特集:ナイチンゲールの越境 ──[ジェンダー]
文・西尾美登里/挿画・はぎのたえこ
「太郎は思わずぞっとする。な、何だ……あの冷たい目は……」
──(本文より)
“母親が倒れていたのは、あのあたりだろうか”
桜の樹の下から、ガラス窓越しに3階の階段下にある踊り場あたりを見上げる。学科棟の廊下も踊り場も真っ暗であるが、部屋にはぽつぽつと明かりが灯っている……。そのとき、ワンピース姿の女性が4階の右手に廊下から出てきた。
手すりに手を伸ばしながらその女性が階段を降りる動作を見たとき、ずいぶんと体の軸が左に傾いていることに太郎は気づいた。右へ左へと大きく揺れながら階段を降りる理由は、おそらく股関節に問題があるからだとすぐにわかった。
“母さんがもし復帰できたとき、障がいを持ちながら働くのは、うちだけじゃないんだな”
少しばかり安堵のようなものを感じながら、太郎はワンピースの女性が階段を降りていく姿をじっと見守った。ふと見上げると、階段の上で彼女を後ろからそっと睨みつけている別の女性がいた。
太郎は思わずぞっとする。“な、何だ……あの冷たい目は…”
母がこの職場に戻ったら、あんな見られ方をして仕事を続けることになるのだろうか? 障がいを負いながら働く人、それをよしとしない人、いろいろな人がいる社会で母親はこれから生きていくことになるのだと考えると、太郎の心がザワザワした。このことは明日、慧人には相談しておこう。
介護認定の手続きをする
芸術鑑賞会の日、太郎たち4人は西野先生に相談して部活を休み、区役所で母親の介護認定を申請した。高校生の男子が介護福祉課のカウンターに立つと、職員たちが珍しそうにチラチラとこちらを見た。視線が集まったのはツッツーと慧人や澤田久美子も一緒にいたからだろう。なかには立ち止まって「どうしたの」と声をかける職員もいた。
介護保険の説明を聞くと、通常だと介護調査員という人が調査のため自宅に来るらしいが、1週間以上入院している場合は病院まで出向いてくれるという。ただしそれは病状が落ち着いた段階で、ということであった。
“もしかすると母ちゃんが退院したあとに、自宅での様子を見てもらったほうがいいのかな……”
と太郎が考えていると、「重症のときに認定してもらったほうがいいの。だからとにかく入院中に済ませておいたほうがいいよ」と、まるで太郎の心の声が聞こえたかのように澤田久美子が言った。
区役所から帰ると、犬たちに部屋のゴミ箱が荒らされていた。散らかったゴミと一緒に、クーとコロンのフンをティッシュで拾う。満足に散歩へも連れて行けていない。犬たちにもストレスが溜まっているだろう……。
「お前たちも、えらいね。来週は母さん退院らしいよ」
そう話しかけると、犬たちはプンプンと尻尾を振る。
そういえば、転院の時には何を準備しておければいいのだろうか……。明日、病棟の受付けに聞いてみよう。
その後、介護認定の調査員が母を訪ねて病院に来たときには、田村さんと慧人の父親が立ち会ってくれた。母に介護が必要になった理由を朔医師が書類に詳しく書いてくれていた。本当ならその書類はリハビリ目的の病院や、転院先の病院で書いてもらうことが多いのだと、澤田久美子が言っていた。
「重症のときに、認定してもらったほうがいいよ」
区役所で澤田が言っていたその言葉を、慧人は聞き逃さなかったのだ。あの後すぐに父親へ報告して、朔医師に書類の記載を依頼してくれていたのだ。さすがヌカリナイ……。ただ、書類が揃ったとしても介護認定の結果が出るまでに数週間かかるという。つまり転院先で聞くことになる。
「さて太郎、明日から朝補習が始まるな」とツッツーが言う。
「そうか。明日からの弁当は、コンビニかな」
「お前、弁当も間食も夕食もって、コンビニでばっかりメシ買ってたら、経済破綻するからな」と慧人が言う。
「たしかに、筋トレ時のおにぎりもコンビニで買うと、1日1000円はかかるな」
「太郎くん、医師の診断書にもお金がかかるんだ。文書料金といって退院の費用とは別に領収書がくるからね。あと、食費と差額ベッド代、それにオムツ代は保険がきかないからね……」と、慧人の父親が心配そうに言う。
「はい……」
帰宅後、太郎は通帳を確かめながら小泉弘美にラインする。「筋トレ用におにぎり、悪いけど握ってくれん? 毎日じゃなくていいけん」
「り」
小泉からの返信スタンプは、はしゃいだ感じだ。節約のため、夕食は自分でつくるんだー!と、定番の目玉焼にした。ベーコンをのせて、アスパラとピーマンを一緒に焼いて食べた。
コンビニの納豆も美味い。なんとか生きていけている。
第10話 につづく
自分の価値を
認められる人が、
他人をケアできる
西尾美登里
1975年「君つくる人、僕食べる人」というCМが話題になりました。その表現は「日本で食事をつくる役割はお母さん」であることを連想させるものでした。
私が小学6年生だった1985年、当時50歳代の担任の先生がホームルームの時間にこのCMのことに触れ、「最近は女性が強くなってきたね。でも料理をする人はたいていお母さんだけど」と言われました。
それに対し私は「でもウチは、おばあちゃんが料理することもあるし、世の中のコックさんは男ばかりだけどな……」と、疑問を抱いた記憶があります。ちょうどその年は、税金を納める人が増えるように、女性の社会進出を促した政策「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」、いわゆる男女雇用機会均等法が制定されました(1986年施行)。
女性の社会進出が進んで家の中に人がいなくると、家庭内では家事や近所付き合いなどについての困難感を抱える男性が増えていきました。私が主催する料理教室は、博多の明太子の代表・めんべいでも有名な福太郎さんのご協力によって成立していますが、ほかにも、たとえば京都ではケアメンの会が運営する「おばんさい」を創る料理教室なども開催されています。
参加されるケアメンの皆さんは、とても熱心で凝り性な方が多く、火を強めたり弱めたりしながら調理が進むことに感動されたり、調味料や鍋の選び方で悩んでおられたことを打ち明けたり、さまざまな質問も熱心にされます。
たとえば要介護者である女性が自分でお化粧ができなくなると、ケアメンたちは家にある化粧品を眺めて「こんなに高額なものを買っていたのか!!」という驚きのほか「容器の中身をどのように処分したり、利用すればいいのかわからない」と困惑する方も出てくるのです。そんなとき私は、消費期限が過ぎた透明もしくは白色の液なら、クレンジング以外であれば足の踵に塗っておくといいですよ、とアドバイスしています。
そして、なかには妻や母親に対し熱心にスキンケアを実施されている方もおられるため、私は「公益財団法人コスメトロジー研究振興財団」1)から助成金を受けて「認知症の妻・母へスキンケアをする男性の特性」2)という研究を行いました。
その結果の一部として、妻や母にスキンケアを実施している男性は自尊感情(自分が価値のある、尊敬されるべき、すぐれた人間であるという感情)が高く、内的な強さを持ち、認知症である異性へ思いやりを持ちながら、介護生活を継続していることがわかりました。私はこの研究を通して、自分の価値を認める人は人に優しく触れることができる人であり、逆に人に優しくできない人は、自分の価値を認めることができない人なのだ、と確信しています。