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[連載小説]ケアメンたろう 第11話 恥と罪悪感 文・西尾美登里/挿画・はぎのたえこ

「外出のハードルか高いのは、社会的な環境の問題もあるけれど、介護する側のメンタルに試練があるのだ」──(本文より)

登 場 人 物

東尾太郎:この物語の主人公。県立南城高校ラグビー部に所属している高校生。あまり自分の感情を表に出さない。

太郎の母:九西大学病院の元看護師で、現在は同大学で看護学教員として働く。脳の出血で救急搬送される。

慧  人:太郎の幼なじみで母親がいない。父親は太郎の母と同じ九西大学に勤めている。

ツッツー:慧人と同じく太郎と幼なじみ。家は歯科医院で両親が共働き。うんちく好きのマニアックな趣味を持つ一人っ子。

小泉弘美:学年でかわいいと評判のラグビー部マネージャー。“自分に好意があるかも”と淡い期待を抱く男子が少なくない。

澤田久美子:校門の前にある電気屋の看板娘。介護が必要な祖母と妹、父と母との5人暮らし。さっぱりとした性格。

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転 院

 

転院先は、太郎の通う南城高校の近くのバス停から、乗り換えなしでいける野上リハビリ病院に決めた。

 

ベッドが空く日時にあわせて退院日が決定されたらしい。病棟の窓口で渡されたメモには「退院日 5月8日」と書かれていた。慣れた場所の九西大学病院での入院期間はあと3週間か……と考えていた頃、作業療法士の先生から太郎に声がかかった。

 

「太郎君、一度お母さんと車いすで外出してみて、動作のことなんかで困ったことがあれば教えてほしいんだけれど」

 

「外出って、家に帰るのではなくて、どこかに出かけてみるっていうことですか?」

 

「うん。例えば街中とかね。困ったことがあれば退院までに対策ができるかもしれないし。なるべく早いほうがいいんだけど。土日はリハビリがないから、できれば土日に」

 

車いすでお試し外出ね……。明日は土曜日だから、西野先生に言って午後はラグビーを休もう。それから街中に出ると……いや、汗臭いか? ならば午前は部活を休んで午後から行くかな……これは俺一人でやってみるしかないか。

 

翌日、病院のロータリーに待つタクシーに乗り、澤田久美子の母親が勤める大丸へ行って買い物をしてみようと思った。外出の予定時間の10分前に病室に行く。病院の土日は予定の手術や大きな検査が入らない。看護師の数やナースエイド(少し前までは、多くの病院は看護助手と呼ばれていた)の数は、平日に比べて少ないことは知っていた。

 

病室に行くと、母親はまだパジャマ姿だった。麻痺が残る左足に自ら補助装具を装着しようとしていた。窓の外では雨が降ってきた。

 

『まじ……。まだ着替えてないってことは、俺か着替えさせるの』?

 

太郎は、キョロキョロと看護師やナースエイドを探す。ナースステーションに看護師はいないが、ひっきりなしにナースコールが鳴っている。ナースステーションの外でさまざまな業務をこなしている看護師のポケットの中で、ステーションのナースコールから接続された携帯が鳴っている。土日といえども患者数はへらない。だから介助を要する患者はナースコールを押せば、看護師もナースエイドもてんてこ舞いなのだ。

 

太郎がしばし考えていると、母親は自分で着替えるからと言った。

 

「母さん、自分でブラジャー着けるのか? 服着るのか?」

 

「なんとか練習しているのよ。棚の中に今日の洋服が入っているから、出してくれる?」

 

言われるとおりにそれらしい服の塊を出すと、着替える順番に沿って服が重ねられていた。一番上にはカップ付インナーが乗っている。

 

「自分で着替えるから、あんたは外で待っていて」

 

いや、俺、手伝う……でも、できかもしれない……。と躊躇しているとナースエイドがやって来て手伝ってくれた。

 

談話室で母親を待つ間、太郎は思った。母さんは、頭ではわかっていたとしても、時間どおりに着替えをして身繕いをすることすら難しいんだな……。

 

そうならば、仕事を復帰したとしても、決まった時間に出勤できるのだろうか? そのとき、俺は着替えを手伝うような時間の余裕をもって登校することになる……部活はどうなるのだろう。

 

「やっぱり澤田にもう少し、服の着替えさせ方とか習っておこうかな」と太郎はひとりでポツリとつぶやいた。

 

