特集:ナイチンゲールの越境 ──[ジェンダー]

©2020 Taeko Hagino

文・西尾美登挿画・はぎのたえこ

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第 話 ケアメンたちの苦悩 [連載小説]ケアメンたろう 12

「一緒に母と首をくくろうかと思ったこともある。いままで育ててくれた母のことを、誰にも言えなくて……。

──(本文より)

 

   

 

3人の老人たち

 

翌週の土曜日は雨だった。午前は模試、午後は練習試合で疲れ果てた。

 

「雨だから今日は祖母ちゃんと家で過ごしてよ」ツッツーの厚意を遠慮した代わりに、稜太と大介が足を捻り、肩を脱臼したマサが、夜8時まで診察するというこの病院の外来を受診した。

 

高校生4人は、背中合わせの長いすに腰掛け、無言で炭酸飲料を飲んでいる。背中合わせの椅子には、3人の高齢男性が腰掛けている。よく見る顔だ。1人はずいぶんと痩せ、1人はハンチング帽を被り眉毛が太くて長い。そして、もう1人はいつもニコニコとした笑顔の丸顔の老人である。

 

どうやらハンチング帽の男性の母親はこの病院に入院しているらしく、痩せの男性と丸顔の男性が見舞いに来たようだ。ハンチング帽の男性が言う。

 

「母親がこの病院を退院したら、いよいよ施設に入ることになりました。寂しいものですよ。介護に慣れているから介護がなくなったら、私は気が抜けてしまった。ここに入院する前は、下の世話が特に大変だと思っていたんです。おまけに言うことを聞かないときには、しょっちゅう母を叩いていましたよ。母の発言にも態度にもカッとなってしまってね。今思うと反省ですよ」

 

痩せた老人が、優しい瞳で言う。

 

「あなたは、なんだか行き詰っていましたもんね」

 

「わかりましたか」

 

「そりゃね。家族会に来てくれた時は、ひどく思いつめている感じでした」

 

「ずいぶんと“男性の家族の会”には救われましたよ。それまでは独りで抱えて本当につらかったですね。一緒に母と首をくくろうかと思ったこともある。いままで育ててくれた母のことを、誰にも言えなくて……。おまけに母を施設に入れる選択なんて思いもしなかった……」

 

「……介護が必要になった当初は、妻に母を引き取りたいって言うと、私の母親じゃないからイヤだって(笑)。それならば私が実家に戻るしかなかった。でも施設へ毎日通う介護もあるんだということを、皆さんが教えてくれた。施設に入れることは放棄でも怠けでもない、とおっしゃっていただたいて、随分と救われました。ところであなたの奥さんは、今日はどうしているんですか?」

 

痩せた老人は答えた。

 

「妹夫婦が来てくれていますよ。日曜は、受け入れてくれるデイサービスがないですもんね。デイサービスがない日は、何か一日が長くて(笑)。だから、私はあなたの母親の見舞いといって、サボっている(笑)。でもねぇ、妹の夫婦が面倒をみると、寝かせている時間が長い。だから一気に弱って後が困る。面倒をみるっていっても“昼寝をさせるなとか言えないし、困ったものです……」

 

丸い笑顔の老人が言った。

 

「私はもう、家では家内を看きらんですよ。自分も通院しなければならない。腰も足も痛い。だから施設に通い、介護をできるまで続けますよ。内臓は元気でおらないかんです。でもね、たまにがんばって介護している人をみていると、私は怠けてるんじゃなかろうかって思う。罪悪感だらけ。趣味の釣りも最近できるようになったけど、自分だけ楽しんだら悪い悪いと思うくせに、オムツが汚れたら、施設の人ば呼んでから、他人様にオムツを換えてもらいよる。やっぱり、私ゃぁ怠けとるんでしょうかね……自分の奥さんのオムツも替えんでからね」。

 

痩せた老人は、「独りでオムツ換えるのは腰が痛うて。下剤の効きすぎたときにはウンチが緩くてねぇ。手に追えん」と言って首を横に振った。高校生4人は爺さんたちの語りに耳を傾けていた。

 

