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本連載は月刊「看護」2025年6月号からスタートした同名連載の再掲です。
酒井 明子
さかい・あきこ◉大阪大学大学院博士課程修了。福井大学医学部看護学科教授、福井大学医学部看護学科長、福井大学医学部副医学部長を経て、福井大学名誉教授。専門は災害心理で、国内外の被災地で医療ボランティアに取り組んでいる。
>> この連載について
第1回
被災地の現実と
被災者支援の変革
酒井 明子
2025.6.5
日本災害看護学会における被災者支援の実際
筆者は日本災害看護学会先遣隊として現地入りし、その後、能登半島地震災害看護プロジェクトリーダーとなり、現在も避難所・応急仮設住宅・在宅支援、コミュニティ支援、復興支援活動を継続しています。支援活動で心がけてきたことは、発災後できるだけ早い段階から人と暮らしを地域で支え、その人がその人らしく人生を生ききることができるように地域全体で見守る体制をつくるということです。
日本災害看護学会先遣隊は、発災当日の夜、2023年の奥能登地震で被害の大きかった珠洲市をめざしました。珠洲市役所、市中心部の正院・飯田地区を視察しながら、2日夕方には、保健医療福祉調整本部の開設協力を行い、その後1週間、避難所の環境調整や健康観察、生活支援を行いました。
1月10日以降は孤立地区の支援に入りました。孤立地区では、停電・断水・通信障害や食料等の物資不足、悪化した道路事情による巡回診療困難が発生。緊急搬送が必要な人や感染症のまん延、ストレス症状への対応が続きました。
発災後1カ月が経過したころから、住民の困りごと相談が多くなってきました。もともとの地縁型コミュニティである婦人会や青年団は、発災後に活動凍結状態となっていて、市外に避難した住民も多いことから地域のコミュニティは分断されていました。このため筆者らは、地区住民が交流できる場づくりや社会的孤立状態の人の発見を目的に、毎週お茶会やイベントを実施しました。
また、2月ごろから住民と相談しながら「地域コミュニティの構築を考える会」を結成。地域の問題を明確にするために、住民に困りごとを付箋に書いてもらい、カテゴリー別に整理しました。付箋に書かれた困りごとは122ラベルで8つのカテゴリーに分けられました。その中で最も多かったのは、多様な避難形態で誰がどこにいるのかわからないなどの「情報共有」、次に、交流の機会の必要性など「つながりの維持」、コミュニケーション不足などの「人間関係」、仮設住宅生活のルールや人口減少問題などの「居住環境」、「将来への不安」「地域団体・自治会活動」でした。これらの困りごとに対する問題解決に向けて、行政や外部支援者とも共有しながら話し合っていきました。
6月ごろには、今後のまちづくりへの不安の声の高まりを耳にするようになったことから、地域の未来を皆で語り合い、復興を実現していけるように「復興塾」という勉強会をスタートさせました。この段階から徐々に地元の若者の有志たちが立ち上がりはじめ、全住民参加型の「復興未来会議」が発足しました。また、お茶会も住民主体となっていきました。
このように筆者は発災後、早い段階から現場に身を置いて、人々の健康や暮らしを支え、地域のつながりをベースにコミュニティを支える基盤づくりにかかわりました。支援を通じ、地域の課題が共有されるように、地域住民、地域関係者、行政などとともに歩むことが、地域のレジリエンスにつながっていくことを実感しています。
被災者支援の課題
今回の被災者支援でも課題が残されました。まず、せっかく助かった命が失われていく現実があります。災害関連死です。年齢は、後期高齢者の増加を反映して90歳以上の比率が極めて高く、死亡の時期は発災1カ月を超えての災害関連死の認定が多くなっていて、3カ月以内、6カ月以内が高率です。
災害関連死の原因は、高齢化、ライフラインの途絶、季節、病院・施設の機能低下、福祉サービスの停滞、人手不足、搬送による身体への負荷、ストレス、避難生活の長期化など多様で複雑です。今回の発災時に病院は稼働率を低下させて入院制限せざるを得ない状況となり、高齢者関係施設はライフライン停止による水・食料不足だけでなく、スタッフ不足からも看護ケア・介護力が低下しました。今回の複合災害による災害関連死は、特に犠牲になりやすい高齢者や障がい者を守っていくための、人口減少社会における医療課題や福祉との連携の課題を浮き彫りにしました。
