『病院覚え書』第3版の執筆中に建設されたハーバート病院。「これが完成すれば、英国のみならず欧州でも最も素晴らしい病院になるであろう」と、当時のナイチンゲールは述懐している。(Royal Herbert Hospital, Woolwich, circa 1908)
ナイチンゲール病院の事例
ハーバート病院(The Herbert Hospital)
ナイチンゲール自身が統括した病院の典型が The Herbert Hospital(Woolwich, England, 658床;以降、Herbertと略)である(図1)。
筆者注 ● 病院の名称は、ナイチンゲールの良き理解者であったシドニー・ハーバート男爵(1810~1861)から取られている。
図1 The Herbert Hospitalの見取り図
中央廊下で7つの棟が結ばれ、うち4棟は中央廊下を挟んで両側に独立棟を持つ形態(Double Pavilion)、残りの3棟は片側だけの形態(Single Pavilion)をとる。 >> 図を拡大
Herbertは『病院覚え書』第3版の執筆中に建設(1859~1864年)されており、ナイチンゲールは「これが完成すれば、英国のみならず欧州でも最も素晴らしい病院になるであろう」5)と述懐している。以下、ナイチンゲール自身による記述に従って、この病院の全体構成を見てみよう6)。
全体は中央廊下で結ばれた7つの棟と独立した管理棟で構成される。7棟のうち4棟は中央廊下を挟んで両側に独立棟を持つ形態(Double Pavilion)で、残りの3棟は片側だけの形態(Single Pavilion)である。棟の端部は外気に満たされた状態である。7棟はすべて半地下階の上に2層の建物で、敷地が北側に向かって下がっているために、低い部分では半地下階は地上階となり、いくつかの居室(博物館、図書館、軍医室、会議室、倉庫)として用いられている。病棟は2層分で、隣棟間隔(建物と建物の間の距離)は病棟部分の高さの2倍である。
各病棟の端部には見事な風景を望むことができる大きな開口部がある。便所と洗面所、そして清拭室(Abution)と浴室が端部の両隅にあり、外気を直接取り入れることができる。各病棟は28~32床の大部屋が主体で、両側の壁に直角に置かれた2床につき1つの窓がある。また廊下からの入口側には、看護師室(Nurse’s room)と家事作業室(Scullery)がある。残念なことに、陸軍の規定で各床当たりの気積(室内の空気の総量。床面積 ✕ 高さで計算する)が制限されているため、天井高は14フィート(4.2m)しか取れていない。
筆者注 ● ナイチンゲールは、16~17フィート(4.8~5.1m)の天井高が必要だと主張していた。
中央の棟には回復期患者のためのデイルームがある。中央廊下を挟んでその反対側には厨房、その上に図書館、さらに上階に礼拝堂がある。すべての管理関係の部屋と宿泊室は正面の独立棟に入っている。病棟の軸は少し東寄りの南北方向で、1日のうち午前か午後に太陽光が必ず直接室内に差し込むようになっている。中央廊下の突き当たりには精神障害者の病室(6室)と管理室、反対側の端部には特殊病室と階段教室型手術室がある。
650床は10の独立棟に配され、一階建の廊下でつながれて、その下階は病院のすべてのサービス、つまり食事・薬品・石炭、廃棄物や汚染リネンの搬送経路になっており、各棟のエレベーターや回収シュートの縦動線とつながる。
筆者注 ● 石炭は各病棟の暖炉用燃料であるため、廊下はエネルギー供給通路の役割とみなせる。
こうすることによって、通常の病院でみられるすべての動きが混然となった中央廊下の喧騒さを回避できる。すなわち、このシステムは患者にとって何が直接必要か、必要でないかを明確に分けて、効率を考えた管理上の原則を具体化したものである。廊下の屋上部分はテラスになっていて、天気の良い日には回復期患者は2階の病棟から出ることができる。雨天の場合には1階の廊下が運動用の通路となる。
各病棟は幅員が26.5フィート(7.95m)、天井高は14フィート(4.2m)。また、1床当たりの床面積は93~97平方フィート(8.3~8.7平米)、気積は1,200~1,400立方フィート(32.4~37.8立米)である。
病棟の壁仕上げは、明色の艶出し仕上げ(polished light colour)、内装材は原則として耐火材(fire-proof)を用いている。床仕上げは樫材。床版は鉄骨ジョイスト梁(小断面の梁を細かく並べて支持する梁)で補強されたコンクリートで、上階の騒音が下階に影響することを防いでいる。
病棟大部屋は中央2か所に置かれた暖炉(open-fire-place)によって暖められる。空気の取入口は床下にあって、あらかじめ外気より暖かくなるように工夫されている。給水・給湯設備は全建物の上部に設置され、白亜(石灰)層から採れる硬水の軟化装置(the lime process)を通して供給される。
以上がナイチンゲールによるHerbertの解説であるが、この計画は①日照、換気、暖房、騒音など、患者の物理的療養環境への配慮、②デイルーム、屋外テラス、運動歩行用中央廊下、景色を楽しめる大窓など、患者の入院生活への配慮、③独立棟による院内感染防止対策、④供給・サービス部門の配置、人とモノを分離した中央廊下と縦動線の連結にみられる院内物流計画への配慮など、現代の病院計画にも共通の基本課題に対して明解な解答を示している。建築物はその時代の科学工業技術を反映したものだが、Herbertが当時、最新の病院建築として受け取られたことは想像に難くない。
さて、Herbertは忽然と出現したわけではない。ナイチンゲールはこの病院をThe Lariboisiere HospitalとThe Vincennes Military Hospitalとの両者の利点を余すことなく取り入れ、欠点をすべて取り除いて、特に衛生的観点からは大幅に改善された病院5)だと評価している。
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