連載「まなざしを綴じる─ZINEという表現のかたち

藤田 理代

第5回:ZINEのつくりかた〜表現のみちしるべ篇

第5回 ZINEのつくりかた〜表現のみちしるべ篇

 

「つくりかた」のその前に

 

連載「まなざし」を綴じる ─ ZINEという表現のかたち。4回にわけてさまざまな「表現のかたち」をご紹介してきました。この連載を綴ることで私自身もZINEを綴じ続けてきた3年間を改めて振り返り、見つめなおす良い時間にもなりました。読んでくださった方からメッセージをいただいたり、新しい出会いや試みにつながったり「表現する」ことから生まれるものを改めて感じています。

 

最終回のテーマは「ZINEのつくりかた」。第1回で「ZINEの本質は写真、ドローイング、ポエムとさまざまな手法で自由に綴るということ」(『ZINE(ジン)入門』2015年)と記したとおり、ページ数や仕様も自由、使う素材や道具、つくりかたも無数にあります。そこでこの回では、今まで紹介してきた中の「自分をまなざすZINE」から一作品、がんを経験してからの3年間の"心の揺らぎ"を綴じたZINE汀の虹を例に挙げながら、自分の経験を振り返り、綴じていく流れの一例をご紹介したいと思います。

 

一筋の"流れ"をつくる

 

本というかたちには"流れ"があります。はじまりがあって終わりがあり、読み手がページを進むことで流れが生まれます。さかのぼれば何度でも流れを蘇らせ、触れなおすこともできます。私が個人的にZINEづくりで一番やりがいを感じているのは、この本に宿る"流れ"をあれこれと想像しながらつくることができる点です。

 

生きていると毎日いろんなことが起こります。漠然と不安なこと、かなしいこと、つらいこと。うれしかったこと、たのしかったこと、忘れたくないこと。やって良かったこと、後悔したこと。立ち止まっているもの、凍てついているもの、伝えられずにつっかえているもの。良いことも悪いことも、抱え込んだまま沈み、流れが断ち切れてしまっているものは本当にたくさんあります。『汀の虹』で綴じたものも、ある日突然に「あなたはがんです」と告げられるようなはじまりも終わりもわからないような混乱から、抱え込んでしまっていたものでした。

 

しかし、その記憶を一つずつ掬い上げて並べ、自分の手で綴じて本にすると、必ず最初のページから最後のページまでの何かしらの"流れ"が生まれます。自分の手で生みだした"はじまり"と"終わり"ができると、混沌とした記憶にも一つの区切りがつきます。区切りのできた一つのものになると手にとることができるようになり、手にとるたびに感じる変化を比較することもできるようになります。

 

本というかたちに綴じて残す。経験や記憶を確かなかたちにまとめてゆく行為のようで、逆に一筋の流れを生むことで、広がり変化してゆく側面もある。私自身も綴じたZINEに何度も触れなおしているうちに、ものによっては他者と交わしてゆくうちに、とても個人的だと思っていたものの中にもどこかの誰かも同じように抱いているものもあることにも気づかされ、コミュニケーションが広がっていきました。

 

では、具体的にどのようにして"流れ"をつくるのか。何を掬い上げてどう綴じ、そこから何が生まれてゆくのか……。制作の過程で日々自分自身に問いかけている問いを軸に、具体的なつくりかたの手順を綴っていきたいと思います。

 

左:『汀の虹』(じゃばら折)の設計図

右:『otomo.』(和綴じ)の設計図

 

 

1. まなざす

 

「何を綴じようか?」というのは、最初に浮かぶ問いです。そんな時は、自分はどんなものをZINEに綴じこめて手にとって触れていたいか、もしくは誰に手にとって触れてもらいたいか、少し思い浮かべるようにしています。 それが他者には見せたくない、自分だけが手にとる一冊だとしても大丈夫です。出版というかたちで広くたくさんの人に届けるかたちではないZINEだからこそ、安心してかたちにして、届けたい人にだけ手渡すということも可能です。

 

