチンゲールの言う「女性には『子どもたちに乳をやる』ことを除いては、邪魔をしてはならないほどに重要な仕事があるはずは《ない》と思われて」いる状況そのものではないでしょうか。また、一度子を持てば熱や不調で保育園から呼び出しがかかるのは母親ばかり。これも然りに思えます。

 

そしてこのような状況だからこそ「女性は自分にとっては知的な職業はたんなる利己的な楽しみごとであると考えることに慣れ」ていくようになってしまう。そう自分に言い聞かせなくては、圧倒的に家事・育児の負担が大きい現状に折り合えないからです。

 

いつになったら私たち女性が自分でしていることの《研究》に没頭している姿を見ることになるでしょうか。既婚女性にはそういう仕事はできません。なぜなら男性はもし自分の妻が本当に為し遂げるつもりである大きな仕事に──まがいものでない、何か一事をやり遂げるつもりで──とりかかったとすれば、妻は「ばかな子どもの子守りをしたり、帳づけをしたり」という家事をあまりかまわなくなるのではないかとか、あまりよい夕食を摂れなくなるのではないか、いわゆる自分の家庭生活というものを台無しにしてしまうのではないかと、恐れることとなるのでしょうから。

 

こう言ってはおしまいかもしれませんが、職業の継続について男性は既得権益者。女性に家事を一切任せ、仕事にだけ邁進してきたのです。よって、変わらぬ状況に思い至らないだけではありません。むしろ積極的に変えないことに加担さえしているのです。

 

女性が働くことに理解がある男性でも、「家事に支障が出ないように」との前置きをつけている人がどれだけ多いことか。ナイチンゲールのこの嘆きは、今も健在なのです。

 

そして、一度男性社会に屈し家事を担う既婚女性になった女性は、そこに自己の存在意義を見いだすほかはないのです。彼女たちの多くは、ナイチンゲールの「ばかな子どもの子守り」という言葉に反応し、ナイチンゲールが結婚せず子どもを持たなかったことを冷笑するでしょう。こうした分断の可能性さえ、この一文に読み取ってしまいます。

 

ナイチンゲールがビクトリア朝時代に突き当たった壁と同質の壁が、今の私たちの目の前にも立ちふさがっている……。そうは言えないでしょうか。

 

 

ナイチンゲールにはジェンダーの視点が希薄?

 

ナイチンゲール自身は生涯結婚をせず、かつ母親にならない人生を選びました。伝記には20代後半に相思相愛だった男性がいたが、看護師になるという強い意思のもと、結婚を断念したとの記載があります4)。その理由は前項で紹介した文章からも窺えるように、結婚と仕事を両方ともという選択がありえなかったからでしょう。

 

ナイチンゲールが活躍したビクトリア朝時代のイギリスでは、慈善活動を通じて自分たちの無力さに目覚めた上流階級の女性たちによる、初期の女性解放運動が始まっています。彼女はこうした初期フェミニズム運動には距離を置いていましたが、いわゆるジェンダーの視点よりも、女性を一人の人間として扱うべきとの考えが強かったようです5)

 

ナイチンゲールが女性の偉人として筆頭に上がる人物であることに、全く異存はありません。女性の実力を世界に示し、行政の中で頭角を現しもしました。結果として、女性の地位向上に一役も二役も買ったと考えます。しかし一方で、あくまでも感覚的な印象ですが、ナイチンゲールにジェンダーの視点は感じられません。また、ナイチンゲール自身が看護師たちと平等な関係をつくっていたのか、やや疑問が残ります。

 

その一番の理由は、看護師と関わる姿勢です。ナイチンゲールは看護師に対し常に教え導くスタンス。フェミニズムにおいて重視される女性同士の親密な協力関係──いわゆるシスターフッドが感じられません。しかしこれは、階層に分かれていた当時の状況を思えば致し方がないことなのでしょう。時代の限界とも言えます。

 

以上、「カサンドラ」を手がかりとして、ナイチンゲールとフェミニズムの関連を考えてきました。彼女がフェミニストであったか否かは別として、彼女の実績が女性の実力を示し、男女平等な社会をつくる力になったのも事実です。

 

そんなナイチンゲールの内なる葛藤を知る上で、「カサンドラ」は貴重な資料となるでしょう。今も昔も、変化は急には進みません。ナイチンゲールのように時に嘆きながら、少しずつ変化を引き寄せていきたいと思います。

 

 

◉引用文献

  1. 野島良子:看護科学のパラダイム転換―質的研究はいつ, なぜ登場したのか? アメリカの看護科学者の社会文化体験をとおして, へるす出版, 2009.
  2. Nightingale, F.(田村真訳): カサンドラ.湯槇ます監修 : ナイチンゲール著作集 第3巻, p. 202-241, 現代社, 1977.
  3. 木村正子 : ナイチンゲールのヴィジョン─女性救済者と瀕死の女性, 岐阜県立看護大学紀要, 17(1) : 65-72, 2017.
  4. 茨木保 : ナイチンゲール伝―図説看護覚え書とともに, p.vii, 197, 医学書院, 2014.
  5. 喜多悦子 : ナイチンゲールの今日的意義―開発理念の観点からナイチンゲールを読む, 日本赤十字九州国際看護大学紀要, 10 : 3-34, 2011.

 

[補注]

カサンドラは、ギリシア最古の長編叙事詩「イーリアス」に登場するトロイの王女。太陽神アポロンに愛され、アポロンから予知能力を授かる。しかし、その能力でアポロンに捨てられる未来を予知したカサンドラはアポロンの愛を拒絶したため、怒ったアポロンに「カサンドラの予言を誰も信じない」という呪いをかけられた。カサンドラはトロイアがギリシア軍に敗れることを予言しても、誰からも信じてもらえなかった。やがて敵軍の王の奴隷になり、王が暗殺されることを予言するが防げず、ともに殺害された。アスペルガー症候群の配偶者やパートナーが、相手と情緒的な相互関係が築けないことで生じる身体的・精神的症状を「カサンドラ症候群」と言うが、これは彼女の名前に由来する。

 

 

みやこ・あずさ:1963年東京都生まれ。看護師/作家。1983年明治大学文学部中退。1987年東京厚生年金看護専門学校卒業。1987〜2009年東京厚生年金病院(現JCHO東京新宿メディカルセンター)勤務(内科・精神科・緩和ケアなど)。2013年東京女子医科大学大学院博士後期課程修了。著書に『看護師という生き方』(ちくまプリマー新書)、『あたたかい病院』(萬書房)、『訪問看護師が見つめた人間が老いて死ぬということ』(海竜社)、『両親の送り方─死にゆく親とどうつきあうか』(さくら舎)など多数。母は評論家・作家の吉武輝子氏、父・宮子勝治氏はテレビ局報道部勤務を経て、映画『東京オリンピック』(1965年)の制作にかかわる(ともに故人)。

 

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