小松 浩子
慶應義塾大学看護医療学部 教授
東日本大震災はすべての人に自身の生き方を問いかける契機となった。とりわけ医療者は人々の健やかさを希求する専門職者として、「いま何ができ、これから何をすべきか」の問いを突きつけられた。私もその一人である。この危機の中で、医療は未来の平和と再生へ向けてどう舵を取るべきなのか、看護職は何をすべきなのか、と。
本書は、この問いへの羅針盤となろう。冒頭、日野原氏は「いまこそ看護の出番である」と語る。震災の1か月後に日本看護協会出版会のホームページ上に発信されたこのメッセージを偶然にも私は読み、看護が果たすべき使命の大きさに身の引き締まる思いがした。いまもその思いに変わりはないことを本書で確信した。
震災直後にもたれた本書の鼎談で、著者らは「いまこそ“看護”主体のケアが必要だ」と語る。日々の「暮らし」を失ったということは、その人らしく生きがいをもって生きることを途絶されたことなのであり、ただ「治す」だけの医療では人々を支えきれない、と。人々の「暮らし」をまるごと支える「ケア」を、人々と共に創ることが重要だと語っている。それは、「人生の終末に胃ろうは必要なのか?」という石飛氏の問題提起にも通じる。外科医から特養の医師に転じた石飛氏は、認知症が進行した高齢者に無理にでも食べさせる現実と、それが引き起こす誤嚥と肺炎の実態を目の当たりにして、医療の過度なる介入を指摘する一方で、看護、介護によるケアへの期待を力説する。
「ケア」には多くのことが可能なのである。はたしていまの医療は十分に「ケア」を提供できているのか。「治すこと中心の医療」から「より人間的な医療」へパラダイムシフトするために、私たち看護職は何をなすべきだろうか。そのヒントを、川島氏の言葉の中に数多く拾うことができるだろう。「誰にも一様に同じ型の援助を提供するのではなく、看護師はその人固有の求め方や慣れ親しんだやり方を尊重しながら、個別に、具体的に、実際的に支援することに努めるのである」等々。
「看護の時代」というタイトルには看護職に対する激励が込められている。全編を通じて決して難解ではなく、すべての医療者の胸にすとんと落ちるほどわかりやすいのは、著者らが豊かな人生経験によって磨かれた感性と洞察力と行動力に裏打ちされた生きた言葉で語っているからにほかならない。私も含め本書を読んだ誰もが、看護への期待に応えるという宿題をやり遂げられると信じている。だから、私の最も身近な看護師である娘にこの本をプレゼントした。彼女の初めての夜勤明けに「期待しているよ」という思いを込めて。
(月刊「看護」2012年11月号掲載)