たとえば、これは失いたくないという大切なもの。忘れたくない言葉。昔の思い出。そのようなものを綴じると、手にとり見返す度に力をもらうような一冊になりました。一方、伝えたいけれど言葉にできていないようなかなしい記憶やつらい記憶も、綴じるという行為を通して客観的に見つめることができ、本を手渡すことで気持ちを伝えるきっかけにもなりました。『汀の虹』は「"がんを経験した"というつらい記憶を冷静に見つめなおして、伝えあうきっかけにしたい」と綴じたZINE。どちらかというと後者の想いが出発点となっていますが、その中には忘れたくない大切な言葉や記憶もあり、同じ冊子の中におさまっています。

 

大切な記憶もつらい記憶も、明確な境界というものはないもかもしれません。何かひとつ道標となる言葉(テーマ)が見つかると、自分の記憶を辿りやすくなります。自分では見つけられない時は、すでに世の中にあるZINEに触れてみましょう。他者の表現に触れると、共感するところもあれば、自分の想いとは異なるなと感じるところもあるでしょう。そのはねかえりを一つずつ見つめると、自分が綴じたいものが見えてくるかもしれません。

 

2. 掬い上げる

 

綴じたいものが何となく思い浮かび「さあ、原稿をつくろう」と筆をとっても、なかなかすぐには具体的な言葉は見つからないものです。もしここで立ち止まってしまうような時は、急がず焦らず、まずはふと心に浮かんだ言葉を逃さないように、人に見せることは考えずに自分だけの空間で「表にあらわす」ことを続けてみましょう。私の場合、大抵まずは中心となる心の中の景色やモノから思い浮かべます。『汀の虹』で最初に思い浮かんだのは、気持ちがふさぎこむと眺めにいく海辺の景色。青い海と波打ち際の透き通った煌めき。時間は朝からお昼過ぎで、聴こえてくるのは寄せては返す静かな波音。そして、その海辺で拾い集めるハートの形をした石たちでした。

 

中心となる景色やものが見つかれば、その奧に沈んでいる感情や記憶は何だろう?と一つずつ探りながら、想いや言葉が浮かんだ時に身近なメディアに書き綴って保管します。一番よく使うのは、携帯電話の未送信メール欄。ふと浮かんだ言葉を掬い上げて、どんどん打ち込み保存します。未送信メールのBOXにはさまざまな件名が着いたものが、更新した日付順にずらりと並んでいて、ある程度書ききった段階でパソコンへ送信してまとめなおしたり、ノートに綴りなおしたりします。

 

人の話を聴きながら思い浮かんだことは手帳に挟んだメモ帳に、作業机で何か思いついた時は常備しているわら半紙に、寝室のベッド脇にもメモ帳があって、眠れない夜や寝起きに浮かんだことを綴っています。他者に見せるものではないので、気負わず自由に。記憶の断片、声、言葉の欠片でも、とにかく綴っていると、すべてが心のあしあとになります。そのあしあとを辿りなおしながら、気持ちが惹かれた欠片を掬い上げていきます。

 

掬い上げたいものの中には、かたちのあるものもあれば、かたちのないものもあるかもしれません。絵やイラストを描くことができれば、今目の前に存在しないものであっても自由にあらわすことができますが、もし思うように絵を描くことができなくても方法はたくさんあります。たとえばすっかり様変わりしてしまった故郷の記憶を綴じた時は、まず故郷を訪れ「今の景色」を写真におさめました。うっすらと透ける紙の表裏に印刷して、ZINEの中に景色をシメントリーに浮かび上がらせることで記憶の層を表現し、写真の横に自分の記憶の中に浮かび上がる懐かしい思い出を言葉にして添えました。手にとると「今の景色」でありながらも、何かが重なっていることを感じられました。

 

「他界した祖母の思い出」を綴じた時は、遺されていた暮らしの品を一つずつ写真におさめ、それぞれ祖母が使っていた時の思い出を家族からヒアリングして、語りにして添えました。祖母自身の姿はそこにはなくとも、祖母の人となりや暮らし方が温かみをもってZINEの中にのこりました。「心の中で抱えていること」は写真におさめることができません。さまざまな色と形をした石ころを一ページずつに置いて、その中に心の中の言葉を一つずつ添えました。語りを添えることで、かたちのないものであってもひと工夫してZINEにおさめることでその輪郭を描き、紙の上に浮かび上がらせることもできます。

 

 

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