今回の視点 〜 編集部より

 

精神科病院における「長期入院」の内実は、2018年にNHKテレビで放映されたETV特集『長すぎる入院〜精神医療・知られざる実態』を通じて話題となりました。番組では高度成長期の国による隔離政策のもと、人々の偏見とそれを恐れる家族からも疎外された(そもそも患者ですらないかもしれない人も含む)入院患者たちの実態が明らかにされていました。

 

カメラマン・大西暢夫さんが制作された映画『オキナワへいこう』は、そうした社会的な構図に直接問題提起を行う作品ではありません。『長すぎる入院』では、東日本大震災の原発事故という負の出来事が「長期入院」を続けていた人々に思わぬ転機をもたらしました。一方でこの映画は、沖縄旅行という私たちにとってはささやかな、しかし彼らには人生でもう一度あるかどうかわからない「晴れ」の出来事に焦点を当てたドキュメンタリー作品です。

 

実はアサダさんは、今回の記事を公開するにあたり、とりわけカメラマン・大西さんとのインタビュー部分についてある種の不安を抱えておられました。それは、2人がともに表現者としての立場から映画の中で起きた出来事について語っていることに、看護職を含む当事者の方々が何らかの違和感をもたれる可能性を危惧されていたからです。そこでこのデリケートな課題については次回、看護師である小川貞子さんへのインタビュー、そしてそこで語られることに対する大西さんの応答を交えながら向き合うことにしました。

 

映画では、NPO法人kokoimaのメンバーらと患者たちの温かでユーモラスな駆け引きや、旅行に行けるかもしれない期待とは裏腹な不安や怖れ、そこからくる真っ直ぐな語りと振る舞いに触れて、笑いと涙が次々と押し寄せてきます。そして一方でそこには、終始なぜか他人事とは思えないような、静かな哀しみの気配が漂っていることに気づくのです。

 

彼らが置かれた状況はいったい何のせいなのか、「悪いやつ」は誰なのかを考えることも必要でしょう。またその結果、私たち自身がそこに加担する当事者だと気づくことが非常に重要です。しかし、この映画を観た私にとってより切実だったのは、実は彼らはたった一つの人生しか生きない私たちすべての者が抱える哀しみそのものを、彼らであるからこそ見せてくれているのではないだろうか、という気づきでした。そしてその哀しみの前では、障害者と支援者という関係はおろか強者と弱者の構図、さらに言えばそもそも誰が何者であるかという規定さえ、もはや無力で意味のないことのように思えてくるのです。

 

表現されたものごとは、良くも悪くも表現する者自身の意図や理屈を超えて、触れる者たちの心を思わぬかたちで揺さぶることがあります。その力は正確な言葉にすることがとても難しいぶんだけ、ときに言葉よりも深く強く、大切な何かを伝えうるのだと私は思います。

 

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教養と看護 編集部のページ日本看護協会出版会

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