大原孫三郎 おおはら・まごさぶろう

(1880~1943)

実業家、社会事業家。岡山県生まれ。東京専門学校(後の早稲田大学)卒業後、父の後を継ぎ倉敷紡績(クラボウ)の社長に就任。職工の優遇や教育、厚生施設の充実に力を注いだ。さらにキリスト教的理想主義から社会事業に尽力し、私財を投じて大原社会問題研究所、倉敷労働科学研究所、大原農業研究所を創設。また大原美術館(倉敷)を設立したことでも有名。

 

 

近江療養院(近江サナトリウム)

1918(大正7)年開院。日本初の私立結核療養所。ヴォーリズのクリスチャン精神に基づきつくられた。大きな窓から明るく陽が差し、風がそよぎ、日光浴室なども設けられ、その奉仕的医療・看護とともに、当時疎外されていた結核患者の肉体と精神を救い続けた。現在はヴォーリズ記念病院と名を変えてヴォーリズの想いを受け継ぎ、医療活動の幅を広げ続けている13)

 

 

荒木寅三郎 あらき・とらさぶろう

(1866~1942)

生化学者。日本における医化学の先駆で、生体内乳酸生成などの研究で知られる。群馬県生まれ。東京帝国大学(現東京大学)卒業後、ドイツ・ストラスブール大学に留学。帰国後、京都帝国大学(現京都大学)医科大学教授・京大総長、学習院院長、枢密顧問官を歴任。

 

 

島薗順次郎 しまぞの・じゅんじろう

(1877~1937)

内科学者。脚気の原因がビタミンB1欠乏によることを解明し、食事による予防法を打ち出す。和歌山県に生まれ、幼くして島薗家の養子となる。東京帝国大学(現東京大学)医科大学を卒業後、ドイツに留学。岡山医学専門学校、京大教授を経て、東大教授、東大病院長を歴任。1926年、帝国学士院賞受賞。

 

 

石井十次 いしい・じゅうじ

(1865~1914)

キリスト教慈善事業家。孤児院の創始者。宮崎県生まれ。小学校教師を経て医学校に入学したが、岡山教会で受洗後、医学書を焼き捨て退学し、日本孤児教育会(岡山孤児院)を創設した。大原孫三郎の援助を受け、岡山孤児院尋常高等小学校を創設。キリスト教信仰を基盤に、勤勉・貯蓄・自活の精神を尊重した。

 

 

ウィリアム・メレル・ヴォーリズ

(1880~1964)

キリスト教伝道者、社会事業家、建築家。米国カンザス州生まれ。キリスト教伝道のため来日し、滋賀県近江八幡の滋賀県立商業学校(現滋賀県立八幡商業高等学校)の英語教師として赴任したが、放課後の聖書研究会活動が原因で2年後に解任された。1908年に建築設計事務所を設立し、教会、学校、邸宅などさまざまな建物を手がけた。近江基督教慈善教化財団近江ミッション(後の近江兄弟社)は建築以外にも学校や病院の経営、薬品販売などキリスト教精神に基づいた社会事業を展開した。1941年に日本に帰化。

 

 

大原總一郎 おおはら・そういちろう

(1909~1968)

大原孫三郎の長男。東京帝国大学(現東京大学)卒業後、父の経営する倉敷絹織(現 クラレ)に入社、後に社長となる。ビニロンの工業化に成功し、経営者として評価を高めた一方、大原農業研究所、大原社会問題研究所、倉敷中央病院、大原美術館などの事業を発展させた。1964年、国民生活審議会会長に就任し、企業の社会的責任を強調、公害問題に対して発生者責任の原則を提唱した。

 

 

筋交(すじかい)

柱と柱の間に斜めに入れて建築物や足場の構造を補強する部材。構造体の耐震性を強める効果がある。

 

 

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教養と看護 編集部のページ日本看護協会出版会

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