自己嫌悪になる

 

「お待たせ」

 

車椅子に乗った母親は、マスクをつけて帽子をかぶっている。化粧はしているものの、随分と老けたように見える。すでに予定の時間よりも1時間遅れて出発することになってしまった。

 

タクシーに乗るだけでも時間がかかる。病院の横で待機しているタクシーの運転手は、二人の姿を見るとすぐに扉を開けてくれた。太郎が車椅子の足載せをたたみ、母親をゆっくりと立ち上がらせると、運転手は車椅子を慣れた手つきで折りたたみ、後部トランクの中にしまった。

 

麻痺のある母親は、ゆっくりと開かれた左側の扉からシートにお尻を向けて座った。普通ならシートの右側に移動してもらうが、麻痺があるため難しい。太郎は右の扉から乗っていいかと運転手に尋ねた。

 

「右の扉は基本、開けないよ。うしろから車が走ってきたら事故につながるでしょ」

 

なるほど。障がいがあるっていうことは、タクシーに乗り込むのだけでも、時間がかかるんだ。

 

雨がだんだんと激しくなった。運転手は、車椅子がつけやすくて母親が濡れない場所に停車してくれるという。

 

「それで、帰りはどうしますか?」

 

そうか。雨の中、母親が濡れないように麻痺していない手で傘をさしても、タクシーが停まってくれるまで、さし続けることは難しいかもしれない。運転手は嫌な顔をせず自分たち親子を乗車させてくれるのだろうか。雨の中、タクシーを拾うことも、嫌な顔をせずに乗車させてもらうことも難しいような気がした。

 

「30分したら、迎えに来てください」と約束をして車を降りた。

 

地下街に潜ろうと思い、車いすを押しながらエレベーターを探す。繁華街で車椅子を押す高校生。自意識過剰なのだろうか。太郎には、たくさんの視線が向けられている気がした。特に同じ歳くらいの学生からジロジロと見られている気がする。

 

『恥ずかしい』と、太郎は思った。早く病院に戻りたい……。

 

何度も来たことがある繁華街なのに、エレベーターの場所なんて意識したことはない。きょろきょろと見回し、急いで車いすを押していると、何度も母親が「アッ!」という言葉をあげる。そのたび人にぶつかりそうになり、太郎は頭を下げた。

 

「車いすが通るときは、ちょっとくらい周りが配慮してくれよな……」とつぶやくと、母親は「ゆっくり押してね。人にぶつかりそうで少し怖いけど」という。太郎は歩くペースまで変えなければならない状況にイラッとする。

 

エレベーターの数はエスカレーターよりも少ない。しかもなかなかやってこない。やっと開いたエレベーターの中には、大勢の人数がいてうんざりした。扉が開くと、中にいた人間の表情が『あっ』となる。車椅子は場所をとる。だから太郎は頭を下げて「どうぞ」と言って乗り込むのをやめた。

 

それだけで、もう約束の30分か経ってしまった。

 

「母さん、俺、午後から部活だからさ。時間ないんだよ。帰るよ」そういうと、母親は黙ってコクリと頷いた。

 

病院にタクシーで母親を送った。看護師から「外出はどうでしたか」と尋ねられるが、「なかなか思いどおりにいかず、エレベーターにも乗れないまま帰ってきました」と伝え、すぐに南城高校に向かう。

 

太郎の心は罪悪感でいっぱいだった。自分がこんな思いになるなんて予想しなかった。母親との外出は、恥ずかしい気持ちばかりだった。去年の夏には一緒にコンサートにだって出かけたのに……。そういうことを思ってはいけないのに……自分はなんて親不孝なのだろう。

 

太郎と同じ高校生たちが、デートや買い物をしたりしている。そいつらの視線を浴びながら、車椅子の母親を介護している自分がたまらなく恥ずかしいと思ってしまう。外出のハードルか高いのは、社会的な環境の問題もあるけれど、介護する側のメンタルにも試練があるのだ。特に若い息子という立場ともなると……。

 

自己嫌悪でいっぱいの太郎は「忙しい人間には、地上とエレベーターと地下鉄が直結して、すぐにエレベーターに乗れなきゃ、必要な買い物もサッサと済ませられないよ。人ごみの中での買い物を終えることなんて到底できないな……」とエレベーターのせいにした。

 

 

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教養と看護編集部のページ日本看護協会出版会

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