1. 看護の現場と漫画

 

 

 おたんこナース佐々木倫子小林光恵(原案・取材)週刊ビッグコミック スピリッツ小学館 1995~98年

 

佐々木倫子『おたんこナース』は、似鳥(にたとり)ユキエ(北海道出身、東京K病院勤務、21歳)という新米看護師の仕事上でのドタバタや葛藤がコメディタッチで描かれています。「尿測」の大変さや嘘をつく患者による誤診など、私よりも皆さんのほうが馴染みのある世界ではないかと思いますが、そんな日常を第三者の目で眺め、考えることができます。しかも時々、末期がんで自分と向き合うことに葛藤を重ねる患者とのやりとりなど、生老病死の襞に触れるシーンやセリフが巧みに挿入されており、その部分に「哲学」を感じます。日々の看護はなかなか立ち止まることが許されないほど多忙を極めていると思いますが、本書を読み返すとその中にあるさまざまな深みを見出すことができるのではないでしょうか。

 

同じ作者には、札幌で獣医を目指す男性(ハムテル)が中心人物の『動物のお医者さん』という作品もあります。ほのぼのとしたタッチで、かつさまざまな動物の実態や人間との触れ合いが具体的に描写されています。

 

 動物のお医者さん佐々木倫子花とゆめ白泉社 1987~93年

そのほかにも、看護師が主人公の作品としては、こしのりょう『Ns’あおい』があります。主人公の美空あおいは、緊急医療の現場で働く中で不祥事を起こした結果、あかね市民病院に転院するのですが、そこでは常に医者や患者、家族との間でさまざまな問題が発生します。そこであおいは一つの「真理」に辿り着いており、彼女は患者やその家族にとって納得のいく努力をすることを、行動や判断の「原点」に置いていると言えます。

 

 Ns'あおいこしのりょう週刊モーニング講談社 2004~10年

哲学から見るとこれは、ヘーゲルの考え方に近く、他者の心の中に真理があるとみなすものです。反論のある人もいるかもしれませんが、この作品の中では少なくともそうした姿勢が、ある種の理想のように描かれています。いずれにせよ、患者と医者の間に挟まることの多い看護師という立場の意味が常に問いかけられ、チームで行われる医療の現実が垣間見えると思います。

 

 黒博物館 ゴースト アンド レディ藤田和日郎週刊モーニング講談社 2014~15年

タイトルからだけでは内容がわかりにくいですが、藤田和日郎『黒博物館 ゴースト アンド レディ』は非常にユニークな「ナースもの」です。時は19世紀半ば、舞台はクリミア戦争……、と言えばもうおわかりでしょう。そうです、本作はナイチンゲールと幽霊を主人公にした非常に幻想的な物語です。ノンフィクションではありませんが、フローレンスが両親の反対を押し切り、既存の体制や権力に屈することなく、病人に対するケアのあり方を模索していったプロセスが非常に細かく描かれています。哲学的という意味では、人間の心の奥底にある「欲得」や「利己」を「悪」とみなし、それにナイチンゲールは徹底的に戦った人物として描かれています。その結果、患者の衛生管理を重視したり食事に気を遣ったりするエピソードなどが盛り込まれている点も興味深いものでした。

 

 

2. 医療と漫画

 

 ブラック・ジャック手塚治虫週刊少年チャンピオン秋田書店 1973~83年

 

医療と関わりがあり、かつ哲学的な問いかけが含まれている漫画・アニメと言えば、手塚治虫の『ブラック・ジャック』が常に第一に挙げられるでしょう。人間とは何者か、いのちとは何か、人間は(医療行為を)どこまで許されるのか(または可能なのか)、何が善で何が悪なのか。この作品はそういった問いに満ち溢れています。また、よんどころのない事情によってブラック・ジャックが引き取った女の子「ピノコ」が助手役として登場し、ときどきブラック・ジャックに対しても強い発言を行うことがあって、ある意味で看護師に近い役回りをしています。毎回読み切りの内容となっていて、解剖の様子など非常にリアリティのある部分と、一方では呪術や宇宙人などオカルト的な内容も含まれており、その両者が絶妙に混在しているところが本作の魅力でもあるでしょう。

