特集:ナイチンゲールの越境  ──[デザイン]

デザインエンジニアリングとケア  by 吉岡純希

Takramが日本デザインセンターと原デザイン研究所とともにクリエイティブディレクションを手がけた、羽田空港「POWER LOUNGE」Takramウェブサイトより

第3回

看護「個別性は特別なのか?

Takram 代表 田川欣哉 氏  インタビュー

聞き手=吉岡純希

     

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デザインとは何か

 

吉岡 これからは、医療の分野でもデザインやエンジニアリングの力がすごく必要とされていくと思いますが、実際にはまだ現場での活躍を見られる事例がなかなか生まれていないのが現状です。そこで今回は、看護職の読者に向けて「そもそもデザインとは何だろう」「エンジニアリングって何だろう」、そして「看護の中でデザインエンジニアがどんな役割を担うことが可能なのか」について、いろいろお伺いしたいと思います。

 

まず自己紹介を。僕は救急と在宅ケアという2つの領域で看護師を5年間経験しており、その中で3年前から病院でデジタルアートを活用する取り組みを行っています。病院にはさまざまな障害により身体に不自由を抱えた患者さんがおられますが、それぞれの方の身体可動性に合わせた、インタラクティブなデジタルアートを制作し、病棟生活でのリハビリや一連のケアへ役立てるのがねらいです。また、現在は慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の政策・メディア研究科修士に所属しており、田中浩也先生の教室で看護における3Dプリンターの活用について研究しています。

 

田川 僕はもともと大学で機械工学のエンジニアリングを勉強していたんですが、大学院でデザインを学ぶためにイギリスへ留学しました。帰国後はプロダクトデザインのオフィスで5年間修業を積み、今の会社(Takram)を共同創業しました。そこからは、デザインとエンジニアリングを両方同時にこなす仕事に取り組んでいます。

 

 

田川 欣哉(たがわ・きんや)

プロダクト・サービスからブランドまで、テクノロジーとデザインの幅広い分野に精通する。主なプロジェクトに、トヨタ自動車「e-PaletteConcept」のプレゼンテーション設計、日本政府の地域経済分析システム「RESAS」のプロトタイピング、Sansan「Eight」の立ち上げ、メルカリのデザインアドバイザリなどがある。グッドデザイン金賞、 iFDesign Award、ニューヨーク近代美術館パーマネントコレクション、未踏ソフトウェア創造事業スーパークリエータ認定など受賞多数。東京大学工学部卒業。英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アート修士課程修了。経済産業省「産業構造審議会 知的財産分科会」委員。経済産業省・特許庁の「デザイン経営」宣言の作成にコアメンバーとして関わった。2015年から2018年までロイヤル・カレッジ・オブ・アート客員教授を務め、2018年に同校から名誉フェローを授与された。

 

デザイナーと聞いて普通の人がパッと思い浮かべるのは、グラフィックデザイナーやプロダクトデザイナー、あるいは車やファッションのデザイナーなどでしょう。つまり、美術系の勉強をした人たちが物の形を美的に考えていく仕事として一般的にとらえられています。これに加えて、最近では形やグラフィック以外のところにもデザイナーの感覚を持ち込んで、商品やサービスがユーザーにとってより良くなる方向性を考える人たちのことも、デザイナーと呼ぶようになっています。

 

一方、エンジニアの仕事はそもそも、すそ野がとても広い。私たちが生活で日々使っているもので、エンジニアリングなしでできているものはほとんど存在しません。1台の車にしてもテレビにしても、スマホのアプリにしても、さまざまな専門に分かれたエンジニアが、数多くの技術開発を行うことによりつくられている。デザインエンジニアとは、デザインとエンジニアリングの両方を行う人たちのことです。それぞれ裾野が広い領域なので、すべてを網羅するわけではありませんが、何かしらのデザイン能力と、何かしらの設計開発能力の両方を持っています。

 

吉岡 デザインという言葉はすごくとらえ難く思えます。たとえばTakramで翻訳公開されている「Design in Tech Report 2018」には、従来の「クラシカルデザイン」(モノのデザイン)と「デザイン思考」(デザインの方法を活かした問題解決)、そして「コンピュテーショナルデザイン」(テクノロジーを用いた情報の関係性のデザイン)という新たなステートについて述べられていますが、それぞれのどのように違うのか……。

 

田川 入り口で細かい分類は考えないほうがいいかもしれません。デザインの先端領域では、今おっしゃったような分野は刻々と変化しています。「Design in Tech Report」のジョン・マエダさんが書いたレポートの中に「コンピューテーショナルデザイン」という言葉が出てきたのも最近のことです。たとえば「デザイン思考」(デザインシンキング)も昔からあったわけじゃありません。

 

結局のところ、我々が何のためにデザインをやるのかと言えば、商品やサービスの質を上げたいからです。デザイン思考もコンピュテーショナルデザインも、社会やテクノロジーの変化に対応するための手法です。そうしたことをやらないと、良いものができなくなってきただけなんです。

 

 

時代とともに変化する「デザイン」の潮流をとらえる「Design in Tech Report 2018」。Takramのサイトで翻訳版が公開されている。

 

 

たとえば、AIが活用されるようになって人間と機械が会話を始めると、その会話の質を高めることもデザイナーの仕事になる。そのためには文章について学んだり演劇や文学のレトリックについても勉強する必要が出てくるかもしれない。そうするとその分野のことが「◯◯デザイン」と呼ばれるようになる。そういう感じなんです。

 

吉岡 なるほど。

 

