はじめに
この連載では、主に精神障がい者、知的障がい者、認知症高齢者などの「支援」の現場において展開される「表現活動」の意義や可能性、その実践を通じて紡がれてゆく新たな「支援観」=「そもそも支援とはなんなのか?」といった問いに対する現場からの声を、伝えてゆきます。
昨今、精神障がいや知的障がいのある一部の人たちが創作した造形物が「アウトサイダーアート」や「アール・ブリュット」などと呼ばれ、さまざまなシーンで注目されています。また障がい者と健常者が交わりながら、ともにユニークなダンスや音楽を作り上げてゆく舞台公演も盛んに開催されています。また認知症介護の現場でも、ダンサーや音楽家がこれまでの芸術療法とは異なるアプローチから独自のワークショップを行う機会も増えて来ました。
私はこの十数年来、音楽制作や文化事業のプロデュース、文筆業などを通じて、広く「表現活動が社会に及ぼす可能性」について考え、実践してきました。あるときはミュージシャンとして、知的障がいのある人と協働した音楽ワークショップに参加し、またあるときは文筆家として、精神障がいや知的障がいのある人たちの造形活動にまつわる取材をし、またあるときは活動家として、精神科病棟に長期入院する患者の地域生活実現を目的とした、NPOの立ち上げに関わってきました。
もともと、支援やケアといった領域とは何の縁もなった私が、なぜこういった現場に関心を持ったのか。もちろんきっかけは障害のある人のつくった作品に魅了されたことが大きい。しかし、それだけではないのです。それ以上に私が関心を持ったのは、支援・ケア現場で働く人たちがときに戸惑いながらも「本当の支援とは何か」という問いに真摯に立ち向かってゆく姿、といったものでした。
これらの現場においては、障害のある人、病を抱える人、老いを抱える人などは、それぞれのその弱さの特性において、ときに(福祉サービスや施設の)「利用者」となり、ときに「患者」となります。そしてこれらを支援・ケア“される”方々を支援・ケア“する”のが、「支援員」や「介護士」や「看護師」と呼ばれる方々です。しかし一方で、実際の現場ではこれらを自明のこととは言い切れないような気持ちの揺らぎに悩まされることもあるのではないでしょうか。
利用者や患者である前にもはや「“その人そのもの”と向き合っている」としか言いようがないメッセージを相手から受け取ってしまうこと。相手の人生の一端に生々しく触れた感触が消えることなく、職業的責任感のみでは整理できないような問いが胸中に渦巻いてしまうこと。そうしたとき、そもそも「支援」をいったいどこからどこまでの行為として捉え直せばよいのか。私はその答えを探るひとつのメガネとして、「表現」という営みは“使える”のではないか、と思っているのです。
この連載では、私自身がさまざまな立場で一関係者として協働してきた具体的な支援現場での表現活動や、それを経て変化してゆく現場の多様な関係性のルポと関係者へのインタビューを通じて、読者の皆さんと一緒に、支援を悩みながら突き詰めたその先の「超支援」について、探りあうことができれば幸いです。
2017年4月
アサダワタル
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編集部より──
ケアと支援。この2つは何が同じでどこが違うのか。「Cafeここいま」で開催された「暮らしと表現の私塾」の帰り道、アサダワタルさんと交わしたその議論が本連載企画のきっかけになりました。
地域の精神科基幹病院の看護部長だった小川貞子さんが定年を前に退職し立ち上げたNPO法人kokoimaは、彼女が真摯なケアのまなざしを患者の生活や人生そのものに向け続けるうちに行き着いた必然的な場です。看護管理者としてのさまざまな理想や葛藤とそれが生んだ決心がどのようなものだったかは、連載の中でアサダさんが明らかにしてくれるでしょう。ともかく、そんな小川さんが自問してきたのは「自身がすべきケアとは何か」という大きな問いでした。専門性の拠りどころである「現場」を定義し直すことで得られる視野や出会いは、こうした根本的な問いを大いに刺激してくれます。小川さんがkokoimaの重要なブレーンの一人として声をかけたアサダさんは、まさにその驚きと可能性をさまざまな「現場」で生み出すことに取り組む活動家なのです。
看護師にとって「ケアの現場」と近いようで遠い(ようでやはり近い?)「支援の現場」で、人々は何を理想とし何に葛藤しているのか。それがケアの問いに何をもたらしうるのかを、アサダさんの深い洞察を通してみなさんと一緒に考えていきたいと思います。