 

また、本作の主人公名をタイトルに含んでいる、佐藤秀峰『ブラックジャックによろしく』も、まさに医療関連漫画です。こちらはまだ駆け出しの医者(研修医)である斉藤英二郎が主人公であり、医師の使命や病院という制度の矛盾点などを衝いています。話題作として連載が続いていたのですが、途中で新シリーズを「ビッグコミック スピリッツ」(小学館、2007~10年)に替えたり、作品の二次使用を全面許可するなど、内容以外でも話題を呼びました。

 

 ブラックジャックによろしく佐藤秀峰週刊モーニング講談社 2002~06年

 

 

3. 古代哲学

 

本格的に特定の哲学者を取り上げた漫画は、それほど多くはありません(最近は名作や古典の漫画化が流行していますが、ここでは取り上げません)。山下和美『不思議な少年』は時空を超えて人間の謎を追いかける「不思議な少年」が、さまざまな人物と出会うエピソード集なのですが、その中に本連載の最初に登場してもらったソクラテスが登場する巻があります。彫刻などではかなりいかめしい顔をしているソクラテスですが、ここではとても「キュートなおじいちゃん」として描かれています。ほかにも哲学者というよりは普通の人の普通の暮らしの中にある、ちょっとした「深み」を描いている含蓄深いストーリーが満載です。

 

 不思議な少年山下和美週刊モーニング/モーニング・ツー講談社 2001年~

 

哲学者プラトンの書いたソクラテスの対話編を読んだことがなくても、「プラトニックラブ」という言葉は聞いたことがある人が多いのではないでしょうか。プラトニックという言葉は近年「同性愛」もしくは「精神的な愛」さらには「少年愛」のような意味合いで用いられる傾向があり、そうした「プラトニックラブ」を題材にした作品は無数にあります。一つだけ代表作を挙げるなら、萩尾望都の『トーマの心臓』ではないでしょうか。トーマとユーリという二人の少年がギムナジウムを舞台に繰り広げるやりとりは、単なる「友情」という言葉では言い尽くせない深みを感じさせます。

 

 

 トーマの心臓萩尾望都週刊少女コミック小学館 1974年

なお同じ作者の『百億の昼と千億の夜』(光瀬龍原作)にはプラトンのみならずブッダやイエスもともに登場します。また、プラトンの弟子であるアリストテレスは脇役ではありますが岩明均『ヒストリエ』(月刊アフタヌーン、講談社、2003年~)で飄々とした感じで現れます。

 

 百億の昼と千億の夜萩尾望都/光瀬龍(原作)少年チャンピオン秋田書店 1977~78年

 

 ヒストリエ岩明均月刊アフタヌーン講談社 2003年〜

 

 

4. 古代ローマから近世へ

 

古代ギリシアと比べると古代ローマの哲学者が登場する漫画はあまり見当たらないのですが、ヤマザキマリ『テルマエ・ロマエ』は「風呂」文化を通じて日本の伝統とヨーロッパの伝統とを接続しようとする野心作であり、古代ローマ的精神をそこから学ぶことができるでしょう。哲学に通じていたハドリアヌス帝やストア哲学に通じ「自省録」も遺した賢帝マルクス・アウレリウスも登場します。

 

 テルマエ・ロマエコミックビームエンターブレイン 2008~13年

 

さらに言うと、近世の哲学者もあまり漫画作品には登場しませんが、惣領冬美『チェーザレ  破壊の創造者』はストーリーも描写も驚異的に素晴らしい作品で、時代考証も専門家である原基晶が監修しており、当時のヨーロッパの様子がこと細かに伺い知れます。コロンブスやダヴィンチ、ミケランジェロ、さらには政治哲学者マキャヴェッリ(ニッコロ)まで登場し、当時のヨーロッパ社会の光と影の姿を学ぶことができます。

 チェーザレ  破壊の創造者週刊モーニング講談社 2005年~

 

 

 

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