レモンスカッシュを片手に、稜太が小声で言った。「いざとなったら、家族会という窓口があるんだな。それも男ばかりが集う場所。太郎も大変だけどさ、爺さんたちも大変やなぁ」

 

足首を固定した大介が言う。「あぁやって、話せる相手がいることはいいことなんだな」。

 

無言まま太郎はゲップして思った。《自分も母親のウンチの世話をすることになっていた可能性は、高いかった……ピンクやオレンジのパンツを履かせるほうが、オムツを替える事よりも容易だろう。もしもオムツとなった場合、俺は世話ができたのだろうか……。かんべんしてよ》

 

想像しただけで眩暈がしそうだった。ジンジャーエールを飲み干す。「うちの母親、トイレは自分で済ませてくれるし、下着も自分でつけてくれるし、洗濯物もしてくれるしさ、このまま元気になったてくれそうな気もする。よくわからんけど」

 

マサは、三角巾に固定された左手でグシャッと缶をつぶしながら言う。「太郎、母ちゃんが元気になって、大学も安心して選ぶことができるといいな。どうせさ、ラグビー部は10月から予選がはじまるんだからさ、推薦もらってない俺らみたいなのは、大抵は浪人するんやからさ。あと1年しても俺ら、太郎のまわりにいるよ。だからそれまでにさ、母ちゃんが元気になるといいな」

 

元気になればの話だが……。

 

それよりも、元気になれば、元の職場に復帰できるのだろうか。開頭術を受け、破れた血管を修復し、身体に障がいが残っている母親に、誰もが優しく接してくれるのだろうか。冷たい視線を送る人間がいないだろうか。いや、そんな奴どこにだっているさ。考えるだけでうんざりする。

 

職場に戻ることを母親はどう思っているのだろうか。

 

そのとき携帯が鳴った。

 

要支援2の認定が決まったという連絡が、ケアマネから入った。

 

第13につづく

 

  

>> 前回まで/連載のはじめに

 

  

男性による虐待について

  

西尾美登里

 

進学への不安や、高校や家での生活に加えて、母親の置かれているさまざまな状況が重なれば、太郎もなんらかの暴力的な問題を抱えてしまうリスクが高まるかもしれません。

 

虐待を防ぐためには、暴力行為そのものよりも、当事者の背景にあるさまざまな要因を探り、状況を正確に把握することが大切とされます。

 

「虐待」には、身体的・精神的・性的・経済的・ネグレクトなどの種類があります。家の中で起こっていることは、基本的に他人には知る由もありませんが、一番露呈しやすいのは身体的な虐待です。2016年の厚生労働省による調査によると、虐待をする側は「息子」 が 41.0%で最も多く、虐待を受けるのは「母親」が多いという結果が出ています。

 

介護生活の中での虐待は、情緒的に疲れた状態が、介護を必要とする者に向けた行為として現れることがあると考えられています。虐待を起こす人は、元々暴力的だからではなく、むしろ介護に一生懸命だからゆえに起こってしまうことが多いのだ、という現実を知ってほしいと思います。

 

私が行った男性の情緒的疲弊についての研究では、そうした困難によって生活の自立度が大きな影響を受けるという結果が示されました。さらに経済状態や、受けている介護サービスの数も関与することも明らかにされました。

 

加えて「虐待しそうになった気持ち・虐待したときの気持ち」についての調査では、男性の思いどおりに物ごとが進まない場合や、指示が通らないときに起こることが多いようでした。

 

ケアメンの方々のお話を聞いていると、「一人でできるうちは、精一杯自分で介護したい」とおっしゃる場合が多いのですが、情緒的に疲弊しないためには、やはり施設に入っていただいたり、介護サービスを積極的に利用したりすることがとても大切です。また、自分で介護する場合は、どうしても思いどおりにならない状況が発生することを意識したほうがよいでしょう。

 

在宅療養者とその家族を支援する職種や、医療・介護の専門職は、助けを求めることが苦手なケアメンの受け皿役として、“家の中で何が起こっているだろう”と常に想像力を働かせながら、まずは信頼関係づくりに努める必要があると思います。

 

 

<  ● 

>> 前回まで/連載のはじめに

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