interview

言葉を待つ 谷川俊太郎 後 編

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なもないのばな

 

西村 それでは最後に「さようなら」っていう詩(『私』思潮社、2007年に所収)についてお話したいんですが。

 

谷川 はい。内臓にさようならを言っているやつね。

 

西村 この詩を読むと思い出すエピソードがあります。ずいぶん前のことですが、ある調査で高齢の方の家庭訪問に行った時、部屋のテレビで臓器移植法案のニュースが流れていました。するとその方が「あなた看護師さんよね、聞いていい?」って声をかけてきたんです。90歳を超えた女性で、老老介護をなさっているご家庭でした。「こんな法律をつくるのはいいんだけど、この世にいる間に人に臓器をあげちゃうと、生まれ変わったときに目が見えにくかったり、心臓が弱かったりしないの?」って、すごく心配そうにおっしゃったんです。

 

谷川 同じ時間に生まれ変わる気だったのかな? おばあちゃん。

 

西村 (笑)。すごく愛らしかったんですけど、そういう感覚で生きておられる方にしてみると、脳死臓器移植というのはある意味ですごく強引な医療行為なのかもしれないなと思いました。そして、この「さようなら」の詩をその方に読ませてあげたいなって思ったんです。もう20年近く前のことですから叶わないでしょうけど。

 

こんなふうに、谷川さんの詩はいろいろな人がいろいろな場面を思い出したり、それぞれの立場から読むことができます。それはやっぱり「あなた」主体で書かれているからなのかなって思いました。そしてその「あなた」が、実は二人称でありながら実体のない不特定多数のあなただからなんだと。

 

谷川 僕の詩は概念的だって言われることがあるんです。例えば散文だと具体的な花の名前を書くじゃないですか。でも僕の詩ではそういうことがほとんどないんですよ。

 

西村 そういえば、そうですね。

 

谷川 ただ「花」と書けば、読む人はみんな自分の好きな花、印象に残っている花にいくらでも感情移入できちゃうわけでしょ。そういう感覚で僕の詩は人々に広まっているんじゃないかなと思って。だけど『ことばあそびうた』という詩集に収めた「ののはな」という詩で「なもないのばな」って書いたら、ある人から「名もない野花なんてものはない。すべての花には名前があるんだ!」って怒られました(笑)。でも僕は何の花かなんて全然覚えないんですよね。

 

西村 花に種類や名前があることも大事ですけど、花を見てまず「きれいだな」と思う気持ちもまた、大切にしたいなと思いますね。

(おわり)

谷川 俊太郎 「さようなら」
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後編で紹介した谷川さんの詩集

『私』思潮社/2007年

 

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『ことばあそびうた』福音館書店

/1973年

 

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