もう1点重要なことは、人と暮らしを地域全体で支える視点です。災害後のコミュニティ崩壊は、心理面や健康面に影響を与え、社会的問題を顕在化させます。どの災害においても発災直後から、迅速に対応できる地元住民の力や民間団体の力は大きいものです。しかし、今回を含め、これまで被災地の医療保健福祉関係者、企業や地域団体、住民が一体となって災害対応に取り組んできたとは言い難い状況です。人口減少・少子高齢化の進行やニーズの多様化など社会形態が変化する中、南海トラフ地震等の大規模地震の切迫性も高まっており、ますます行政だけでは対応しきれない状況になってきています。地域コミュニティを支えるため、あらゆる組織、個人が一丸となって災害に臨むことが強く望まれます。
看護には、人の命と暮らし、地域社会を守るという極めて明確な目的があります。そして、災害看護は専門分化した領域を横断する知識・技術が求められる学問領域であり、学問分野を越えたコラボレーションが重要になります。既存の学問分野をすべて包含しつつ、問題解決に向けて努力することが求められます。大規模災害が発生した場合、その目的を果たすためには、人間関係や社会現象に柔軟に対応していく力がなければなりません。
社会とは、産官学民で成り立っており、産官学民が連携していくことが重要になります。特に市民との連携は必要不可欠です。1923年の関東大震災では、救護を要する被災者が瞬時に発生し、約9割が焼死しました。このような災害の発生直後の被災者の救済は、主に民間人によって行われました。東京帝国大学の学生有志は、10万人の被災者カードを作成し、青年団や婦人会は住民の県外避難を支援しました。
1995年の阪神・淡路大震災では、傷病者の多くが家族・近隣住民による必死の救出活動によって病院に搬送されたものの、病院は建物の倒壊や断水等の影響で医療の提供が困難な状況となり、せっかく助かった命の多くが失われました。このことから、災害基幹・拠点病院の設置や災害派遣医療チーム(DMAT)の育成、広域災害救急医療情報システム(EMIS)構築などが行われました。
2011年の東日本大震災は、高齢化・過疎化が進む広域的なエリアを巻き込む災害となり、死者の9割以上が地震後の津波に巻き込まれて死亡。さらに、津波と原発事故による放射能漏れという状況に直面し、避難生活が長期化したことを受け、地域住民・団体など多様な主体の「共助」による災害対応力の強化が重要とされました。
政府の「令和6年能登半島地震を踏まえた災害対応検討ワーキンググループ」においても、NPOや民間企業等との連携強化、応援体制強化、国・地方公共団体・民間がワンチームで災害に臨む関係・環境構築の重要性が指摘され、これらが災害対応力を抜本的に強化するための防災庁設置の柱にもなっています。
さらに政府が2025年3月31日に公表した、南海トラフ巨大地震の新たな被害想定は、死者最大29万8,000人、災害関連死最大5万2,000人であり、学問分野や地域を超えて、行政、民間企業、地域、一人ひとりの個人が命と暮らしと地域を守る意識を醸成することの重要性が示されました。
ただ、こうした危機的状況が提示され、どのように社会が変化しても、看護の営みとして、一人の人間の人権や価値観や自由を尊重すること、人間と暮らしを社会で支える視点が欠かせないことに変わりはありません。今後の日本では、災害の激甚化・長期化や復旧・復興過程の長期化だけでなく、居住地域の人口減少、無居住化、後期高齢者の急増、独居者の増加が予想されています。このような中、地域が一体となって人間と暮らしを守れるような、一人ひとりがより豊かな人生を歩めるような被災者支援へと変革していく必要があります。
救急・救助や復旧・復興過程において、あらゆる学問分野・あらゆる災害関係団体が、人間としての尊厳を保持し、健康で幸福であることを目的に連携することが望まれます。その連携を通じて、社会から取りこぼされる人々を生じさせず、人々が地域や日常の暮らしから切り離されることがないようにすること。また、災害時にあっても人生の最終段階において、被災者がその人らしく人生を生ききることのできるような支援システムが維持されなければなりません。
本連載では今後さまざまな方に執筆してもらいますが、筆者も能登半島の災害から学びつつ、再び本連載の中で、これからの災害看護はどうあるべきか、被災者支援の専門家としてどのような支援の変革をはかるべきかを論じたいと考えています。
引用・参考文献