田川 テクノロジーはどんどん自己増殖する性質があって、それは人間を中心に置いたタイプの開発ではない。AIにしても、そのままだとユーザーからすると使いにくいものだったりします。だから人間を優先すべきところについてきちんと取りまとめをし、価値化をはかって提供することに責任を持つのが、デザイナーの役割だと言えます。

 

モノと人間との関係が設定されたとき、そこに必要なデザインはさまざまな種類ごとに個別に語られるべきだと思うんです。たとえば空間なら建築というデザインがあり、ディスプレイ上であればUI(ユーザー・インターフェイス)などのデザインがあるように。なので一般論としては、モノと人間の関係をきちんと成立させるところに責任を持つのが、デザイナーだととらえるのがよいと思います。

 

分業体制による弊害

 

吉岡 デザインエンジニアリングについても、それと同様にとらえていいわけでしょうか。

 

田川 モノと人間の関係、という意味ではそうだと思います。通常のデザイナーと異なるのは、エンジニアリングの能力を備えている点です。一般的には、デザイナーとエンジニアの教育は、ばっさりと分かれてしまっています。だから、お互いの共通言語がほとんど存在しない。だから、モノづくりの現場に行ってみると、デザイナーとエンジニアの会話が成立しないパターンも多いんです。会話が成立しなければそのモノはうまくでき上がらないから、これは問題です。

 

それに対して、デザインエンジニアはいわば2カ国語をしゃべる人のような感じです。デザインとエンジニアリングの両方を行ったり来たりして、その2つの領域が齟齬なく擦り合うように考え、手を動かします。

 

吉岡 その2つの領域が合体することが求められる背景には、どのような社会的・時代的な要請があるのでしょうか。

 

吉岡 純希 氏(聞き手)

 

田川 現場におけるデザインとエンジニアリングの断絶は、プロとしてそこで仕事をしている人以外にはよくわからない話だと思います。でも同じような現象はさまざまな場で起きているのではないでしょうか。たとえば、看護のことはわかるけど、すぐ隣の分野のことがわからない、というような人は医療現場にもたぶんいますよね。分業が進んだおかげで物事を効率的に進めることができているけれど、何かがうまくいってない。そんなことが医師と看護師の間や、あるいは内科と外科といったレベルでも起こったりしているでしょう。

 

一人の患者に対して、分業化された専門家たちがそれぞれの役割に集中する。それが果たして患者のためになっているのか、誰が究極的に責任を取っているのかよくわからないということはありませんか? 結局のところ、世の中の多くの物事はたいてい提供者の視点でつくられており、それを実際に使う人たちが真ん中に置かれて設計されていないんです。

 

だけど、もっといいやり方があるんじゃないかと思う人は当然いますよね。そういうタイプの人は「私は何々屋さんだから」という考え方をあまりしないはずなんです。自分が一人の患者としてそこにいたときに、どんな気持ちになるのか? 何がストレスなのか? 何が患者の課題なのか? という考え方をするはずだと思います。しかし、そのような考え方で得た発想を実行しようとすると、従来の分業体制の壁に簡単に阻まれる。その垣根を取り払っていく作業が必要だと思うんです。

 

吉岡 僕自身も救急と在宅という看護の領域を両方経験していましたが、病院から患者を送り出すときに、本当は在宅のことまでしっかり見えていると、適切なケアや患者に指導すべきことも変わってくるんですが、おっしゃるとおり確かにそうした断絶が医療の現場にもありますね。

 

しかし、そうした分断を乗り越えていくとき、両者をつなぐ共通の言葉の不在が一番ネックになるんじゃないかと思います。Takramではさまざまな分野の企業や組織の方々と、まさにそうした言葉がない状態から物事をつくり上げておられるのだと想像しますが、どのように関係を築いていかれるのでしょうか。

 

 

田川 たとえばカーデザイナーなら「車のプロ」ですが、僕らは何か特定分野のプロフェッショナルであるわけではありません。相談に来られる会社や組織ごとにテーマは変わる。それが車の場合もあればスマホアプリだったりスポーツだったり、医療の話も当然あります。僕らはそれぞれのテーマに対しては素人だと思いますが、目の前にある問題自体が何なのかをあぶりだしたり、その問題をどうすれば解決に導くことができるのかというプロセスや手法については、知識や経験が豊富にあります。

 

相談に来られる人たちから、専門的なことについて「今どうすればいいのか」と答えを求められても「その具体策についてはわかりませんが、具体策を模索する方法についてはいくつかの手だてがあります」と話をします。最初はわからなくても3カ月くらい関わっていれば、そのエリアに必要な知識は一通り得ることができるので、それをもとに、ある程度は課題へのアプローチができるようになります。

 

吉岡 さまざまなクライアント側からすると、あえてTakramにご相談をしに来られる何らかの理由があるわけですよね。それは一体何なのでしょう。

 

田川 僕らに仕事を依頼される人の半分くらいは、2回目・3回目の方たちなんです。一度仕事をさせていただいた方が「前回よかったので別のプロジェクトも」と声をかけてくださる方々です。もう半分が新しい方々です。メディアなどを通じて僕らの存在を知り、「こんな仕事をやれるのなら、うちのプロジェクトもお願いできるんじゃないか」と連絡をされてくる人たちです。

 

吉岡 どこに頼んでいいのかちょっとわからないようなお仕事を抱えた人たち……。

 

田川 そうですね。そういう方々からの相談も多いです。

 

     

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教養と看護 編集部のページ日本看護協会出版会

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